EwaYuri(エバユリ)/ハワイ在住・料理家

『英語ワカリマセン』な日本人の私が『ニホンゴワカリマセン』なアメリカ人とハワイで出会い…

EwaYuri(エバユリ)/ハワイ在住・料理家

『英語ワカリマセン』な日本人の私が『ニホンゴワカリマセン』なアメリカ人とハワイで出会い超スピード婚を果たし、ちんぷんかんぷんだった英語や異文化も"食"を通して吸収してきました。両親の愛情、大切な人との時間、子供との時間、愛する人と囲む食卓は心と身体をいっぱいに満たしてくれます。

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  • 英語が全然ワカラナイ妻&ニホンゴワカラナイアメリカ夫

    英語が全くといって良いほどワカラナイ私が、ニホンゴワカラナイアメリカ人と結婚ました。 しかもアメリカに移住するっていう無茶ぶり。 どうやって出会って、どうやって結婚したのでしょう? 言葉がワカラナイもどかしい日々も、英語も異文化も、"美味しいごはん"を食べたり作ったりしながらなんとか乗り越えた。 親元離れた遠いアメリカで、さみしい時も苦しい時も、いつでも支えられたのは、母の味と、両親の優しい言葉。"大好きな人たちと囲む食卓"は私の人生に大きく影響しました。 ニホンゴワカリマセンの夫に付いてアメリカに移住する決断をした英語ワカリマセンの妻、 言葉の通じなかった夫婦の結婚生活はどうなったでしょうか? このエッセイを読んで、泣いたり笑ったり、時にはお腹空いたーって思っていただいて、大好きな人たちと美味しいごはんを食べたくなっていただけたらとっても嬉しいです。

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固定された記事

(1)英語ワカリマセンの私がニホンゴワカリマセンのアメリカ人と結婚したらどうなったのか?

初めてのnoteです。 EwaYuri(エバユリ)と申します。 Ewaなのに"エワ"じゃなくて"エバ"なのかーいっ!って思った方、いらっしゃるんじゃないでしょうか? そうですよねー、…

はさみとナイフをそっと置き『さよならの向こう側』~Last song for you~

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noteに書いた家族へのラブレターは、一周回って私にも届いた話。

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やられたらやり返す、倍返しできたら理想だけど、1%でも返していきたい

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(45) "自分がやらなきゃ誰がやる"娘から脱皮のハワイライフの始まりです。

2004年 9月11日、とうとうハワイに帰ってきた。 "帰ってきた" そう、帰ってきたんです。 ホノルル空港を飛び立ったあの日、ペンサコーラへ向かう時飛行機の中、上空から…

(1)英語ワカリマセンの私がニホンゴワカリマセンのアメリカ人と結婚したらどうなったのか?

(1)英語ワカリマセンの私がニホンゴワカリマセンのアメリカ人と結婚したらどうなったのか?

初めてのnoteです。

EwaYuri(エバユリ)と申します。

Ewaなのに"エワ"じゃなくて"エバ"なのかーいっ!って思った方、いらっしゃるんじゃないでしょうか? そうですよねー、エワですよね普通(笑)

私、生まれも育ちも東京▪品川です。

結婚するまでずっと実家暮らしでした。

地元の品川神社のお祭り大好きで、若い頃は神輿を担ぐ姿がカッコいい人が理想でした。なんならサザエさんとマスオさん

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はさみとナイフをそっと置き『さよならの向こう側』~Last song for you~

はさみとナイフをそっと置き『さよならの向こう側』~Last song for you~

今週、私は山口百恵の気持ちになった。
あのラストコンサートの名シーン。
私、生まれる前だったけど、テレビで何度も見るあのシーン。

今週、私もそっと置いたのです、商売道具を。
私はマイクではなく、はさみとナイフとエプロンを置いた。
百恵ちゃんよりもちょっと品数は多いけど、多分気持ちは同じ。
大好きな居場所とお別れです。

約5年所属していた会社を退社した。
大好きな花課のメンバーが送別会をしてくれ

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こだわり強めな生き方を貫いて、たどり着いたしあわせごはん。

