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Episode 517 自虐の余裕が必要です。

「エスニックジョーク」と呼ばれる冗談のカテゴリがあります。

エスニックジョークとは、ある民族もしくはある国の国民が一般的に持っていると思われている典型的な性格や行動様式など、ステレオタイプに着目し、その特徴を端的に表現したり、揶揄するようなエピソードを紹介することで笑いを誘うものである。(Wikipedia より)

有名なところでは「沈没船(タイタニック)ジョーク」と言われるあたりですかね…。

沈没しかけた船に乗り合わせる様々な国の人たちに、海に飛び込むよう船長が説得を行う…と言う設定で、話が進みます。
アメリカ人には「飛び込めばあなたはヒーローになれます。」と言い、
イギリス人には「飛び込めばあなたはジェントルマン(紳士)になれます。」と言い、
ドイツ人には「飛び込むのはルールです。」と言い、
イタリア人には「先程物凄い美人が飛び込みました。」と言い、
フランス人には「飛び込まないでください。」と言い、
ロシア人には「海にウォッカのビンが流れています。」と言うと、
海に飛び込んでもらえる…って、それぞれの国民性を揶揄するワケです。
それで、日本人を海に飛び込ませるために何と言うかと言えば、「皆さん飛び込んでます。」って言えば良い…って話になるワケね。
どこの国の方がこのジョークを言っても良いのですが、自国の国民性をオチにして自虐で〆るのが定番なのでしょうね。

さてさて…先日、私はTwitterでこんなツイートをしました。

ツイート内の誤字はスルーして下さいね。
エスニックジョークでも揶揄されたように、日本人には国民性として「周囲の人に合わせる」と言うのがあるように思います。
良く言えば「和を重んじる」であり、悪く言えば「同調圧力が強い」ということでしょうかね。
この国民性の根本的な部分には日本人が単一民族である…という迷信があるように思うのです。
以下、ツイートの続きです。

欧州の大陸や、移民によって作り替えられた北米・南米のように、民族が入り乱れることが極端に少なかったから、他民族・他文化へのアレルギー反応は大きいだろう…って感じるのです。
日本ミツバチが蜂球でスズメバチを熱殺するみたいなイメージなんだよな…。

民族間の紛争を経験しない…というのは、ある意味で平和なハナシなのだとは思うのです…が、自分たちとは違う思想を持つ人々との交渉ごとを経験しないが故に、多様性を認める思想自体が育たなかったのだろうと感じらのです。
それ故に、アイヌや琉球に日本の文化を強要する方向になる…と。

この思想は、帝国主義的な動きの中で、台湾・朝鮮半島・満州を日本の勢力下に収めた時にも如何なく発揮されたのだ…って感じるワケです。

きっと同調圧力が幅を利かす国民性の根本的な部分に、この考え方を基本とする道徳観があるのだ…って私は思っているのです。

そこに輪をかけたのは「明治政府の焦り」であったのではないか…と、私は思っているのです。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰」…の狂歌に詠まれたペリー来航が1853年のこと…イギリスなどの欧米列強諸国は既に産業革命を終え、強大な資本を背景にした植民地支配を進めていて(帝国主義)、日本の隣国である中国(当時は清王朝)も1840~1842年のアヘン戦争で敗れ、開国を迫られた日本も「清の二の舞」になる可能性は否定できなかったワケです。
敗戦後の清が結ばされた南京条約と同じように「不平等な条約」を飲まされた日本としては、植民地支配は何としても免れたかった…ということです。
後発国であった日本には、こうした「外患」に対応すべく「内憂」を抑え込む必要があった…「殖産興業」「富国強兵」という施策はこうして生まれるワケです。

「ブラック校則」という言葉に代表される、未だに抜け切れない日本の教育体制の「悪い部分」は、この当時の学制改革が「外患」に集中するための「内憂潰し」の方法として選んだ「軍隊式教育」の名残だというのが私の見立てです。
単一民族であることを「強要」する背景には、多様性を認めることで近代化への足並みが乱れ、もたつく間に列強諸国に侵略されないようにする意図があった、結果的に産業革命後進国であった日本は、世界的な資本主義社会への移行にギリギリで間に合い、植民地支配を免れて「独立した国家」を維持できた…ということです。
そして、日本人は独立した主権と引き換えに「同調圧力の強い国民性」を押し付けられることになるワケです。

イロイロと諄い話を書きました…で、「私が言いたいのは何か?」と言うと、この「同調圧力の強い国民性」ってヤツはね、持って生まれた性質ではないってことです。
つまり、社会が作りあげた地域の常識に過ぎないということ。
ここに気が付くと、すごくラク。

私のようなASDを抱える人は、人と上手くコミュニケーションが取れない方が多い…それはこのnote記事で今までに何度も指摘してきました。

同調圧力が強い国民性がもたらす「空気を読む」というアレね、つまり意見の調整範囲が著しく狭いことの裏側には、皆が同じように考えることを良しとする教育方針の結果なのではないか…ということです。

世界的に見て、日本人はASD×定型のカップルで、定型のパートナーが「カサンドラ症候群」と呼ばれる状態に陥ることが多いようです。
ASDの私は、この「空気を読む」能力が極めて弱い…それは空気を読むことを常識とする地域や価値観との相性が極めて悪いということを意味します。

ぜひ、Alan&Sakura(@AlanandSakura)さんの、この一連のツイートをお読みいただきたいと思います。
カサンドラ症候群に代表される「ASD×定型の関係性の悪さ」の問題は、「ASDの性格・性質という単体の問題だけではなく、定型のあなたの地域性に裏付けられた価値観の問題でもある」ということだと、私は思うのです。

最後に余談をひとつ…。
大好きな小説家・有川浩さんの「空飛ぶ広報室」という空自・航空幕僚監部広報室を舞台にした作品に自衛隊に対しての「エスニックジョーク」が登場します。

航空自衛隊(空自)  勇猛果敢・支離滅裂
陸上自衛隊(陸自)  用意周到・動脈硬化
海上自衛隊(海自)  伝統墨守・唯我独尊

それに対し、このジョークを考えた記者は、自らを「浅学非才・馬鹿丸出し」と自らを揶揄し、笑いを誘う…。

私たちには「自らを振り返り、ジョークにできるくらいの余裕」が必要なのかもしれません。

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