2024年1月の記事一覧
私のカウンセリングやセラピーを受けられるかた、検討されるかたへ―心理療法の対象
私のカウンセリングや心理療法を受けられる場合(基本的にどこのセラピストの心理療法や身体アプローチ療法でも同じだとは思うのですが…)、こういうクライアントさんを対象としていますよ、ということを、記事としてみます。
まず、前提として、前回、心理療法と医療行為の違い、という点をある一角度から記事にさせていただきました。心理療法とはまずこういうものですよというところ。
なので、まず、クライアントさんが
セラピーに向き合う支えや報酬は、何より自分自身-医療行為と心理療法の違い
医療と心理療法の違いを、専門家でない人に説明するのは非常に難しい。
その中でも、ひとつ。
医療、医療行為というのは、基本的に、目的は「不調や異常を治す」のみである。そのため、既にマイナスになっているものをただただゼロに戻す、とか、普段の症状よりも毎回の通院時の「治療行為」自体が苦痛だったり痛い厳しいものであったりする”イメージ”がある。
あとは、「治すための治療行為」であるにも拘わらず、(これ
音楽も心理カウンセリングーこの歴史上のすべては「体感」から始まる
実家で少々面白い話を。
音楽家ではないが趣味としてギターや笛などを演奏する父より、その場にいた音楽家である母と私に向けて、「弱起(アウフタクト)の曲と通常の曲はどうやって区別するのか」と聞かれた。
弱起(アウフタクト)とは1拍目からメロディーが始まるのではなく、その少し前の要するに3拍目や4拍目から始まる曲のことを言う。その説明はまあいいのだが、そこで思うことが、
曲の「1拍目」を感じること
24時間365日繰り返される”セルフトーク”―あなたの人生は常に改造し続けられている
世の中には、ありとあらゆる医療、心理療法や身体的アプローチの技法がある。
そして、その中でも、今までの記事でも何度か書いているが、催眠療法というのは、潜在意識(ひとや人の人生日常の実に9割以上を占める部分)を扱う理論であるため、それら総ての技法、理論に根底で繋がるものだ。
世の中の多くの人は、ご自身の人生で身体や精神に何か自覚として不調を感じたとき、やっとのことで、専門家にかかろうとする。
日
自分の人生(姿)を見ている(見たい)のは、実は自分自身だけ
自分は今、あの人からどう見られているのだろう…
あの時、私は〇〇さんにどう思われただろう…
自分は周りからどう見えているのだろう…
〇〇さんは私のこと、〇〇と見えている、思っているに違いない、そうなはずだ
周りはみんな、私のことをこう思っているに違いない
……などなどと、日常、人生の中で、いつも思ってしまう人、ありませんか?
いつもいつも、どんな場所でもどんな時でも、そこに誰かいてもいなくても
人生の手綱を自分で握るとはどういうことか/対人依存とは―裏に隠れた破壊的プログラム
私は、顕在意識と潜在意識の説明をするとき、また、人生という登山を例えるとき、意識領域(自我・自覚)を、目の見えない人だと例えることがある。
これは、私のクライアントさんたちには非常にわかりやすいと言われることが多い上、何を説明するにもほとんど同じ系統の例えを使うことができるので、なかなかに良く使う。
さて、前提的なところは、今までの記事の中でも大分書いているので省くが、人は誰しも人生という登山、
生きることは、活きること―息をし、粋に、生き、活き、行き、逝く
生きるとは、呼吸することではない。行動することだ。-ルソー
生きることは、活きる、活かされる、ことです。
そしてまた、”逝き”方も、ご自身にとって、より好くなることです。
もちろんですが、生きる(活きる)と、呼吸の意味での”息”も楽に円滑に、あなたにとってより好くなります。
生き
息
活き
逝き
大きな一連がすべて、一体となり、あなたの中で最大に動き出し、あなた自身が最大最高に発揮されるこ
葛藤と潜在意識/催眠療法の得意領域
私は催眠(潜在意識)の理論・しくみをベースとして、身体調整法や他の心理療法を複合的に組み合わせるなど、クライアントさんによって多岐に亘るセラピーを展開します。
催眠療法の中だけでも、そもそも本当に多岐に亘る種類の手法があるのですが…。
もちろんクライアントさんの問題の内容やクライアントさんおひとりおひとりに合った方法をとります。
その中のひとつ、という意味ではありますが、
「葛藤」や「迷い」と
回復・克服・楽になる・人生を心地良くする・鎖を手放し自由を獲得する「覚悟」
ふと思ったが、もしかしたらこれも、私がしばしばクライアントさんに「心理でのブラックジャック」と呼ばれる所以のひとつかもしれない。いつか記事にも書いたことなど、所以自体は複数あるのかもしれないが…それに私自身が手塚治虫氏のその作品に詳しくはないのだが。
なかなか思わない人が多いかもしれないが…
人生というのは、例え何をするにも、どんなことをするにも、覚悟(勇気・決意という言い方もできるかもしれない
私のコミュニケーションレベルの体験から―コミュニケーションの段階と方向性
私は、幼少期から、表面的には例え真逆のことを言って対立しているような人たちの両言い分も、大抵、「全く同じこと」を言っているようにしか思えなかった。
わかりやすいあからさまな例でいえば、例えばだが、
一神教と多神教の宗教対立などであっても、本当に例えて言うなら、
A「カブトムシには角があるんだ!」
B「いいや、カブトムシには一本の角があるんだ!」
A「だからカブトムシには角があるんだと言っているだ
解離性障碍と催眠の関係性
どうでも良い呟きとして、ふとどうにも綴ってみたくなって書いた記事。
言語化がひどく難しい領域の話であるので、語弊を生みやすいかもしれません。また、文中でも記しておりますが、解離性障碍のみの話ではありません。
解離性同一性障碍当事者は、壮大な壮大なパーツセラピーの途中。
解離性同一性障碍で交代人格が120人以上に達した上、結果的に一番奥底(=一番外側という言い方もできるかもしれない)から包括した
セラピー(癒し)とは何か
自分自身を知り自分自身の中で断絶されてきた自分自身と本当の意味で繋がり、自分の人生の問題を解決し自分の内側を整理してきた人…つまり、
自分自身が癒されている人は、
世の中のすべて、人生のすべて、日常のすべての事象、すべての刺激、すべての時間を、
すべてを自分のセラピーとして、また自分の成長の糧として、受け取ることができます。
そして、しかも、自分の中に制限がかかった人は、物事をかなり狭まった、
現代日本人に蔓延する見えざる危機/私個人の本年の方向性
私のなりふり構わぬスタンスのセラピーのやり方は(なりふり構わないという言葉に当て嵌まるのだろうなということすら、実は最近自覚してきた)、私にとって、恐らく変えようと思ってもなかなか変わるものではないだろう。
ある程度変えることは可能だが、そもそものベーススタンスは私自身の奥底が、変えるつもりがないからだ。
これは、どうしても自身の奥底を見て、痛感せざるを得ない。
私が生きている、私がセラピス