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(45) "自分がやらなきゃ誰がやる"娘から脱皮のハワイライフの始まりです。

2004年 9月11日、とうとうハワイに帰ってきた。


"帰ってきた"


そう、帰ってきたんです。
ホノルル空港を飛び立ったあの日、ペンサコーラへ向かう時飛行機の中、上空から見たダイアモンドヘッドに向かって、ターミネーターで覚えたあの英語で誓った。


"I'll be back"


誓った通り、いや"予告どおり"な感じ。
あの時ハワイの神様がきっと私に微笑んでくれたんだと思う。


その日ホノルル空港へは生後3ヶ月の娘、そして春美さん(母)を助っ人として引き連れて3人で降り立った。

ハワイで飛行機を降りると、爽やかな青空と気持ちいい風、そして花の甘い香りに包まれるあの瞬間を、ハワイに来たことがある人ならばきっとみんな感じた事あるはず。これから始まる楽しい旅の時間に想いを馳せて、きっとウキウキでウィキウィキバスに乗り込んでイミグレーションへと向かう。何も悪いことしてないのになぜかドキドキしちゃうあのイミグレーションオフィサーとのやりとりを越えると1階へと降りる。徐々に出口が近づくあの感じ。荷物が流れて来るのを見逃さないように目を凝らし、タイミングを見てベルトコンベアーに近づいてスーツケースを引っ張った後、最後の壁は検疫だ。ここで引っ掛かってラーメン没収とかされて、その上罰金でも課せられては面倒だから、ちゃんと申告しましょうね、皆さん(笑)


無事に検疫を越えると左手が旅行会社のカウンターがある団体出口、右手の出口が個人の出口。そう、お正月に芸能レポーターの井上公造が張り込んで、大勢の芸能人がインタビューを受けるあの出口だ!芸能人じゃないけど、私も個人出口。ちなみにどっちから出ても外で繋がってるけど、これを間違えると待ち合わせとかがややこしい。"私出口で待ってるよ" "私も出口にいるけど?"みたいな事になるから要注意。


約1年ぶりのハワイ。自分の事だけ考えていれば良かった子供なしの時代とは打って変わって、ウキウキドキドキなんかしている場合じゃなかった。生後3ヶ月の乳飲み子と英語が私よりも話せない春美さんと、英語がやや話せるようになってた私。子連れだと全く休めないフライトを越えて、この3人でタクシーに乗り、向かった先はワイキキ♪ではなくSand Island。旅行でハワイに来たら多分あまり用事はないかもしれませんが、ハワイに到着したばかりの私たちには、ゆっくりビーチを眺める時間なんてありません。マトさんから私へ、大きな任務が課せられていた。それは。。。


•任務1 "愛車 HONDA PASSPORT君をピックアップする"


大きな任務です、プレッシャーです。
アメリカで何かする時はいつもマト隊長がやってくれた。私は横で見ていれば良かった。私が"1人"でお店や業者とのやりとりをするなんて初めてだったんじゃないかと思う。マトさん無しで大丈夫だろうか? ちょっと、いや、かなりビビってた。がしかし、ここで思い出すのは従姉妹ハニーのあの言葉。


"親になったらさ、自分でやらないで誰がやってくれるんだっていう話"


そう、ここは品川じゃない。私がこれから暮らす、そして娘を育てる場所なんです。私がやらないで誰がやってくれるんだという話です。脳内シュミレーションは予めしていた。書類もバッチリマトさんから届いていた。書類一式、身分証明書に、フロリダで涙の末に勝ち取った運転免許証。これさえあれば大丈夫!....なはず(汗)


場所は1年前にHONDA PASSPORT君をペンサコーラへと送り出した場所だったから覚えていた。
タクシーから降りて、スーツケースも降ろして、娘を春美さんに託し、いざ、出陣!


先ずはチェックインしてドキドキしながら順番を待つ。
どうか難しい英語が出てきませんように、そう祈るばかり。

番号呼ばれる。
書類提出。
再び待つ。
そして、再び番号呼ばれるっ!


愛車 HONDA PASSPORT君と再会!!!


あー、たった数ヶ月だけなのに、めちゃくちゃ懐かしい銀色ボディーの愛車(笑)
一応ダメージがないかどうかチェックして、無事に受け取れたーーー!任務1、完了。結構あっけなく出来ちゃったのでめちゃくちゃホッとした。




続きましてー、

任務2: マトさんをピックアップ


マトさんは船でハワイ入り。船の入り時間に合わせて待ち合わせ予定。場所はアロハスタジアムの横、Ford Island。戦艦ミズーリがある場所です。Navy Lodgeという私達が宿泊予定だったホテルもFord Islandにあります。Sand IslandからHONDA PASSPORT君を走らせてドライブ。ハワイの道は慣れたもんだったので、地図無しでも大丈夫。道は単純だけど、ややこしいのはマトさんの入り時間と私の到着時間が合うかどうか。マトさんが居ないとLodgeにもチェックイン出来なかったので、とにかく待ち合わせ場所に向かったら、なんと船はもう港に入ってた。携帯鳴らしたら、1発で繋がるというミラクル。船にいると電波届かなかったりもするから、ラッキーだった。そんなこんなでマトさんとの待ち合わせもめちゃくちゃスムーズに、任務2も無事完了。やれば出来んじゃん、あたし(笑)


あとはいつもの感じです。



マットに、おまかせーーー!


