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Episode 344 約束を破ると痛いのです。

私の母はプロの洋裁師で、イメージのラフスケッチと正確な採寸があれば、どんなものでも完璧に仕立てる腕を持った職人でした…但し「婦人服」に限るのですが。
私が母の姿を思い出すといえば、いつも洋裁をしている姿でした。
仕立て台に向かっているか、愛用のJUKI製工業用ミシンに向かっているか…。

知り合いの「ツテ」で、オーダーものの仕事を貰っては家で作業して納品するのが母のスタイル。
途切れず常に仕事があったということは、その道のプロとして一流の腕を持った職人だったということだと思います。
それだけの腕を持ちながらも自宅で仕事をすることを選んだのは、時代背景なのでしょうね。
1974年頃のサラリーマンとその妻…女性が外へ働きに行くにしても職種が限られていた時代。
保険の外交員とか、ヤクルトの販売とか…または工場でのライン作業とかね。
母の職域で…と言えば、当然「工場での縫製作業」という辺りになるのでしょうが、それは母のプライドが許さなかったのでしょう。

そんなワケで狭い公団型の団地の居間は、午前中から夕方までドレスメーカーの「作業場」になっていたのです。
正確に思い出せる私の記憶の一番古い辺りは、恐らくこの時代。
母は表向きにはサラリーマンの妻ですから、私は保育園には入れなかった。
第二次ベビーブーム世代の私ですから、どこの幼稚園も保育園も定員いっぱいだったあのころ。
端から保育園は諦めて、幼稚園。
当時の幼稚園は2年保育が標準だったので、4歳児の私は家にいたのだと思います。
立ち仕事用の仕立て台の下が私の遊び場でした。

洋裁の仕事には危険な道具がいっぱいです。
針・はさみ・アイロン、ミシンは2種類…どれも不用意に触れば怪我をする代物です。
母も気を使っていたのだと思いますが、それでも私の居場所だった仕立て台の下に針が落ちているのは極々普通の出来事で、それにチクリと刺さるとかも日常である話でした。
当然のことながら、痛いのは嫌なのです。

「仕事の道具に触ってはいけません」
それは母と私の約束事でした。

でもやっぱり弄ってみたくなるのですよ…プロ仕様の道具って、カッコイイじゃないですか。
そしてこっそりと「イタズラ」をして思い知ることになるのです。
約束を破れば、確実に痛い思いをする…と。

言われたことは守らなければならない。
虐待と躾が区別できていないような話ではありません。
理に適った適切な約束事であり、適切な躾だったと思います。

でも…幼い私の心の中で、約束と痛みはこんな形で結びついてしまうのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/24

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