Episode 650 組織に潜るもあり得ます。
サッカーW杯カタール大会、スペイン・ドイツ・コスタリカと同じE組の日本は、なんとなんと2勝1敗の勝ち点6で決勝トーナメントに進出、惜しくも決勝トーナメントの一回戦でクロアチアにPK戦で敗れるってハナシは、ここ最近のニュースで最も話題性が高いものなのだと思います。
いやぁ…惜しかったですよね。
ただね、このカタール大会の戦いぶりは、前回のロシア大会の時のように、ギリギリで決勝トーナメント進出を決めた感じはしないのよ。
さらにロシア大会での決勝トーナメント「ベルギー戦」にあったような 2-0 からの大逆転負けみたいな「地力の差」も感じなかったように思います。
世界との差は、確実に詰まっている…そんなことを感じさせる活躍だったと私は思っています。
選手のみなさんには敬意と感謝を込めて拍手を送りたいと思います。
お疲れさまでした。
私は "SAMURAI BLUE" の活躍を喜ぶのです。
そこに理由はありません、あるとすれば「日本人の私」という帰属意識…でしょうか。
「ASDは組織が苦手」と言われることがあります。
そうですねぇ…会社組織に馴染めず「フリーランス」で仕事をされている方とか、確かにいますよね。
そういう私も会社内で上手くいかなかった経験とか、いろいろあるのですよ。
でもね、私は「フリーランスで仕事をしよう」と思ったことなど、一度もないのです。
「それは何故か?」と訪ねられれば、私が「潜伏型(≒よい子)ASD」だからだ…ということになるのでしょう。
「潜伏型(≒よい子)ASD」という言葉は私の造語であり、医療・心療などで使われる言葉ではありません。
その成り立ちについては埋め込んだ「埋もれる自閉があるのです。」からそちらにジャンプしてもらうとしてですね…。
「潜伏型(≒よい子)ASD」の最大の特徴は、「普通の模倣」をすることによる「社会への潜伏」です。
但し、自らの意思で「潜伏」を選んだ結果として、強力な受動傾向を受け入れることになる…誤解を恐れずに強い言葉で言うならば、社会に溶け込もうとする「模倣」に「私の判断」を売ったということでしょう。
日本の伝統的な(軍隊式)教育体制は「自ら考えて行動すること」を目標に掲げながら、自ら考える内容を限定していると私は思っています。
つまり、自ら考えて「規律/統率」を守った状態を作ることが要求されるのだろう…と。
これは「自分の意思で新たなものを想像する」ことではなく、「為政者に求められる状態を理解して行動する」ことが「自ら考えて行動すること」の中身だと考えればスッキリと理解できるハナシです。
この中身の中核を担う思想が「帰属意識」と考えると、どうでしょう。
日本の学校教育の中で求めれれる「規律/統率」は、どこの組織に所属し、その組織の一員としてどのような働きが求められるのかを、明確に指導することになるのだろうと思います。
運動会の「紅組/白組」、その組織への忠実な働きかけ…というような部分から始まり、学校や地域への熱意が伝わるような教育が続いていくワケですよね。
この教育体制に大きな疑問を持たなければ、標準的日本人としての帰属意識は「順調」に培われるのだろう…と。
逆にこの押し付けを嫌うタイプの人は、愛校心とか愛国心というものに疑問をもつことになる…もちろんこの限りではないのでしょうけど。
それで私は…と言えば、「普通の模倣」をすることによる「社会への潜伏」を目指す典型的な「潜伏型(≒よい子)ASD」ですからね、学校が求める組織への帰属意識に疑問を持つワケがないのですよ。
むしろ積極的に組織の中に入り込もうとする…なぜならば、組織の枠に収まり完全に潜ることが生き延びるための知恵なのですから。
そこに「組織とは何ぞや」とか、押し付けられることへの反発は存在しません。
そうやって組織への帰属意識を拠り所にして生きてきた私ですから、そう簡単に「組織を離れる」という思考にジャンプできるワケはないのです。
私は極めて帰属意識の高いASDなのだと思います。
「それが正解」であって、皆と同じように「そう振る舞うこと」ということに注意を払って模倣してきたのですから、その考え方を急に切り替えることは難しいでしょう。
ASDは組織が苦手…とは限りません。
組織が得意か苦手か、それはASD思考をもつ人が生き抜くためにどのような方法を使ってサバイブしたのかに因るのでしょう。
THE YELLOW MONKEY が歌う名曲 JAM 。
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」
「いませんでした」
咄嗟に「日本人は」と思ってしまう、私がいます。
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