見出し画像

私の過去を小さな瓶に詰めて、noteという大きな海に流してみようと思った上半期。


私には忘れたくない過去と
忘れ去ってしまいたい過去がある。

私にとっての忘れ去りたい過去は
学生時代に塞ぎ込んでいた頃のこと。

こんな私の暗い身の上話なんて
笑い話で片付けることも
酒のつまみにもならないし
誰かに話したことはほとんどない。

話すつもりもなかったし
過去は過去のまま仕舞っておいて
墓場まで持って行こうとすら思っていた。

それでも大人になるにつれ
どこかでその過去が足枷となる瞬間が
幾度となく訪れる。

特にそれを感じるようになったのは
会社員からフリーランスに転身した頃。

ちなみに本業は社員の頃から
お世話になっているフォトスタジオで
継続して働かせてもらっている。

仕事内容はほぼ同じではあるものの
決まった時間に与えられる仕事を熟す側から
自分で時間を選び仕事を取りにいく側になった今
働き方や時間の使い方はどこまでも自由。

カメラマンを初めて6年以上。
子供たちを撮影する仕事は体力勝負で
定年まで続けられるかと言われたら
そうではない。

フリーランスとなった今
新しい事を始めるには最適なタイミングだし
やるなら早いに越したことはないと
徐々に自分のやりたいことを
模索するようになった。




私が好きなこと
やってみたいこと
楽しいと思っていること

とりあえず洗い出してみることにした。

「歌うことが好き」
でも歌手になりたいと思うほどの
強い気持ちはないし
そんな才能が私にはない。

「コーヒーが好き」
資格取得もしたし
カフェ経営も将来の夢としてあるが
調べれば調べるほど
経営の難しさに頭を抱えてしまう。

「映像を撮るのも作るのも好き」
学生時代に培った編集技術で
Vlogのようなものをいくつか作ってみたものの
なんとなく手応えはなかった。

思いついて行動に移すまでは良いものの
最後には決まって

「私には向いていない」

と諦めてばかり。

そんなジレンマのようなものに囚われながら
なんとなく本業を熟してきた。


「私が情熱を持ってやれることってなんだろう」

「私の価値とはなんだろう」

そんなことばかり頭の中で自問自答の日々。

燻った気持ちを抱えたまま
なんとなく過ぎた1年。


それがある時、ふとしたきっかけで
考え方が変わった瞬間があった。


そもそも世間一般的に
「価値」と呼ばれるものってなんだろう。


絵画や骨董品のような美術品
古くから残された書物や建設物
映画や音楽や舞台芸術


金銭が発生することが価値なのではなく
人の心を動かすような物事に価値が生まれ
そこに金銭が発生する。


ならば私が心動かされているものってなんだろう。

音楽・舞台・映画

私の趣味と娯楽。
そこに共通するものはなんだろう。

導き出された答えは
「興味」と「共感」だった。


音楽の歌詞に共感して
そのアーティストに興味を持ったし
舞台や映画の登場人物に共感して涙を流した。


この世には誰一人として同じ人間はいないが
それでも同じ悩みを抱えた人や
同じ考え方を持っている人もいるし
同じ趣味を持っている人もいるわけで。


そういった経験に基づいた共感に
人はシンパシーを感じ
心を動かされるのだと私は思う。


(我ながら無い頭で小難しいことを考えたものです)


結果として「共感」を得るには
まず私の為人や考え方を晒していくことが
必要不可欠だという考えに辿り着いた。


それから私は私の中にある
そういったアイデンティティのようなものを
一度曝け出してみる事にしたのだ。


私のことを知らないネットの海へ。


誰かの心に届くかどうかなんてわからないけれど、まずは自分の過去と向き合うために書いてみよう。



書くことは大好きだ。
一つの物事について考える時間が好きだ。


数ヶ月に一つくらいしか
投稿してこなかったnoteを使い
過去の話と現在の話を
ツラツラと書き始めて約2ヶ月。


トラウマを振り返ることは
不思議と怖くはなかった。


むしろ文字を打つのは実に爽快だ。


心の奥底で蓋をされたままの
幼い頃の私がどんどんと解き放たれていく。

クローゼットの中に絶妙なバランスで
乱雑に積まれたものを
引っ張り出した瞬間に
バラバラと物が落ちてくるように
どんどんと言葉が出てくる。

過去を思い出して
泣きながら書いたこともあるが

同時に楽しかった祖父母との思い出に
ほっこりしたこともある。

不安定な心の天秤を
そうやって調整しながら過去を振り返る。

もともと小説を読むことが苦手で
文章の良し悪しなんてわからない。

それでもただ自分が書きたいこと
解き放ちたい過去を書き続けた。


それから暫くして

細波のように少しずつではあるが
ビュー数とスキが増えていくようになったのだ。

時折温かいお言葉をいただける機会も増えて
涙が出そうになることもある。


私の思いが誰かに届いている。

共感し興味を持ってくれている人がいる。

なんだか過去の自分が
少しずつ報われている気がした。


心が暗く閉ざされて
命を手放す勇気もなく泣いたこともある。

心が空っぽで泣けなくなったこともある。


世の中には私が経験してきた過去なんて
ちっぽけに思えるくらいに
過酷な経験をなさっている方も
多くいらっしゃるだろう。


被害者ぶってるだとか
偽善だとか思う方もいるかもしれない。


それでも私は私のために
過去の自分を清算したかった。


始まりは本当にただそれだけなのだ。


きっと私は過去の事を
心のどこかで吐き出したかったのだろう。


親にも数少ない友達にも
ほとんど話したことがない私の気持ち。


ここ(note)ならなんでも話すことができた。


おかげさまで
最近は過去に囚われることがほとんど無くなり
今に目を向けて
ポジティブな言葉を綴っている自分がいる。


自分で文字を綴ることが
こんなに楽しいとは思わなかった。


そして私はもう一つ好きなことがある。


それはフォロワーさんや
同じハッシュタグで投稿なさっている方の
記事を読ませていただくこと。


一つの物事に対して
いろんな考え方を持っている人がいて
捉え方によっては
表と裏その両面に良さがあることを知った。


そんなお話を読むたびに
自分の中にある凝り固まった考え方が
どんどん覆されていく。


そして私の過去への向き合い方も
自ずと変わっていった。


むしろ今となっては
過去も現在も
無駄だったなんて思いたくない。


何より一生自分を否定し続けたくない。


だから私はこれからも
今を生きる私を見つめ続け
肯定してあげながら
noteに綴り続けようと心に決めた。




しかしながら
それを「価値」と呼ぶかどうかは
私が決めるものではない。

読んでくださる方々だ。

今は私のためだけのnoteなのかもしれない。

価値あるものと呼ぶには程遠い。

それでも私は書くことが好きだ。

できることなら私の記事を読んで
ほんの一瞬でも良いから
誰かの心が動かされる瞬間があれば嬉しい。



そんなことを願いながら
noteという大きな海原で
留まることなく流れ続けて行こう。



遅ればせながら
下半期もどうぞよろしくお願い致します。



由佳

この記事が参加している募集

#今こんな気分

75,545件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?