こだわり強めな生き方を貫いて、たどり着いたしあわせごはん。

noteを始めたころは毎日、毎日とにかく書いていた。
ちょうどコロナパンデミックの真っただ中だった。
仕事も自宅待機になり、とにかく家で過ごすしかなかったあの頃。
私は誰かと話したくて、繋がりたくてブログやインスタで友達や社会とつながろうと思ったんだと思う。いつも使ってたブログアプリの調子が悪くて、何か他の方法を探った時に出会ったのがnote。

はじめましての人が多いと思うから、まずは自己紹介と

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noteで記事を書いて、いつも有料にしてみようか一瞬迷って結局無料で公開してるけど、その無料記事を読んだ方からサポートをいただけたという夢のような話が起こった。夢について書いた記事で、夢が叶うというミラクル。サポートどうもありがとうございます🤩

27年かかって、ドリカムしてる

27年かかって、ドリカムしてる

「大きくなったら何になりたいですか?」

この質問、みんな絶対聞かれたことあると思う。
いろんな職業に憧れはあったけど、多分ブレずにいつもなりたいと思ってたのが「お花屋さん」。

子供の頃、我が家のお買い物といえばやはり地元北品川の商店街。実家のある1丁目は北品川本通り商店街、2丁目に入ると北品川商店街、そして北馬場参道通り商店街。私はどっぷり「商店街育ち」なのだ。

私が小さい頃は文字通り

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40年前、品川駅で私は未来を見たのかもしれない。

40年前、品川駅で私は未来を見たのかもしれない。

まずは自己紹介。出身はどこですか?

はじめて会った人と会話を始める時、たいていの人は

出身はどこなんですか?

なんていう会話から始める人が多いはず。

えー、わたくし、生まれも育ちも、品川北品川です。
高輪、柘榴坂上の船員病院で産湯をつかり、
姓はエバ 名はユリと発っします。

寅さん風に言えばそんな感じ。
エバユリ、それが私の名前。

1丁目と2丁目の純血サラブレッド

JR品川駅を出て、

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(50)寄り添う2人。これが私の生きる道。

(50)寄り添う2人。これが私の生きる道。

言葉が通じないのに、直感だけを頼りに結婚し、一緒に暮らし始めて2年が過ぎたころ。英語もそこそこ慣れてきて、マトさん(夫)がいない生活にも慣れ、ご近所運命共同体のメンバーとの絆も生まれ、生活は順調だった。

まだまだ赤ちゃんの娘との生活リズムがあったので、たとえマトさんがいない日々が多くても、私は割と忙しい。夜泣きをする娘をあやすのも1人。自分が風邪をひいても娘の世話も1人。お友達だってそれぞれ家族

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(49)娘が大好きな”ダイー”の正体。

ご近所運命共同体

ハワイで子育てを通して知り合った仲間達を指しています。いわゆるママ友ってやつ?をちょっと大げさにそんな名前で呼んだだけじゃん?なんて思ってる方いらっしゃるでしょう?いえ、いえ、本当に運命共同体です。多くの共同体メンバーは

”夫が軍人=夫、ほぼ家にいない=ワンオペ育児”

この構図がピッタリハマるメンバーが多数でした。中には軍人ではない旦那様をもつメンバーもいるけれど、はるばる

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ドジでのろまな亀、松本千秋から学んだ熱いパッション。

ドジでのろまな亀、松本千秋から学んだ熱いパッション。

" パッション ガ ナイナラ ヤルナ!"

と、マトさん(夫)に言われました。ちなみにPassion(情熱)です。
突然そんな事書いても話が見えないと思うので、ちょっくら説明させていただくと。。。

うちのマトさん、私の作るご飯をいつも褒めてくれます。私は”食”を大切にする家族の中で育ったので、結婚後、マトさんと2人で暮らし始めた時も、子供が産まれて親になった時も、”家族で食卓を囲む”という事をと

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”運命の出会いって、意外とこんな感じ”

結婚を決めたのは若さと勢いだった。

たった数回のデート、2か月のEmail。あの人の事、好きなのかとか愛してるとか、そんな感情は正直なかった。言葉も通じないし、どんな人なのか知らないし、殿中でござるみたいな変なパンタロンはいてるし、年下だし、絶対ないと思ったこの人が、まさか運命の人だなんて、1ミリも思わなかった。

”こんなに短期で、言葉も通じないのに大丈夫なの?”

