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コーチングでマインドフルネスの大切さに気づいた不惑の人。
未だかつて
これほどまでに穏やかで満ち足りた日々があったろうか。
瞬間風速的な「幸福」と
ゆったりとじんわりと続く「幸福感」は
似て非なるもの。
今現在感じているのは圧倒的に後者。
自分のやっていること
考えていること
全てにおいて
意味や目的を見出す必要のない生活。
厳密にいうと
自分が日々生きていること
生きるためにやっている全ての行為が
自分の幸福と直結している感覚。
洗濯物を干し
#07_コーチング修行中新たなミッションに気づくの巻
5月に入りひたすらコーチングセッションに明け暮れている。
多いときで一日3件。
1回あたりのセッションが大体60分,大体終わった後にもしばらくおしゃべりが入ったりするので結局1時間20分くらいになることも。
とにかく疲れる。
けど,毎回セッションが終わった後に感じられるなんとも言えない幸福感。
特に,こちらの意図しないところでクライアントが
「あ!!」
と,それまでに自分を縛っていた価値観や信
結局は母の心の健康が全てってこと
自分 < 子ども
子どもを育てていると
ついつい自分のことを疎かにしてしまう。
特に子どもが小さいうちは。
自分の睡眠時間も
食事の時間も
ありとあらゆるものを削って
我が子のお世話に費やさないと
子どもが死んでしまうという
とてつもない精神的プレッシャーを背負い
日々削られる体力とメンタル。
いつこれが楽になるのかと
指折り数えながらも
残念なことに
子どもが少しずつ成長して
ある程度自分
先生は ”先生” になったらダメなんだ
教員時代に編み出した完全自己流「いい先生」の見分け方。
それは
自分のことを「先生」と言わない先生。
授業中や
特に大勢の生徒の前で話をする集会みたいな改まった場面になると
「先生は〜だと思いますが,皆さんはどうですか?」
みたいに一人称が自然と私から先生に変わってしまう人が多かった。
ちなみにこれはあくまで中学校の話なので,
もしかすると小学校では「お友だち感覚で関わろうとする児童」
に
いま子どもたちに伝えたいこと#02_他人は変えられない
ある学級委員の悩み4月に新しいクラスがスタートし
連休前後のこのくらいの時期になると
学級委員になったばかりの子からこんな相談を受けることが多かった。
「先生,学級委員になってクラスをちゃんとまとめたいのにみんなが勝手なことばっかりして,全然指示に従ってくれないんです…」
学級委員としての適性
小学校までは
学級委員=担任にとっての良い子
(大人の指示に従える,担任の顔色を読めるなど)
だ
#06_「暇な時間を大切にしなさい。多忙な時より収穫が多いものだ」
1ヶ月が終わったので,レビュー。
この1ヶ月でやったこと
開業届提出
SNSアカウント開設
プロフィール用写真撮影(プロカメラマンに依頼)
コーチング資格取得準備
旅行
会いたかった人と会う
子どもとじっくり向き合う
スピリチュアルセッションを受けて気持ちを整理
気づいたこと
最初の2週間は,
何もしなくても良い時間を与えられ
その時間をめいっぱい暇に過ごすということの難しさ
いま子どもたちに伝えたいこと#01_「あいまいさ」を許容する
「わかりやすさ」に価値を置く社会正義か悪か
白か黒か
正解か不正解か
損か得か
そういう極めて二元論的なものに支配されつつある今の社会で
どちらとも言えない「あいまいさ」を受け入れる力が
大人も子どももどんどんと弱くなっているように感じる。
人々が「わかりやすさ」に価値を置いている社会であるとも言い換えられるのかもしれないけれど,
わかりやすさを追求する過程で
本質的で大切なことがかなり削ぎ