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Episode 133 SOSを出すのです。

何かに熱中しはじめると、なかなかそのパタンを変えられないのがASDの特徴のひとつかと思います。
仕事絶好調時に仕事を止めて家を見る時間を増やせるか…と言えばかなり難しいのです。

2005年の初夏、子どもらが揃って家にいるようになってしまった、それが「一大事」であるということは、流石に私でもわかります。
その一方で、予定調和がデフォルトである私の行動で、子どもが学校に行かずに家にいるということがどれくらい私を不安にさせイライラさせるかと言うことについては、パートナーが長女を妊娠して会社を退職するに至った経緯を思えば、おおよその想像がつくことかと思います。
私は仕事もあるのに、家がこんなとはどういうことだ?

最初は唯々、子どもらを「物理的に」学校に行かせることを考えました。
それも、パートナーが悪阻で仕事に行けない時に私が感じたイライラと同じ類のものだったと思います。

でも、そんなことで子どもらが学校に行くようになるかと言えば「No」なワケで、ここで私がイライラすることがパートナーを更に追い詰めることになるのです。
見る見る間にパートナーは余裕をなくしていきます。
精神的に追い詰められれば、合わせたように体力もキツくなる…。

パートナーの弱り具合に焦りを感じた私は、意を決して義母に電話するのです。
「助けてくれ」と。

自分で言うのもなんですが、この判断は今までの夫婦生活で一番のポイントになる最高のアイディアだったと思います。
残念ながら、私にはこの局面でパートナーを支え切れるだけの力量がなかった。

もしも私自身の、そして長女や次女の発達障害傾向に気が付いていたら、ここまで追い詰められる前に手が打てていたのかもしれません。
でも、それができなかった。
後になって冷静に振り返れば、明らかに発達障害の傾向が私にも子どもらにも見えていて、パートナーの明るさと周囲の支えによって何とか流れに乗って生活してきたのだと思います。
そこのカギを握るパートナーが溺れそうになってしまえば、みんなで流されるのは必至だったのです。

直ぐに関東から義母が駆け付けます。
そして私は「話してくれて、ありがとう」と感謝されるのです。

私はこの時に、出来ないことは出来ないと言う、助けてほしい時にはSOSを発信する大事さを身をもって学んだのです。

発達障害を持つと言うことは、社会の輪からはみ出す部分があるということは間違いありません。
それを無理やり押し込もうとすれば絶対にひずみが出る、それが所謂「二次障害」です。
発達障害は病気ではなく持って生まれた個性ですから、これを修正することは難しい、それ故に自らや家族が発達障害傾向があるという認識を、なるべく早いタイミングで知ることが重要と私は思います。

この時、私も子どもらも傾向があることに気が付きながらも正しく認識していないから、手を打てていないワケです。
それ故に、枠にハメようとしてハマらない部分に無理が生じてしまうのです。
そうですね、地震のメカニズムみたいなものと思えばいいかな。
社会というプレートに沈み込んだ個性に無理が生じるみたいなイメージかもしれません。

発達障害があると自認すると言うことは、はみ出す部分があると自認することとイコールであると思います。
そこを自分が分かっているかいないかは、社会との接し方に大きな差が出ると私は思います。
もちろん、分かっていても出来ないことはいっぱいあります。
でも、分からずにすべてぶつかってしまうのとは衝撃の度合いが違う。
エアバックが作動しているということです。

私の経験として、だから障害の自認を早くすることの大切さをお話しするのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/1/25

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