ノイローゼ歓迎論―人間の回復を求めてー4
心理的距離と自我
ここでまた家の構造についてもう少し考えてみよう。部屋の仕切りがたやすく開放され、鍵や錠前がないのは、プライバシーの問題になって来る。お互いがいつでも簡単にお互いの部屋に入る事が出来る。それは、お互いの生活の空間がハッキリした境界が無いばかりでなく、むしろ生活空間も生活時間も一緒にする場合が多い事になる。こういう状態は、お互いの間にハッキリ
「洗脳された挙句」
洗脳されていても常に違和感はあって、そのうち希死願望が芽生え始めた。
「どう死のうか?」
というよりは、このまま消えてしまいたい。
「目覚めたくない」というような感覚で、積極的に死を望んでいたわけではなく、あくまで受け身のような感覚だった。
その理由が、愛息子がいたからなのか、洗脳で自我が消滅したからなのか。はたまた全然違う理由なのかは今も全く分からない。
ただ漠然
ノイローゼ歓迎論―人間の回復を求めてー3
その微笑は謎ではない
こうした意味で、微笑は意味のない微笑でもなければ謎でもない。それは学生にとっては、一方に於いて自分を精神的混乱によって圧倒される事から守り、他方において外国人教師の感情を傷付けない為の精一杯の努力と誠意の表白なのである。
さて、以上の事からこの日本人の学生は、外国人教師が考えたように責任を実行したかどうかは別として、責任に対する感情が