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Episode 551 ムリは長続きしないのです。

今回も私のツイートから。

私は小説家・有川浩さんのファンで、その代表作「図書館戦争」は、公序良俗を乱し人権を侵害する表現を取り締まる法律である「メディア良化法」に対抗すべく、「図書館の自由法」を拠りどころとして表現の自由を守るべく図書館が武装して権力と戦う…とまぁ、なかなか派手な話なのです。

主人公である「笠原郁」は、男性隊員を向こうに回して引けを取らない戦闘力を有する女性図書隊員屈指の実力者…なのですが、戦闘訓練で全力を出し切りることで、ある指摘を受けるのです。
それは、動けなくなるまで能力を出し切ってはいけない…ということ。

表現の自由を守るために図書館が武装する…という経緯は兎に角にして、結果的に図書隊とは「軍隊」であって、戦場で動けなくなった兵士は敵兵の標的になり易い…という当たり前の事実と向き合うことになるのです。
だから、交戦状態が終わり解散するまで、動けなくなるワケにはいかないのです。
戦闘訓練であっても倒れるまで走り、訓練終了まで体力が保てない…というのはダメなのです。
これ、すごく重要な教えだと、私は思っているのね。

先頭のツイートに戻り、障害者福祉の観点に立って考えた時、単発的な融通で障害者への支援ができることと、継続的な障害者支援で出来る内容は明らかに違うのです。
あなたがこれからずっと「障害者支援」に全てを懸ける…で、笠原郁の全力プレイのように倒れてしまっては困るのです。

多くの人は自分の生活がある中で、ほんの少しの余力を支援に使う…くらいで精いっぱいだと私は感じています。
だからちょっと手を貸そうとしてくれたあなたが「スッ」と「サッ」とできないようでは、支援は直ぐに「お荷物」になってしまう。

障害者の支援って、いったい何なのか。
あれやこれやと手を貸して、世話を焼いてくれるのが支援なのか…といったらNoですよ。
障害者の意見を聞いて、実現できるように努力してくださるのはありがたい…でも、それが継続して可能な支援なのかは、良くよく考えてみる必要はあると思います。
支援してくださるのはありがたい…けれど、支援をすることで疲れてしまう姿を見れば、「同じ支援をまたお願いします!」とは、なかなか言いにくいでしょう。

支援を考えるときに本当に重要なのは、途中で立ち消えにならない余裕と方法なのではないか…と、私は思うのです。

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