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「何のために生きているの?」

あなたはつらい時、
疲れた時、リフレッシュしたい時
何をしますか?


僕は自然の中を歩くのが
とても好きです。

マイナスイオンが僕の血まで
しみわたり、僕に
気にすんな」と投げかけます。

雄大な木々、鮮やかな草木、
華麗な鳥の鳴き声。

そういった壮大な自然を
肌で感じると自分と、
その悩みがちっぽけに感じる。

よくある話です。

何千年と生きてきた
大木は圧巻ですよね。

途方もなく長い歴史の流れ
の中に自分の身をゆだねる。

そんな経験が
心身ともに僕を
洗い流す。

何事にも代えられない
至福のひとときです。

今回採用させてもらった
重涅扇さんの写真からは
そんな自然の力が感じられます。

最高です。


さて、人がもっとも
落ち込むのはどんな時でしょうか?


人に悪口を言われた時でしょうか?

人に裏切られた時でしょうか?

何をやってもうまくいかないとき?


もしかしたら、
好きな女の子からチョコレート
をもらえなかったら落ち込むかも
しれないですね。


たくさんあるはずです。


ありとあらゆる瞬間に
人は落ちこみ、喜び、
悲しみ、そして落ち込む。


その中でも僕が思う
最大の落ち込みポイントは
なぜ生きているのか分からなくなった時
だと思っています。


誰にも訪れる人間特有の
精神症状だと思います。


よく考えてみたらあらゆる
些細な落ち込みは突き詰めると
ここに帰着する気もしますね。


誰もが一度は
この問いにぶつかるでしょう。


原因はわからないけど
なぜか虚無感に襲われる。


仕方のないことです。

そういう生き物ですから。


でもかつて僕はこの問いの
解決策を考えてみました。


なぜなら落ち込みたくないからです。


ずっと楽しく、幸せで
充実して生きていきたい。


それはすべての人間が
根本で願う欲望でしょう。


僕はまず

自己承認欲求を満たせばいいのでは?

と考えました。

つまり自分をいろんな人に
認められ、求められる価値のある人間に
すればいいのでは?ということです。


そしてすぐに
この答えの浅はかさと
脆さを知ることになります。


映画「ボヘミアン・ラプソディ
を見たことがきっかけでした。

見ていない人は
すぐにみてほしいですね。


少しネタバレになりますが、
主人公にしてqueenのボーカル
マーキュリーが大成功した後
人間不信になるシーンがあります。


大成功した自分に近寄る
人間が「自分」のことが好きなのか、
queenのマーキュリー」が好きなのか
分からなくなるんです。

そのあたりの心情描写は
実に繊細に描かれており、
心が震えました。

天才、大成功者、人気者
が必ず通る道の過酷さ
をまざまざと目の当たりにしました。

平凡の幸せ、はあるな、
と確信しました。


何が伝えたいって、
他人に認められても仕方がない
ってことです。


他人に認められ、褒められることは
必ずしも自分の充足には直結しません。

かりそめです。


その次に僕が考えたのが、
自分の好き放題やる」って
ことです。


本能の赴くままに、
自分がやりたいことをし続ける。


トイレしたいならする。

ゲームしたいならする。

勉強したいならする。

起業したいならする。

旅行したいならする。

友達に会いたいなら会う。


これが最高なんじゃないか、
と思いました。

しかしすぐに気づくんですね。


これだけだったら
生きていけないわ、と。


つまりこれをするには
いやなこと(働く)」を
しなければならない。

そういうことです。


つまり不可能に近い。


なぜ生きているのか
に対する問いの答えには
なっていないように思います。


次に考えたのが
誰かのために生きること」。


誰かのために生きて、
ありがとう」を生きがいにする。


なるほど、良い生き方です。

生きる理由として
とてももっともらしいですね。


しかし、僕はなんとなく
それは生きる理由でない気がしました。


別のもっと壮大な
生きる理由」を実現する
通過点な気がしました。



と、ここまで僕が
思いついたものをざっと
簡単に挙げてきました。



ここまで読んで
なんとなく思ったと思います。


生きてる理由…
何でもよくないか?って。


僕はそれでいいんじゃないか
と思っています。


なんでもいい。


もちろん人はほどほどに
頭がいいのでそうはいきません。


たまには迷走するでしょう。


自分自身の本能と、
他人からの求められるもの、
その折り合いをつけていく
しかないと思うのです。


答えなんてありません。


時間がすべてを解決してくれる
と思うのです。


そして


人生なんてそういうもんだ。

その中で自分ができること
をやればいい。

自分の人生を生きよう。


そう思えることが、
大人になる」ってこと
だと思います。


ここでは良いように大人になる
ということを挙げていますが、
世の中には絶対に「子供」が必要です。


少子高齢化という意味では
全くありませんよ。


本気で自分の生きる意味を
社会の発展や、世界の躍進に見出し、
挑戦を続ける人のことです。


イーロンマスクや
前澤社長などは最たる例でしょう。


そう。

全員が子供でもいけないし、
全員が大人でもいけない。

でも一人の子供は
莫大な大人を巻き込んで、
壮大なことを成し遂げる。


どちらでもいいんです。


優劣は本当にありません。


あなたは何歳くらい
がいいでしょうか?


この問いに
一生を通して向き合う。

人生の醍醐味です。


そうはいっても、
折り合いをつけるには
多かれ少なかれ自身の
価値を高めることが不可欠です。

それを踏まえて
さらに自分というものの
価値を高める方法に触れます。



僕がとても影響を受けた
原田翔太さんの言葉から
引用します。

一度セミナーで話をお聞きした時の
言葉でまさに自分の価値を高めるには
という内容に触れられていました。



彼ほど人生を謳歌している
というような「パリピ」的な
マーケターを見たことがなかったので
強烈に記憶に残っています。


彼は価値を上げるには
一人前レベルのラベルを
掛け算しまくること

だとおっしゃっていました。


うん。間違いない。


例えばサッカーが上手い。


これは世の中にたくさんいるから
正直まったく価値にならない。

希少ではないからですね。


サッカーだけでなく、
バスケも上手かったらどうでしょう。


少し希少性が上がります。


グーグル検索でいうならば、
検索ヒット数が少し減ります。


さらに、バレー、テニス、野球、
空手、アメフト、バレエ、ダンス。


たくさんのラベルをかけ合わせます。


おそらくこの時点で、
世界に一人レベルの価値を
世の中に提示できます。


グーグル検索なら1件のヒットですね。


価値とはまさに
こういうことだと。


これはスポーツで例えたのですが、
ビジネスでも同じです。


原田さんは、
まさにこの「ラベル」を
重ねることで国内トップレベルの
価値ある人間になっています。


もちろんweb系統の
ビジネスセンスは言うまでもなく、
津軽三味線、ミュージシャン、
フードコーディネーター。

フォトグラファー、コピーライター、
コンサルタント。


様々な分野で
一人前以上の実績と実力」を
積み上げられています。


これが掛け算で組み合わさったとき
とんでもない爆発力を生むんです。


各々が2人前でも、
乗数的に価値が増えます。


これが価値の正体だというのです。


なんとも興味深い考察です。



なぜ、生きるのか?


その答えはありません。


しかし、少なくとも
自分と他者との間で
最大公約数的に折り合いをつけることは
必須業務です。


そのさいの参考に
なる鋭い洞察だと思い、
ここで取り上げました。



結局言いたいのは、
気にすんな、時間が全部
解決するから楽しめ。


そういうことです。(笑)




あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。