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Episode 513 「素」がトンチンカンを作ります。

『タツノコプロ』と言えば、「マッハGoGoGo」「いなかっぺ大将」「科学忍者隊ガッチャマン」などなど…私たちの世代では知らない人はいないほど有名なアニメーション制作会社で、「巨人の星」「アタックNo.1」「ルパン三世」などで知られる『東京ムービー(現 トムス・エンタテイメント)』とともに、TVアニメの一時代を作った会社なのです。
私が幼稚園に通っていた昭和50年代前半…夕方16時半~19時頃まで、テレビのチャンネルを回せば、必ず何処かでアニメの再放送をしていたように記憶しています。
その当時の庶民の暮らしでは、家庭用録画機器(ホームビデオ)…なんて、まだまだ普及していなかったワケでして、夕食の準備などで忙しい時間帯に子どもを「黙らさる」手段としてアニメが使われたのだろう…と思います。
今はそれがオンラインのゲームや、オンデマンド配信されるコンテンツに置き換わった…つまり、TVアニメがゲームやYouTubeになっただけで、私も似たような環境で育ってきたワケです。
だから、どことなく「後ろめたさ」があるのでしょう…私は子どもに「ゲームばっかり」とか、大きな声で言えないのですよ。

ところで…冒頭で話題にした『タツノコプロ』と言って、忘れてはならない代表作のひとつに「タイムボカンシリーズ」があります…特に第2作の『ヤッターマン』は名作中の名作!
どこまでもギャグ、ブラックも含めて限りなくギャグ、今の放送倫理では間違いなく許されないであろう「ギリギリ」を攻めまくる辺りが、当時の社会的倫理観では「まだ」許されていたのでしょうね。
実は私、この「タイムボカンシリーズ」が苦手だったのですよ。

えと…ツイート内の「誤字」はスルーしてくださいね。
実は、以前にこの「ギャグが分からない」という話を記事にしたことがあります。

ギャグマンガの神様・赤塚不二夫氏は「ギャグマンガは常識人にしか書けないんだよ」と言ったそうです。
常識をどのように弄れば笑いを呼ぶギャグになるのか、常識が分かっていないと弄る場所が見えないのだという意味だそうです。

「タイムボカンシリーズ」の悪役三人組のボケっぷりは、当にこの「常識ではない」あたりを表現しているワケでして、裏を返せば「常識を理解している」からこそのボケなのですよ。
そこには常識的な私が、常識と非常識を明確に対比して理解している…という事実が存在するのね。
実はこの「笑いのツボ」を理解して狙い通りに笑えるか…こそが、「空気を読む」そのものだと思うのです。

ASDの、質問の対する答えが「トンチンカン(天然)」な時ってあるじゃないですか。
あれ、基本的に「空気が読めていない」からそうなるわけですよ。
簡単に言ってしまえば、目の前で起きていることについて、「素」で答えちゃう…ってこと。
目の前の「ボケ」に対して「自分が常識的と思っていること」で「ツッコミ」を入れてしまうことで、「天然」が発生するワケ。

あなたは「あなたの常識」で言葉を紡ぎます。
それは私の常識とは違うのですよ…あなたは私ではないのだから、すべて同じように考えるワケではありません。
ところが、ASDで自己完結してしまう思考回路の持ち主である私は、それが明確に理解できていないのだと思います。
前回の記事で指摘した通り、「みんなこう考えているに違いない」と思っている…という仮説通りなら、あなたの言葉に対して素で「おかしいだろ?」とツッコミを入れてしまう理由の説明ができます。

つまりね、目の前の出来事と、自分の常識はイコールでつながっていない、その切り分けが弱いってことだと思うのです。

高校生の頃、「『タイムボカンシリーズ』のギャグセンスの高さ」という話題が出たときに、私は『タイムボカンシリーズ』はギャグセンスが高い…という意見を聞いて衝撃を覚えた記憶があります。
「そうなのか、そう思う人がいるんだ!」ってね。
何度も再放送され、実写版の映画やアニメのリメイク版の作品が作られる「名作」の誉れ高いこの作品は、常識の弄り方が秀逸だったのでしょう。

この作品に限らず、「目の前の出来事」と「自分自身の常識」を切り分ける能力が定型の方ほど育たなかったASD私が、ギャグマンガや漫才のボケで心底本気で笑えるようになったのは、ASDの診断が出た後になってからだった…ような気がします。

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