って、母が心配してくれた。

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(48)あの時のあの運命のビビビッ!の正体=”ご近所運命共同体”

(48)あの時のあの運命のビビビッ!の正体=”ご近所運命共同体”

マトさんがいない日々の子育てが本格的に始まったミリタリーハウジングでの生活です。今までは守ってもらう立場だったけど、娘が出来て母親になった私は

私は守られる側から守る方側。

今まで両親、親戚、そしてマトさんから守られてきた人生は、娘の誕生によってまさに逆転です。

この頃はなんとなくわかっていましたが、約20年の結婚生活で、これからミリタリーワイフ、またはハズバンド(夫)になる方々にアドバイス

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(47)ギロッポンじゃなくてハワイの鼠先輩から学ぶ、軍人家族の助け合い。

(47)ギロッポンじゃなくてハワイの鼠先輩から学ぶ、軍人家族の助け合い。

ホテル暮らしが長くなると覚悟した直後、ラッキーな事に条件の合うタウンハウスに空きが出て、Pearl Cityのミリタリーハウジングに入居した。マトさん勤務のPearl Harborまではちょこっと離れてるけど、近所にはダイエー(現 ドンキホーテ)もあったので、日本食も手に入る環境でとっても便利だった。

とは言っても、日本からの品物はハワイでは輸入品なので割高。まだ収入の低かった我が家では贅沢品に

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noteに書いた家族へのラブレターは、一周回って私にも届いた話。

noteに書いた家族へのラブレターは、一周回って私にも届いた話。

自分でもびっくりするくらいなんですが、ブログを10年くらい書いてます。きっかけは子育てを通して出会った友達から”お料理の作り方”を聞かれて、口で説明してもわかりにくいから、だったら

”You ブログ 始めちゃいなよ”

ジャニーさんのスカウトみたいな感じで始めた(笑)

ブログって何ですか?的な感じだった私は、とりあえずそのスカウトのジャニーさんみたいな友達2名が”アメブロ”を使ってるって言って

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やられたらやり返す、倍返しできたら理想だけど、1%でも返していきたい

やられたらやり返す、倍返しできたら理想だけど、1%でも返していきたい

タイトルですが、”半沢直樹”の名台詞、、、らしい。というのも、私、半沢直樹を見たことがありません(汗) 日本中が熱狂したドラマとあって、えっ?観た事ないの!?って思う方もいらっしゃると思いますが、我が家、日本のテレビ番組を見られるようになったのはつい3か月くらい前でして(笑) こちらに嫁いでからはアメリカのテレビ番組ばっかり見てました。

私の住んでるハワイにはKIKU TVという日本のテレビ番組

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(46) "ちょっとだけよ"どころじゃなかった、私のInnocent WorldがNOT Innocent worldになった夜。

(46) "ちょっとだけよ"どころじゃなかった、私のInnocent WorldがNOT Innocent worldになった夜。

"ハワイのホテルで缶詰め生活"

ちょっとかっこ良さすら感じる響きだけど、その響きとは裏腹に、本当に狭くて不便でストレスが山本リンダ。

"あぁ、(ストレスが)どうにも止まらないっ!"

解説しないと分からないくらいくだらないギャグをどうしても入れ込んじゃうクセも山本リンダです。(はい、これもどうにも止まらない)

私が宿泊してたホテルはホノルル空港の真横辺りです。あれから19年、そのホテルは現在

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(45) "自分がやらなきゃ誰がやる"娘から脱皮のハワイライフの始まりです。

(45) "自分がやらなきゃ誰がやる"娘から脱皮のハワイライフの始まりです。

2004年 9月11日、とうとうハワイに帰ってきた。

"帰ってきた"

そう、帰ってきたんです。
ホノルル空港を飛び立ったあの日、ペンサコーラへ向かう時飛行機の中、上空から見たダイアモンドヘッドに向かって、ターミネーターで覚えたあの英語で誓った。

"I'll be back"

誓った通り、いや"予告どおり"な感じ。
あの時ハワイの神様がきっと私に微笑んでくれたんだと思う。

その日ホノルル空

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