で、Navy Lodgeにチェックイン。
ここはキチネットも付いて軽い自炊なら出来る。
Navy Lodgeはベースに必ずあって、ミリタリーファミリーの引っ越しには大変助かる物件です。

そのNavy Lodgeへは1週間の滞在予定。本当は家が見つかるまで居られたら良かったけど、この時期予約がいっぱいで、辛うじて取れた1週間だった。

とりあえず、春美さんもこのLodgeの滞在期間だけハワイに居てくれる予定です。チェックインした後、乳児を連れてのフライト、そして任務遂行のプレッシャーから解放され、疲労困憊で春美さんに娘預けて仮眠させて貰ったのを覚えてる。春美さんが帰っちゃったらもう甘える場所はないので、最後の甘えです。きっと春美さんも時差ボケで疲れてたと思うけど。でも、うちの心イケメンの父が、日本を経つ前にこう言いました。


"お母さんにいっぱい甘えて良いからな"



甘えられる側の母からの許可ではなく、お父さんからの許可。俺の春美に甘えて良いぞ的な(笑) まぁそれは冗談ですが、父は今でも私が里帰りする度にそう言ってくれます。お父さんの優しさです。

甘え過ぎては良くないと思いつつ、お母さんには甘えてしまいます。でもきっと、一番春美さんに甘えたいのはお父さんなはずだけど(笑) でもせっかくのご厚意ですので、ありがたく甘えた。でもやっぱり安心して子供を預けられる存在がいるというのは、子育てにおいて凄く貴重だ。
心イケメンの父の言葉を借りるなら、今となってはこう思う。


"甘えるより、甘えて貰える方が良い"



甘えてしまう方が多いかも知れないけど、出来ればこうありたいなと、そう思う。



1週間の滞在中、何はともあれしなくてはいけないのが

"家探し"


1週間後にはNavy Lodgeも出なくてはいけません。なので先ずは"Housing Office"に行って、いわゆる社宅を申し込む事にした。この時、すぐに空きがある物件は2軒あった。一つは空港横、通勤に便利なエリアのタウンハウス。以前従姉妹Sちゃんが住んでいた、全裸クセスゴパンタロン男に出会ったあのエリア。通勤にも買い物にも物凄く便利だけど、物凄く古い&2階建ての2階部分だった。うちには愛犬Daveがいたので、出来れば庭が欲しい。そしてその古くて薄暗い家が私にはどうも嫌だった。家を探す時、私には何か"第六感"的な物が働く。ペンサコーラでもそうだった。どうにも嫌な雰囲気がする家に、これからマトさんが船に乗って長期で帰って来ない日々が多くなるので、娘と2人+1匹だけでお留守番する事を考えると、あの家はどうも嫌だった。マトさんもあまり好きになれない様だったのでお断りした。



2軒目はなんとKapoleiという街だった。聞いたこともなけりゃ行ったこともない街だった。今ではKapoleiは開発が進み、オアフ島第2の街的な感じに進化してるけど、当時はまだまだそんなに栄えて無かった。何しろ早起き嫌いなマトさんが毎日パールハーバーに通う事を考えると、ちょっとその距離が引っ掛かり、こちらもお断りせざるを得なかった。ちなみに今だったら全然余裕で住める距離だけど、当時はまだ知らない土地だからちょっとビビってた。


当時はスマホがないから、貸し物件を探すのは新聞やコミュニティの掲示板とかが多かった。ネットでも探せたけど、まだまだそんなにネット検索が主流でも無かった気がする。社宅も2軒のオファーを蹴ってしまったせいで、次は2ヶ月待ち。


帰国が迫ったある日、春美さんが孫へのプレゼントで赤ちゃん用ウォーカーを買ってくれた。アメリカの家庭にはよくあるこのウォーカー。まだ足は届かないから、ゴロゴロ転がらないけど、やっと座れる位になってた娘を座らせた。せっかく買って貰った記念に座らせて写真撮って帰ってお父さんに見せて貰おうと思った。それまではアー、とかウーとか言えるようになってた娘ですが、そのウォーカーに座らせた瞬間、その時はやってきました。


"ウォーカーテーブルにくっついてたクマさん見て大爆笑"


初めて声を上げて、ゲラゲラ笑い始めた。
スゴーい!私がドリフ見てる時くらい大爆笑してる(笑)
今だったらスマホで即効ビデオに撮るけど、当時はデジカメだったか、なんかカメラで撮ってその時を納めたけど、その写真が見つからない(泣) 娘の初めてに、春美さんが居て、一緒にその時間を共有出来たのはとっても嬉しかった。



