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せっかく人間を演じているのだから、最後はハッピーエンドがいい。


All the world's a stage, -And all the men and women merely players
人生は舞台、人はみな役者

喜劇『お気に召すまま』より


これは私が高校生の頃、演劇に青春を捧げていた時に出会った言葉。

シェイクスピアの戯曲の中には、この言葉に酷似した言葉がよく見受けられ、ここから彼の信念のようなものを感じられる一節だ。


簡潔な表現であるからこそ、捉え方は人それぞれだと思うけれど、私はこの言葉を二つの意味で解釈している。


「今起きていることばかり仰視するのではなく、人生という一つの戯曲を観劇するかのように生きるべきだ」

「生まれ育った環境は舞台設定、肩書きは役名でしかないのだから、人間という生き物を平等に見ようとするべきだ」


はじめに、ちょっとだけ現実離れ且つ根本的な話をさせていただくと、私たちは生命として人間の形をしているだけであって、もとを辿れば一つの魂が人間の身体を間借りしているようなもの。

シェイクスピアのように人生を舞台、人間が役者であるとするならば、私たちは”人間役”を演じているということになる。


そして舞台には脚本が存在せず、このアドリブ劇の演出家は自分自身。


そんなふうに自分の人生を一つの舞台のように捉えてみるとどうだろう。


自分の人生は喜劇だろうか?

それとも悲劇だろうか?


もしも自分の人生が悲劇だと思うのであれば、それは誰のせいでもなく、自分がその人生を演出してしまっているということ。


「あの時にあんなふうになっていなければ・・・」

「あの経験さえなければこんな自分になってない」


望まぬ環境や人間関係は紛れもない事実だけど、それを引き合いに出して、今の自分が”こうなってしまったこと”を悲観的に捉えているのは自分自身だ。


そんなことはない、と思うだろうか。


ならばこの悲劇的な人生を一つの戯曲として、あらすじを考えてみよう。


「主人公は過去にトラウマを抱え、自分のことが大嫌い。この物語はそんな主人公が、命尽きるまで自分の人生を恨み続ける、救いようのない悲劇です。」


こんなところだろうか。


ちなみにこれは今から数年前
私が演出していた人生のあらすじに酷似している。


ではさらに、この舞台を実際に上演するとして、少しだけ演出を考えてみようか。


音響はポツリと静かに奏でるピアノのBGMだけ

照明は薄暗いブルーと
主人公にうっすらとピンスポットが当たる程度

舞台転換はない

暗転も明転もない


考えれば考えるほど救いようがなさすぎる。
こんな舞台を誰が観に来てくれるのだろうか。


ならばせめて、この救いようのない舞台を、どうすればハッピーエンドで終わらせることができるのだろう。


その答えはたった一つ。


自分の人生に起きた悲劇から必ず学びを得て、成長を続けること。


有名なアニメの主人公を思い出してみてほしい。

ひとつなぎの大秘宝を探し求めた海賊も、里一番の忍を目指した落ちこぼれの忍者も、たくさんの苦難を乗り越えてきただろう。

どれだけボロ負けしたって、それを悲観的に捉えて諦めたシーンを一度だって見たことはないはず。
たとえ諦めかけたとしても、自分を奮い立たせて進んでいく姿に、私たちは心を打たれていただろう。


どうでもいいけど
世代がバレそうな表現をしてしまった・・・

これを理解できた人はおそらく同世代か
私より年上の方でしょう。


そもそも私たちは大秘宝を探し求めているわけではないし、何か大きな成功を治めたいとも思っていないけれど、せめて自分の人生の終わりくらいはハッピーエンドで締めくくりたいとは思う。


だとするならば、まずは人生のあらすじから書き換えてあげなきゃならない。


「主人公は過去にトラウマを抱え、自分のことが大嫌い。この物語はそんな主人公が、数々の苦難を乗り越えながら、生きる意味を探し求め、ほんの少しだけ自分を好きになるための物語です。


こっちの方が少しだけ観客は来てくれそうだ。

きっと音響も照明も緩急がついて、いろんな展開に合わせて暗転や明転を繰り返し、感動も生まれる舞台になりそうな気がする。


人生は演出次第でいくらでも喜劇にできる。


そしてこの舞台の主人公も演出も、自分以外に変わりはいない。

誰かのシナリオを生きているわけでもなければ、通行人Aの人生を生きているわけでもないということを忘れてはならない。


ここまで読み進めても悲観的に考えてしまう人もいるだろう。


「私は誰かより秀でいるわけでもないし、誰かに頼られるような存在でもない、なんなら誰かに愛されるような人間でもないよ」


そんなふうに思うのは誰かのシナリオを生きようとしているか、自分が舞台の主人公を演じることから逃げているだけ。


誰かのためではなく、まずは自分がハッピーエンドを迎えられるようにどう生きるかを考えるべきだ。


自分は”まだ”無力で無知であることを思い知り、それを舞台演出のひとつにして、苦難を乗り越え自分が強くなることで、やっと誰かのために優しく手を差し伸べる展開が生まれる。


この世に生を受けた時点でこの舞台の幕は開いた。


スポットライトから逃げも隠れもせず、この舞台をハッピーエンドに向かい演じ抜くことが、いつか自分の生きる意味になるのだと私は思う。






*.+°Profile*.+°

花崎由佳(はなさきゆか)

フリーフォトグラファーをしながら
メンタル心理カウンセラーもやってます

日々の小さなお悩み、人間関係のお悩み、
自己肯定感や自分らしさのコーチングを
メインにお受けしていますஐ.*+


普段はこんなお話を書いてます↓




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