私、坊主女子です!
私は大学2年生の青春真っ最中に大きな選択をした。それは、『女だけど坊主にする!』というものだ。
私が大学生になったのは、コロナ真っ只中の2021年だ。授業は全てオンライン、同級生も画面上でしか会えず、友達と言えるような関係になることなど不可能だった。それでも、もう少し経てばコロナも終わり、大学に通って、授業も対面で、友達もできる!、そう考えていた。
しかし2年生になっても社会の状況は変わらなかった。そんな毎日に嫌気がさしたのか、朝起きられない日々が続いた。そして、ある日突然、朝起きると髪が大量に抜け、身体は傷だらけになっていた。これは只事じゃない、おかしい、と感じた家族は大慌てだったが、そこで私は、『あぁ、精神的に限界だったんだ…』と妙に納得してしまった。
それから親に病院に連れて行ってもらうと、適応障害、起立性調節障害、抜毛症、自傷と診断され、薬も出された。
最も辛いのは抜毛症で、私の場合、寝ているときに無意識のうちに髪の毛を自分で抜いてしまうことだった。日に日になくなっていく髪がとてもショックで、外に出るのも帽子などで隠す必要があり、それでも人目が気になるようになった。そのときはただただ辛くて自分の好きなことや趣味もできず、生きる希望を見失っていた。
そんなときに姉に、ウィッグをつけて一緒に好きなアーティストのライブ行ってみない?と誘われた。私は行きたいけど不安がいっぱいだった。しかしアーティストさんの絶対に楽しませるから!という言葉を信じて2人で行くことにした。そのためにウィッグも購入した。当時は何も知らなかったが、姉が全て調べてウィッグが初めてな上に、人目が気になっていた私でも抵抗なく被れるように、完全個室で実際に被ってから購入できるお店を選んで一緒に買いに行ってくれた。そして、ライブまでの日程が近づくと、引きこもり気味だった私に、『電車に乗って行くしかないけど、一緒に行くから、大丈夫だから行ってみよう!』と背中を押してくれた。
そしていよいよライブ当日、電車や会場は人でいっぱいで、私は正直来なきゃよかったかも…、と思った。人目が怖かったし、何より周りがキラキラして見えて、自分だけ取り残されたような気分だった。そんなドキドキバクバクの大緊張の中、いざライブがはじまると、そこには私の大好きな輝いているアーティストの姿があった。私は『あぁ、来てよかった、生きていてよかった…』と涙が止まらなかった。
その後も何度かライブがあったが、行けたり、行けなくて親に代わりに行ってもらったり、の繰り返しだった。
そんなときに、SNSでたまたまとあるインフルエンサーを見つけた。その人は脱毛症でありながらも、髪の毛のことを受け入れて前向きに発信し続けていた。その姿にすごくパワーをもらった。さらに、かっこいいから!と自らスキンヘッドにしていることを知り、衝撃を受けた。
また、何度か行って思ったのは、ライブに来ている人みんな好きな格好をして、好きな髪型をして、羨ましいな、だった。それに比べて私は、周りを気にしてビクビクして……。『あぁ、もうなんかめんどくさい!というかもったいなくない!?』そう感じた。
それから、私は思い切った選択をした。それは、無意識のうちに自分で髪を抜いてしまわないように、また、その恐怖から逃げるために、坊主にしてもらうことだ。抜毛症で抜けて長さがバラバラな状態でずっと気になっているより、気分がスッキリするんじゃないか、と考えた。もちろん、家族は反対していたが、私がどうしてもやりたい!今の自分と変わりたい!、と言うと、バリカンまで用意してくれた。
そしていざ、坊主にするときはドキドキでいっぱいだったが、それも嫌だったり、不安だったり、のドキドキではなくて、普通に髪を切るときみたいに、『どうかな、似合うかな?』みたいな感じだったのも印象に残っている。
それからはだんだんと、本当にゆっくりだけど、他のライブにも行けるようになった。ウィッグを被って行くこともあったが、大半が被らずに行った。トイレなどで見られることはあったが、基本的には誰も興味ないという感じだった。また最初は、私の中でこれが私らしい!だから大丈夫!、と言い聞かせていたところもあるが、徐々に自分自身を受け入れられるようになった。だから、どれもとても楽しくて最高の時間を過ごすことができた。
実際坊主にして1、2年経ってようやく感じたのは、『意外と周りは自分のことなんか見てない』だ。夏、暑すぎてウィッグを被らず坊主のまま買い物に行っても特に何もなかったし、近所のおばあちゃんなんかも『かっこいいわね〜』と褒めてくれるぐらいだった。何より、『女だけど』と性別に囚われていた自分が一番偏見を持っていたと気づいた。私はなんてちっぽけなことで悩んでビクビクしていたんだろうか、と呆気に取られるぐらいだ。
今も少し伸びると無意識のうちに抜いてしまうので、坊主女子として過ごしている。まだ、人目が気になることもあるけど、だんだんと堂々と歩けるようにもなってきた。
今も心療内科には通っているが、病気も軽くなり、自分の気持ちもスッキリし、少しずつだけど前向きになったと感じる。だから、挑戦してみようと言ってくれた姉をはじめ、受け入れてくれた家族には感謝の気持ちでいっぱいだ。そして何より、『女だけど坊主にする!』と思い切った選択をした自分自身も褒めたいと思う。