そんな嬉しい時間もあっという間、春美さん帰国のお時間です。


もうこの頃から私にとって"空港"という場所はワクワクドキドキの楽しい場所よりも"涙を堪える場所"という位置になった。出迎たり、出迎えて貰ったりの時の嬉しい気持ちと、直ぐにやってくるお別れの時間が背中合わせだって事を考えちゃう。苦手なんです、涙は。


空港にお母さんを送りに行って、1人で飛行機に乗る春美さんが心配で、お母さんが帰っちゃったら次はいつ会えるのかなって思うと寂しくて。考えただけでも涙出ちゃうけど、ここで私が泣いたらお母さんに心配かけちゃうから。グッと涙を堪えるお時間です。でも堪えたってきっと声はちょっと震えるし、鼻だってグズグズしちゃうし、バレバレなんだけど(笑) それでも小さい子供のように、ワーワー泣いたらダメだから、頑張れ自分。


でも泣きたいのは私だけじゃない。春美さんだってちょっと堪えてるのは分かる。お互いに我慢。私、お母さんが泣いたのを見たのは2度だけ。私が結婚式の準備の時に言ってしまったちょっとイジワルな言葉の時、もう1つは潤子おばあちゃんが亡くなった時。いつも強いお母さんはあの時は"潤子おばあちゃんの娘"に戻ってた。"お母ちゃん"そう言って手を握ってた。本人が覚えてるかわからないけど、いつも笑って泣き顔なんて見たこと無かった春美さんの涙は、高校生だった私の心にとても深く刺さった。お母さんと離れる事は、いくつになっても寂しいに決まってる。


私が寂しくて泣いたら、お母さんだって帰りにくい、そして何より今では私がお母さんだから、母親の泣く姿は極力子供に見せないように、、、と思うけど、まぁ隠しきれないよね。でも出来るだけ我慢。


親族にアメリカ人が3人もいるので、アメリカ文化、特にバグにはやたら慣れてる感があるうちの家族ですが、日本人同士だとやっぱりバグってなかなかしない。でも空港では春美さんはいつも私を抱き締めてくれます。バグという表現よりも"抱き締める"っていう方がしっくりくる。


"頑張るのよ!"


って、いつも一言そう言ってくれる。
言われなくても頑張るしかないんですけど、お母さんにそう言って貰えると少し余計に頑張れる気がします。
ゲートを通って段々見えなくなるお母さんの姿を涙を堪えて見送って、この日からしばしホテル暮らし。唯一予約が取れたというそのホテルは、空港横のBest Westernという、キッチンもない狭いホテルでした。車も1台だから、マトさんが仕事終わるまで出かけるに出かけられない。まさにホテルに缶詰めな日々。作家でホテルに缶詰めで原稿書いてるとか、そういうかっこ良さもない。ただただ、娘と2人きりのホテルで、常に半裸で授乳がメインの缶詰め生活。そんな缶詰め生活で救われたのは、春美さんがプレゼントしてくれたウォーカーでした。


クマと見つめ合っている間は、娘は上機嫌。私も娘から一瞬でも手が離せる時間は大変貴重。なんて書いてて思い出したけど、日本に滞在中にバネ指が悪化して腱鞘炎になって手術した。妊産婦、更年期の女性に多い症状らしいです。娘を抱くのも、箸も持てないくらい痛くて大変でした。ホルモンバランスが関係してるんだって。私も再びもう妊産婦ではない方のホルモンバランスの微妙なお年頃に差し掛かりつつあるから、気を付けます。皆様もお気をつけください。


出産後、実家で助けて貰って子育てしていた時間も終わり、私の"娘"という立場は消えて、残ったのは母親、妻という肩書き。ここから、甘える場所も時間もなくなります。子育ての大変さ、深さを覚え、親がしてくれた事のありがたさを本当に実感し始めたのはここからでした。


さて、どんなハワイライフが待っていたでしょうか?




《今日のヒトサラ》

ローカルに愛された空港横の名店"Byron's"
↑過去記事ですが、以前Hawaiian Breez Lanilaniというwebサイトで書いたByron'sの記事です。

もう何年か前に閉店してしまったお店ですが、ホノルル空港横にあったプレートランチの人気店でした。
滞在していたBest Westernホテルにも近くて何度か食べた記憶。


閉店する時にランチ買いに行った時に何買おうか迷ってたら、ローカルアンクルから"マヨッテル ナラ コレ"とゴリ押しされて食べたのがこのビーフシチューでした。手の込んだ味というよりも、ホッとする優しい味。マヨネーズたっぷりのマックサラダとシチューの絡みが絶妙だった。古き良きハワイが少しずつ減るのは寂しい限り。













エッセイに登場する”出演者”である家族に”出演料”として温泉旅行をプレゼントするのが目標です。イッテQ!の温泉同好会の様な宴会をすべく、各自芸を磨いて待機中との事ですので、サポートしていただければ幸いです。スキ、シェアだけでもすごくうれしいです。よろしくお願いしますm(‐‐)m