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Episode 347 目上の指示で動くのです。

1975年…5歳になる年の4月、私は幼稚園に入園します。
幼稚園バスが団地の外周道路をグルリと一周すれば直ぐに席は園児でいっぱいになってね、15分ほどバスに揺られれば幼稚園に到着です。

幼稚園で「お友だち」と遊んだ…という思い出が、あまりありません。
ジャングルジムにブランコ、シーソーなんて遊具もあったけど、ブロックや積み木でひとり遊びをしていたように思います。
誰かとの関係で…と言えば、左利きで嫌な思いをしたことぐらい。
それでも私は幼稚園に行って帰ってくるということに、何の疑問も抱いていなかったと思います。
だって、約束ルールは守らなければならなかったから。

幼稚園児である私が平日決まった時間に迎えに来る幼稚園バスに乗って幼稚園に行くというのは、決められたことであって、決められたことを守るということには痛みと結びついた強い使命感があったのです。

楽しかった…という記憶はありません。
先生が言うとおりに歌を歌い、先生が言うとおりにお絵かきして、先生が「さようなら」と言ったら送りのバスに乗って団地に帰ってくるのです。
その後は仕立て台の下で図鑑を見る生活です。

私にとって言葉とは、コミュニケーションツールではなくて「指示」でした。
それは話しを聞くということではなくて、指示を聞くという感覚です。
幼稚園で指示を聞かなければならない相手は「先生」で、そういう意味では対等の関係である「お友だち」とは言葉を交わす意味がありません。

私の周りには「目上の人」しかいない…私はその飼い犬だった。
指示通りに動いて「よしよし」と褒められて嬉しかった。

「お友だち」は眼中になかったのです。
だって…指示も出してくれないですし、褒めてもくれませんからね。
私にとってお友だちは、「意味のない人たち」だったのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/27

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