#オールカテゴリ部門
せっかく人間を演じているのだから、最後はハッピーエンドがいい。
これは私が高校生の頃、演劇に青春を捧げていた時に出会った言葉。
シェイクスピアの戯曲の中には、この言葉に酷似した言葉がよく見受けられ、ここから彼の信念のようなものを感じられる一節だ。
簡潔な表現であるからこそ、捉え方は人それぞれだと思うけれど、私はこの言葉を二つの意味で解釈している。
「今起きていることばかり仰視するのではなく、人生という一つの戯曲を観劇するかのように生きるべきだ」
「生ま
ハワイには日本人が忘れかけている真心があるらしい。
最近パタパタとしていていつもは3ヶ月おきに行っていた美容院を4ヶ月も開けていることに気づき、梅雨が近くなったのでカットと縮毛矯正もあわせて予約をした。
私は小さい頃からうねうねした癖っ毛が好きではなく、もともと顔が大きいということもあって、ボブにすればキノコになるし、ショートヘアなんて扱いきれなくて論外だった。
というか子供の頃から母と私がお世話になっている美容院のお兄さんにショートヘアだけは
肩の力を抜いて幸せの基準値を下げてみる。
花粉の時期が終わりを告げて
やっと自由に窓を開けることが
できるようになりました
浴室乾燥にお世話になっていた洗濯物も
やっとベランダに干すことができるし
暑さに耐えかねて
ベッドの隅っこに追いやられていた
分厚い毛布はお天気の良い日にベランダに干して
クローゼットにしまいこんで・・・
日差しがたっぷり降り注ぐ日に
窓を大きく開け放って
深呼吸できることがどれだけ幸せか
これは恐らく花粉症
可愛いと思える瞬間を見つけたかった。だから私はselfieを撮り続けた。
「私は可愛くない」
顔は大きいし
鼻は大きくて丸いし
面長だし
言い出したらキリがないけれど
自分に自信があったことなんて一度もありません。
小学校高学年の頃から眼鏡っ子で陰キャだった私は
お洒落とは程遠い存在で
更に言うなら田舎だし友達少ないし
流行りにも疎くて
自分がモサいことにも気づきませんでした。
学生時代の写真はほぼ黒歴史ですね。
思い出したくない記憶・・・
そんな私がセルフポ
入れたままになっていたフィルムには小さな私の見ていた世界が写っていた。
みなさんは小さい頃の記憶はどこまであるだろうか。
人によって小学生の頃まで覚えている人や、幼少期のころまでハッキリ覚えている人、お腹の中の記憶もあったなんて人もいるかもしれない。
私はというと、断片的に小学生の頃がやっと思い出せる程度。
思い出は記憶の中にずっとあるものだけど、次第に新しい記憶に埋もれて薄れていくものである。いつまでも明確に1から10まで覚えている人はそう多くないはず。
しか
ばあちゃんが作ってくれた牛乳とお砂糖たっぷりの「コーヒー」の味。
この世にはコーヒーが好きな人、苦手な人、牛乳を入れれば辛うじて飲める人、ガムシロとミルクをたっぷり入れて、もはやコーヒーなのかいう状態なら飲める人など、様々な人がいる。
その中で私は毎日のようにコーヒーを飲む。
いわばコーヒー過激派である。
(とあるラノベの宝石商の英国紳士を知っている人ならわかる表現)
とくに朝のコーヒーは飲まないと頭が働かないような気がして、時間がない時でも職場に着くまでに