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Episode 601 当事者抜きではダメなのです。

「三ない運動」というものを知っていますか?

三ない運動(さんないうんどう、正式名称:高校生に対するオートバイと自動車の三ない運動、こうこうせいにたいするオートバイとじどうしゃのさんないうんどう)とは、高校生によるオートバイ(第1種原動機付自転車を含む)ならびに自動車の運転免許証取得や車両購入、運転を禁止するため、「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」というスローガンを掲げた日本の社会運動のことである。(Wikipediaより)

昭和20年代より自動二輪(オートバイ)や自動車の免許は時代背景も合わせて細分化され、取得可能年齢も徐々に引き上げられていくのですが、自動二輪免許の取得は満16歳以上で維持されたのです。
その大きな理由として、中卒での「金の卵」が仕事をするに当たり、どうしても免許が必要になるケースを考慮した…新聞配達にしても蕎麦屋の出前にしてもバイクの免許は必要でしょ…というのが一般的な説明です。
もちろんこれには諸説ありまして、それだけが理由ではないのですけど。

時代が進み、殆どの人が高校に進学するようになった1970年代から、高校生にバイクを運転させないようにする運動が起こるのです…それが「三ない運動」。
その背景には、高校生を含む若年層の事故が増加したことがあるワケです。

実際に私が通っていた高校でも在学中にバイクの免許を取得した場合、卒業まで免許を学校に預けた上で数週間の停学処分が実施されていたと記憶しています。

何でこんなことを話しているのか…というと、昨今の成人年齢の引き下げに関して、この国の人権に対する意識は、私が高校生だった30年以上前と殆ど変わらないのだなぁ…と思ったからです。

何度も申し上げている通り、ここに書かれていることは私の思う「私見」であって、一般論ではありませんし、政治的な意図もありません…さて。

この4月から、成人年齢が引き下げになりました。
18歳で成人と扱われるのは、全世界的に標準的なことのようです。
日本もその世界的な流れで成人年齢を引き下げ、婚姻できる年齢の修正も行った…のでしょう。
その法改正の施行直前になって、突然「成人」として扱われることになった18~19歳の人への注意喚起が忙しい…。
国会では「高校生がAVに出演することを国が承諾するのですね?」みたいな答弁がありまして、偶々この国会での答弁をTVで見ていた私は、改めてこの国の倫理観が「人権問題に軸足をおいていない」と、残念に思ったのですよ。

予め申し上げておきますが、私は「高校生がAVに出演すること」に賛成しているワケではありません。
ただ、「高校生がAVに出演することを国が承諾するのですね?」という質問は「AVが賤業である」というニュアンスがベースにあるワケでして、AV業界で仕事をされている方々へ「偏見を持っている」という態度が透けて見えるように感じます。
この点については、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う国からの給付金支給の枠から性風俗店関連を除外する…という動きがあった数年前と同じ匂いがします。

「若者を守りたい」という意識の下で「三ない運動」は展開され「高校生AV出演問題」は議題として取り上げられた…その意図は分かります。
ただそれで、その取り上げられた問題の議論の中に、当事者である高校生はいたのか…と問えば、どうでしょうかね。
何れの場合も「当事者抜き」で議論されているように見えるのですが、どうでしょう。

先ず、「AVが賤業である」という先入観を外して、当事者である若者がどのように「AV出演」を考えるのか、そのために医学心理学的な知見からの具体的な情報を「当事者を含めて」検討してもらうことが重要だったのではないか。
AVという仕事に対しての対価と副作用は、どのように評価されるべきなのかを検討する必要があるのではないか?
もちろん、AVと人身売買や性暴力が繋がっていないことが大前提ですよ。

この辺りの問題は、障害者や性的マイノリティの方々の「支援」などに関しても顔を出すことが多いと感じます。
その多くは「既存の価値観」で危険性が高いと判断されたものを、当事者抜きの判断で、その権利を取り上げる形で遠ざけているのではないか…「三ない運動」のように法律で認められている権利に蓋をする格好とよく似ていると感じます。

この国の倫理観で私が残念に思うのは、「守られるべき弱者」というものが存在し、強いものが弱者を擁護するという思想が根強く残っていることです。
それ故に「強い既得権益層」の価値観が幅を利かせ、当事者抜きの議論が繰り広げられるのだろう…と。

この国の成人年齢が満18歳になるのならば、18歳で得られる権利を、その年齢の人たちと一緒に議論して検討する必要があると考えます。
そして当事者が一緒に議論する…が、スタンダードになることが「人権問題」を一歩先に進めることになるのだろうと、私は思うのです。

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