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40年前、品川駅で私は未来を見たのかもしれない。

まずは自己紹介。出身はどこですか?

はじめて会った人と会話を始める時、たいていの人は

出身はどこなんですか?

なんていう会話から始める人が多いはず。

えー、わたくし、生まれも育ちも、品川北品川です。
高輪、柘榴坂上の船員病院で産湯をつかり、
姓はエバ 名はユリと発っします。

寅さん風に言えばそんな感じ。
エバユリ、それが私の名前。


1丁目と2丁目の純血サラブレッド

JR品川駅を出て、八つ山の踏切を渡ると
旧東海道53次一の宿、品川宿の入り口。
そこが私が生まれ育った街だ。
生まれも育ちも東京で、ずっと地元に暮らすのがあたり前田のクラッカーだと思ってたけど、あれから45年、私はハワイで暮らしている。
若いころは地元品川神社の祭りが似合う男性が好みのタイプだった。
祭りを基準に1年が回っているといっても過言ではない街だ。街には神輿を担ぐと肩にできる「神輿ダコ」を持つ人も多い。ただのタコじゃない。その大きさといったらかなりの物。神輿ダコを知らない人からすれば、ちょっと見てはいけないもののように見えるかもしれないが、地元ではちょっとした勲章のようなものである。ちなみに私は勲章持ってないですけど。結婚してもずっと地元で暮らしていきたい、そう思って育ってきた。だから今でも6月の祭りの時期にになれば、ハワイで聞こえるはずがない品川囃子が聞こえてくるような、聞こえてないような。一人空耳アワー。
笛の音がね、ふっと聞こえた気がしちゃうのよ。
品川囃子は笛の音が特徴的なのです。まだまだ私の中に残る品川の血が騒ぐらしい。
これも北品川の人あるある。そのくらいお祭り好き、地元好き、大好き。だけど人生何があるかわからないものである。何がどうなってそうなったのか説明は後々していくとして、運命のお相手は海を越えた向こう側の人だった。ちなみに言葉も通じなかった、英語なんてわからん。
そして相手だってニホンゴワカリマセーン。
もう一度言いますが、人生何が起こるかわからないのです。何が起こるかわからないから、楽しいのかも。

品川といえば多分ほとんどの人はJR品川駅前の様子を思いうかべると思う。

”えー!めちゃくちゃ都会!”

たいていはそんな反応が返ってくる。
都会=金持ちとか思われがちだけど、
そんなことは全くない、残念ながら(笑)
しかも品川駅は港区高輪。
うちは港区高輪の隣の北品川。
北品川も5丁目だとちょっと高輪寄りなセレブ感ありだけど、我が家は5丁目がある御殿山をおりた下町、遠く離れた1丁目だ。下町感の半端ない、賑やかな商店街で育ってきた。でも生まれたのは港区高輪の病院だ。出生地、港区高輪。ちょっとセレブっぽい響きにしがみついてみる。だがしかし、我が家はセレブでも何でもない。我が家はそこで代々生まれ育ってきたから都会に住める、そんな感じ。母は北品川1丁目、父は北品川2丁目で生まれ育った。母においては生まれてから一度も住所変わっていないと思う。父は引っ越し経験あり。2丁目から1丁目、多分200mくらい。私は1丁目と2丁目から産まれた北品川純血サラブレッドだ。


品川は昔からインターナショナルな街だった

今では品川駅も随分と大きくなったけど、
私が小さい頃は港南口には何もく殺風景なものだった。
あるのは芝浦と場(今の食肉市場)くらい。そこから牛が逃げ出して、北品川のパチンコ屋に逃げ込んだという話は、小さいころから何度も聞いたことがある。この話、北品川の人ならきっと1度は絶対聞く”北品川あるある”の1つではないかと思う。昔は高輪口のが圧倒的に栄えていた。
品プリ、パシフィックホテル、高輪プリンスに新高輪プリンス、駅前にはホテルもたくさんあった。

今の品川駅は港南口は、ビルが増え、オフィスで働く人も多く、何しろ今では新幹線の駅もある。
そのうちリニアモーターカーの駅もできるらしい。今日のコロナ感染者数のニュースといえば、
たいてい品川駅の通勤風景がテレビで流れる。
否定はしない。都会は都会なのよ、品川は。

小さいころ、品川駅前(高輪口)には外国人が溢れてた。英語ワカリマセーーンだけど、外国人は見慣れてた。駅前の信号ですれ違う外国人たちはなぜか真冬でも半袖を着てる人が多かった。なんで冬に半袖なのだろうか?きっと冬服忘れちゃったんだって思った、最初は。

高校生の時、マライア・キャリーが来日して、
渋谷のタワレコを闊歩する映像をテレビで見た。

”キャミソールにダウンジャケット”


