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昭和40年のクリスマス。
昭和四十年十二月二十五日。クリスマスの日。
このころはクリスマスと言えば二十五日にやるもので、二十四日のイブは主流ではなかった。
とても寒い日だった。
小学校の授業が終わると、ぼくの家の庭には、いつものメンバーが集まった。
隊長がぼくより二つ上で六年生のノリ君で、副隊長がぼくの同級生のニシサだった。あとは近所の五、六人の子どもたちだった。
ぼくたちは、平日はたいていそろばん塾で忙しかった
地下鉄の階段を踏みはずしたその先に。
午後六時五分。会社の帰り道のことだった。
六時十二分発に乗るためにぼくは地下鉄都営新宿線・馬喰横山駅の改札へ急いでいた。
まだ春先の寒い日だったのでコートを着ていた。カバンを斜めにかけていた。コロナの影響ですっかり営業で出歩くことも減ってしまい、運動不足でもたもた小走りにかけていた。
この駅は階段の勾配が急だ。下から列車到着のアナウンスが聞こえてきたので急いだ。うしろから若い女性に抜かれた。
昔は
YMOを聴きながら。 ~映画「遥かなる山の呼び声」のころ~
1979年の夏。入社二年め。
ぼくは松竹の映画宣伝部にいた。
6月に「第23作 男はつらいよ 翔んでる寅次郎」のロケで北海道支笏湖に行き、寅さんの撮影が終わると、こんどは「遥かなる山の呼び声」(山田洋次監督)の撮影で、北海道中標津ロケに参加した。
中標津は釧路のはるか北の方で、撮影場所は、広大な牧場地帯だった。
同じ北海道でも、札幌とちがい、テレビでは見たことがあったが本物の北海道を見て本当にだだ
「消毒しまくりマン」になったぼく。
ぼくはすっかり「消毒しまくりマン」になってしまった。
もちろんコロナのせいだ。
常に携帯用の手指消毒スプレーを持っていて、実は中身はとっくになくなっているので、目下スプレーに入っているのは、他メーカーの消毒液だ。
通勤で改札を通るたびに手にシュッ。そして電車に乗るたびに手にシュッ。電車を降りるたびに手にシュッ。改札を抜けるたびに手にシュッ。駅舎を出たところで、ほっとして手にシュッ。そして会社の入っ