Episode 744 知る×継続=啓発です。
今日4月2日は国連が定めた「世界自閉症啓発デー」で、今年も今日から「発達障害啓発週間」が始まります。
行政機関が主催して、多くの関係部所を巻き込んで大々的に実施されるイベントですからね、これが「発達障害を知る機会に」…というキッカケになれば、それはとても嬉しいことです。
でもね、本当に大切なのは「自閉症」や「発達障害」という言葉を知った後に「どうするのか」なのですよね。
私のnote記事でいつもお世話になり、すっかりお馴染みの石橋尋志 (@ihi1484) さんのポストにある通り、
…なのですよね。
大体にして、「発達障害啓発週間」の国内の扱いは、政府機関の「行事」ですからね。
実際に「政府広報オンライン」の「月間・週間行事のページ」に掲載されているワケで、そのページの見出しには、ハッキリと「政府機関が実施する月間・週間などの行事を月ごとに紹介しています。」と、明記されているワケてすよ。
まぁ、政府行政の肩を持つつもりはありませんが、国内には解決しなければならない問題も課題も山積みでして、どれかひとつを徹底的に…というワケにはいかないのが現実なのだと思います。
実際に、「政府広報オンライン」の「月間・週間行事のページ」には、毎月ビッシリと〇〇週間・××月間の予定が書き記されているワケで、それはそれだけ多くの方向に目を向けなければならないことの裏返しなのだと思うのです。
そしてそれぞれの「行事」の裏側には、それぞれの問題の解決や進展を望む方々がいらっしゃるのでしょう…私たちが「発達障害の理解と啓発」を望むようにね。
だからこそ、この「一週間だけで終わらさない継続」が大事なのだと思うのです。
残念ながら、政府行政機関がミッチリと高濃度で発達障害と向き合ってくれることは期待できない…は、前出の通りです。
では「どうやったら」の答えが「定期的に発見できるモノ」の継続的な更新なのだろう…と。
再び石橋さんのポストに戻ります。
石橋さんは、月1回2時間の自助会を長いスパンで開催し続けることを説きます。
これは石橋さんの主たる活動のスタイルが自助会であるから「こういう表現」になるのだと私は思っています。
だから、これは自助会に限ったハナシではなく、「どれだけ継続して活動できるのか」が肝になるのでしょう。
〇〇を始めます、取り敢えず第一回。
今後も引き続き宜しくお願いします。
…と言ってその後、音沙汰なしなんて、発達障害啓発に関連しない「ありとあらゆること」でよくあるハナシでして。
その後、忘れた頃にポロッとその続きが更新/開催されてみたところで、前との関係性は引き継がれ難いですよね。
そのポロッと更新/開催は、既に取り扱い上「新規」とあまり変わらないかもしれません。
開催している本人は「久しぶりに開催」でも、それを受け止める側がどのように感じるか…は、別問題です。
「待ってました!」という反応もあれば、「またやるんだ」という反応もあるし、「コレどんなのだった?」とかもあるでしょうね。
前回から引き続き…の感覚が、時間が空くほどに薄れて行くのは当然のことですよね。
私の思う「継続」とは、前回の記憶が残る内に次回を重ねて行く作業なのですよ。
それは「自助会」に限らず、このnote記事も然りです。
だから、発達障害などを含めた「マイノリティ・バー」のような場所であっても、単発ではなく定期開催に意味があるのでしょう。
私や誰かの行う行動を「継続」と見るかは、見ている側の印象に左右されるように思います。
そうやって周囲が「継続」と見てくれていることには、「いつもやっているよな」という意識があり、いつもやっているを知っているということは、最低限「活動の認知はしている」ワケですよ。
啓発はます知ることから。
その取っ掛かりとして「世界自閉症啓発デー」も「発達障害啓発週間」使わない手はないでしょう…折角、政府行政が行事として立ててくださるワケですから。
その取っ掛かりから得た「知る」を、常に見える場所で記憶に残すことが「継続」です。
そして「知る」を「継続」する活動こそが「啓発」だと私は思います。
「世界自閉症啓発デー」や「発達障害啓発週間」が、本当の意味で啓発に繋がることを願うのです。
村中直人 (@naoto_muranaka) 先生の「自閉文化を語る会」でご一緒させて頂いている、漫画家のナナトエリ (@nana_to_eri) さん、亀山聡 (@kasukabeAQ) さん夫婦の講演会が、滋賀県彦根市であります。
配信もあるようなので、興味のある方は是非!
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