なんか違和感。夏のキャミソールに真冬のダウンジャケット。
マライアも冬服持ってくるの忘れちゃったのかね?
いやいや、これは多分見せたいのねナイスバデー。
私も持ってたら見せたいかも、ナイスバデー。
残念ながらワタシ持っていないナイスバデー。
バランスがおかしかねぇのか?とは思ったの。
暑いのか寒いのか?寒いに決まってるんだけど。
やせ我慢してもかわいくきれいに見られたい女心なのだろう。
品川駅の外国人と言い、マライア・キャリーといい、体感温度のズレ。
イッタイナンナンダ?
そう思った。

40年前、私は品川駅で未来をみたのかもしれない

2022年の年末、私はハワイから家族で品川に里帰りをした。
諸事情あって、私と娘、息子の3人は先に日本へ入り、
その後1週間ほどして夫(マト)が来る予定だった。

日本のテレビを見ると、連日天気予報では冷え込みが強いだの、
今年はいつもより寒いだのといういうのを聞いていたので、
寒さに備え、私も厚手のコートを新調して、
息子も娘も新しい温かい冬服を着て過ごした。
久しぶりの冬服、それはそれで楽しかったりもする。
だってハワイでは厚手のコートもかわいいムートンブーツもはけない。
なんなら長袖もあんまりいらない。
そんな場所に暮らしていると、冬の寒さも少し新鮮に感じる。
だけどやはり寒さは強いなという印象だった。

1週間後、夫が一人でハワイからやってきた。
もう何度も来たことがあるところだから、
空港まで迎えにもいかなかった。

「ヒトリデ ダイジョウブ」

そう言うから。

だけど・・・、空港を出たきり連絡が付かない。
電話もつながらないし、メッセージも既読にならない。
迷子になっちゃったかなー、そう思った。
夫が日本へ来るのは実に4年ぶり。

そろそろ、駅まで見に行こうかなって思ってコートに手を伸ばしたその時、
スマホが鳴ってドキッとした。
まさか警察・・・と思ったけど従姉妹だった。
ほっとしたのもつかの間、

「うちのお店に、寒そうな外国人が・・・」

というメッセージが来た。
この日東京品川の気温、調べたら最高は10℃、最低は0.1℃。
陽が暮れた後、夜だったから結構な冷え込み。

だけど、そのお店に現れた外国人は、

なんと、


半袖短パン

で現れたらしい。


それを聞いて思った。

夫”マト”(アメリカ人43歳、男性、体温高め)に違いない。

家からそのお店に向かった。
歩き始めてすぐに、ガタイの良い半袖短パン男が、
ゴキゲンな様子で私に手をブンブン振っている。

「ツイタドー!マヨワズ ツイタドー!」


常夏の島ハワイから、島で過ごすのとまったく同じ格好で真冬の日本にやってきた。防寒具ゼロ。


それ見て思った。


あんとき品川駅で見た外国人だ。
あんときのマライアキャリーだ。

でもマライアキャリーですら、ダウンジャケットは着てたのに。
品川駅の外国人も、羽織ものくらいは着てた気がするけど。
マト(夫)はマライアみたいなナイスバデーもないのに、一体何を見るというのか?いや、ただ暑いだけ…。

きっとこの年末、品川駅周辺にはあの頃の私と同じ持ちの小さな子供たちがたくさんいたはず。ってかすれ違った人全員そう思ったはず。

なんで夏服?

40年前、私は品川駅でフューチャー(Future)をルック(Look)したのかもしれない。そして40年後の私に言ってあげたい。
未来のYouは、そんな半袖短パンの外国人と人生を共にしていると。
‥‥隣を歩くと、みんなの視線がなんとなく刺さってちょっと恥ずかしいから覚悟しておけ、と。
Good Luckワタシ。


半袖の外国人が現れた店“居残り 連”

真冬に半袖短パンの外国人が現れたという連絡を入れてくれた釣りバカ・・・じゃなかった、釣り好きの大将が作るお料理は絶品。
度々テレビの取材を受け、そのたびに大将がやや緊張気味でお料理の説明してます。江戸落語でお馴染みの「居残り佐平次」に
登場する鰻の名店「荒井家」さんの跡で営業していることもあり、その粋な外観を写真に収めていく人も多い。味もボリュームも私が太鼓判◎
大将のブログもおススメ。



エッセイに登場する”出演者”である家族に”出演料”として温泉旅行をプレゼントするのが目標です。イッテQ!の温泉同好会の様な宴会をすべく、各自芸を磨いて待機中との事ですので、サポートしていただければ幸いです。スキ、シェアだけでもすごくうれしいです。よろしくお願いしますm(‐‐)m