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Episode 203 自他の区別がつきません。

私の中高生時代を振り返った時、親の目から見て分かりやすい反抗期はなかったのだろうと思います。
それは、私がASD的な予定調和の世界で時計が時を刻むのと同期して生活することが一番ラクだったからであって、親の言いなりになっていることを良しとしていたワケではないのです。

それでもやはり、親の干渉を逃れて地方の大学へ「逃げた」のですが、そこには親を納得させるだけの行動がありました。
私の場合、親が文句の言えないレベルの学力と、進学先に選んだ学校のネームバリューがその切り札でした。
決してハイレベルな大学に名前を連ねる学校ではないのですが、曲がりなりにも国立であることはウチの親を黙らせるには十分な内容でしした。

私は、私の意見を押し通すだけの武器を持っていたのです。
但し、それはあくまでも「一点突破」であって、全てを論破できるハズもなく、大学入学は、その数少ない突破口を抜けるまたと無いチャンスだったわけです。

その一方で私の子どもが「私と同じように考えるのか」と問えば、答えは確実にNoなのです。
ただ、私にはこの「他者と自分の考え方の違いを理解する」のが難しいのです。
他者の考え方を自分で理解しないと他者そのものが理解できない…とでも言うことでしょうかね。

私は経験上、突破できる武器は必ずあって、手ごたえのある行動に集中すれば突破口は開けるものだと考えていました。
ただ、それは私の考えに過ぎない…。

子育てで難しかったのは、子どもの発想は自由で、個性を持って発達していくという当たり前のことを理解できていなかったことだと思います。
私の子ども時代の経験は、私の性格を形作ったのです。
パートナーのこども時代の経験は、パートナーの性格を形作ったのです。
子どもの子ども時代の経験は、子どもたちの性格を形作るワケです。
その経験は全員が全員違うのが当たり前の話で、全員が私と同じ経験をするワケがないのです。

私はコミュニケーションが苦手で、子どものころからひとり遊びを好みました
幼稚園や小学校にはキチンと通いましたが、友だちと仲良く…が、できていたのかは疑問です。
私が幼稚園や小学校というコミュニティに所属して、いろんな子がいていろんな考え方があることを経験則で身に付けたかと言えば…どうでしょう?

自分の子ども時代を振り返り、同じように考えるようにならない子どもたちにイライラする。
結果的に、表面上はリベラルを装いながら、理論武装した独裁を敷いていたのではないか?

その根にあるのは、ASD的な「自他の区別がつかない」という部分があるように感じるのです。
私の考え方が子どもに乗り移る…ワケないじゃないですか。
それを何の不思議もなく「同じ」と思いこんでいたのではないか?

なぜ「アスベスト」をまき散らすのか…。
その根本的な原因に「ASDの要素」を数多く感じるのです。
そして、その要には必ず「対人コミュニケーション」の経験不足が顔を出すように思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/5

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