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「ぎこちなさ」を感じます。

不定期連載「フリーレン考」は、ひと月に1回くらいのペースで進めてみよう…などと勝手に思っています。
第1回は2月のことでしたから、今回の2回目は3月分ということで…。

前回のフリーレン考察のポイントは、フリーレンはエルフであるが故に人間との時間感覚に齟齬があり、他者の接触やコミュニケーションが希薄になりがちなことが、人からは「自己中心的視点」の持ち主に見えること、この雰囲気がフリーレンを Autistic に見せているのだろう…ということでした。

今回の「テキスト」は単行本の第2巻…。

「勇者パーティー」の戦士アイゼンの願いを聞き、大陸北部の「エンデ」を目指すことを決めたフリーレンと「勇者パーティー」の僧侶ハイターに育てられた魔法使いの少女フェルンは、アイゼンの弟子・シュタルクを一行に加えて、北側諸国・グラナト伯爵領で魔族「断頭台のアウラ」の勢力と出食わす…というところまでです。

私はこのマンガのストーリーを、ここで多く語るつもりはありません…それはこのnote記事を読んで下さったみなさんが、「葬送のフリーレン」というマンガを手に取る大切な楽しみの部分だと思うから。

今回、私が注目したのは「誰かを慮って私はどうするのか」という…という点です。

魔法使いの少女・フェルンは、育ててくれたハイターへの恩に報いるために魔法の研鑽を積み、ハイターはフェルンを独りにさせないためにフリーレンを嵌める「足止め」を企てるワケです。
同じように、弟子であるシュタルクをケンカ別れにさせてしまったアイゼンは、フリーレンにシュタルクを拾って欲しいとお願いし、シュタルクは師匠の恩に報いるためにフリーレンとの旅を決意するワケです。

だから俺はよ、師匠の代わりにくだらなくて楽しい旅を沢山経験して、土産話をたっぷりと持って帰らないと駄目なんだ。

城塞都市ヴァールにて、シュタルクの言葉

何げなくそれぞれが、それぞれの「自分のたいせつな人」を思い、その大切な人の思いを汲んで自分の意志で行動するのです。
これこそが、ニューロティピカルと呼ばれる定型発達者が持つ「アロセントリックな他者視点」による能動的な思考…だと、このハナシを読んでいて、私は思うのですよ。

その一方で…フリーレンは、その「アロセントリックな他者視点」が、やはり弱い。

旅を始めてからは誕生日にプレゼントをくれるようになったんです。
いつもは興味なさそうなのに。
何を考えているのでしょうね。
とても不思議です。

中央諸国ブレット地方にて、フェルンの言葉

何とか自分の「あなたを思う気持ち」を伝えたい…とするフリーレンのぎこちなさは、プレゼントというモノに頼るあたりにあり、そしてこのプレゼントがまた Autistic な私に強烈な既視感を与えるのですよ。

フェルンが言うように、「いつもは興味なさそう…」には、フリーレンからニューロティピカル的なアロセントリックな他者を慮る雰囲気を感じない…ということでしょう。

ビンメルの死によって「人への関係性」の重要さを知ったエルフであるフリーレンは、エルフ故に人への関係性の作り方に苦労する…。
「エルフの性質」としての時間感覚が「エゴセントリックな Autism 性」を作り出すと仮定して、この「エルフの性質」をフリーレン本人や、旅を共にするフェルンやシュタルクがどのような着地点で折り合うのか…。

そんなことを、私は勝手に思ったのです。

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