Episode 529 無自覚は危険なことなのです。
最近は少子高齢化が進み、日本の平均年齢も上昇傾向…。
とはいえ、全く子どもがいなくなったワケではなくて、色々な理由で子どもが少なくなってきた…というのが本当のところでしょう。
まず、「結婚するのが当たり前」ではなくなったということ。
お家の跡継ぎの為に…なんて、無理やりにでも相手を探してきて、本人の意思に関係なく結婚させるなんてことは殆どなくなったのだろうと感じます。
更には、「結婚しても子どもを持たない」という選択が許されるようになったこと。
その他、理由を上げたらキリがない…子どもが減る理由はひとつではなく、多くの理由があるのだと思います。
ただ…それとは関係なく、今ある親子関係の親と子どもの年齢差は、大体どの年代も変わらないのではないか…とも思います。
晩婚化が進んで若干は差が開き気味なのでしょうが、親子の年齢差はザックリ30歳前後で見れば大外れにはならない気がします。
つまり「世代交代のサイクル」は、30年前後…ということでしょう。
例えば…私が生まれた年は1970年で、私の父は1938年生まれ、ウチの長女は1996年生まれ…多少の凸凹はあるものの、親から子、子から孫へと引き継がれていく世代交代のサイクルは30年前後…ということです。
これは「親となった世代は、子どもの年齢からみて、約30年前の価値観の教育を受けてきた」ということを意味するのです。
親になった世代は、自分の子ども時代の経験を基に、周囲の方に支えられながら子育てをするのですよ。
当然、30年も経てば時代は変わるのです。
「ウチの世代交代」は30年のスパンでも、全ての家庭がウチと同じタイミングで世代交代をしているワケではありませんからね。
毎年毎年、新しい命が生まれ、新入学・新社会人が誕生し、退職される方がいて、命を終う方がいる…そうして少しずつ社会全体の世代が変わっていくのです。
これが世間の言う「世代の感覚」や「親子の感覚」なのでしょうね。
ところで、社会に出るまで発達障害が発見されなかった一部のASDは、発達障害の社会的認知が進んでいなかった時代ゆえに発見できなかったのでしょうか?
それも一理あります…でも本当の理由は、日本の教育制度では「できる/できない」が教育の評価基準になっているから、「外モード」を駆使することで障害を隠すことに成功してしまったからだと思うのです。
その「外モード」については、社会的常識を盾にとって自分の本心を隠す行動…で説明できるワケです。
詳しくは過去記事、「聞かれて困ってしまうのです」を読んでいただくとして…。
社会的常識のアップデートは、毎日確実に実施されています。
それは生まれる人がいて亡くなる人がいる…という自然の摂理によって、人の体の細胞が作り変えられるように、社会も作り変えられているということです。
人は世の中のアップデートに合わせて、少しずつ考え方を変えていくのです。
ただ…私のようなASDは、このアップデートを苦手とすることがあるのだろうと、私は思うのです。
自己完結してしまう思考パタンゆえに、一度確定してしまった「私が思う社会的常識」をアップデートするための情報ソースが弱い、そこに合わせてトップダウン型軍隊的強権組織との親和性が高いことが、柔軟な思考を奪うことになるワケですよ。
つまりね、私のように社会に出るまでASDと診断されなかった人は、学校と違ってイロイロな世代が揃う社会で、異なる世代との価値観の違いに気が付いて、上手に価値観のアップデートすることができないのではないか…と、経験から思うのです。
特に若い世代とのバランスのとり方は難しい…なぜならば、トップダウン型強権組織の典型である学校という場所は、上長は「先生」という年長者で、学年という階級で仕切られた先輩後輩の関係では、先輩の言うことは絶対で、後輩には命令できることが多かったから。
改めて、なん(@nankuru28)さんのこのツイートを。
ASD外モードの危険性は、当にこれです。
自分の気持ちの代わりに社会的常識を持ち出す危険性…道徳には何故それが善い行いとされるのかを「自分が納得する」作業が漏れなく付いてくるハズなのに、それが無く「思い込む」ということは、戦前戦中の教育勅語による思想洗脳と変わらないのではないか…と、私は感じるのです。
社会に出るまでASDと気が付かれず、「私はどう思うのか、どう考えるのか」というアイデンティティの基礎を作れなかった私は、自分の感覚がアップデートされずに社会で違う価値観と出会い、自分の価値観をアップデートできずに崩壊します。
これが強権的に力で抑え込む方向に出れば、職場ではパワハラ/モラハラになるでしょうし、家庭ならモラハラ/DV/虐待に繋がりかねない危険性を感じます。
ASDが無自覚であることの問題は、自己アイデンティティ形成の未熟によって引き起こされることだと、私は思うのです。