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川端康成関連の連載記事、および緩やかにつながる記事を集めました。
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織物のような文章

織物のような文章

【※この記事には川端康成作『雪国』の結末についての記述があります。いわゆるネタバレになりますので、ご注意ください。】

縮む時間の流れる文章

 川端康成作『雪国』の終章の前半である、縮(ちぢみ)について書かれた部分には――「縮」だから「縮む」というわけではありませんが――縮む時間が流れています。

 この小説では、縮織は縮(ちぢみ)と書かれていますが、縮は産物であり製品です。

 たとえば、ある

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うつす、ずれる

うつす、ずれる

 今回は「何も言わないでおく」の続きです。見出しのある各文章は連想でつないであります。緩やかなつながりはありますが、断章としてお読みください。

 断片集の形で書いているのは体力を考慮してのことです。一貫したものを書くのは骨が折れるので、無理しないように書きました。今後の記事のメモになればいいなあと考えています。

書く、描く
「書く」のはヒトだけ、ヒト以外の生き物や、ヒトの作った道具や器械や機械

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「めずらしい人」(錯覚について・03)

「めずらしい人」(錯覚について・03)

 川端康成の掌編小説『めずらしい人』は次のように始まります。

 地の文で「めずらしい人」と括弧でくくることで読者の興味を惹いています。括弧付きなのですから、意味ありげで訳ありっぽく見えるわけです。

 めずらしい人に会うのはめずらしい出来事ではありませんが、それが度重なるとめずらしいことになります。しかも三日おきか五日おきにめずらしい人に会う人こそ、めずらしい人だと言えるでしょう。

 冒頭の数

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「ない」文字の時代(かける、かかる・02)

「ない」文字の時代(かける、かかる・02)

 川端康成の『反橋』は次のように始ります。

 興味深いのは、この歌を覚えて帰った語り手の「私」の手によって歌が書き写され、それが切っ掛けとなって、絵や他の歌へと話がつぎつぎとつながっていく展開になることです。

 歌が架け橋になっていると言えます。

 かけはし、架け橋、掛け橋、懸け橋、梯、桟。

 当然のことながら、「書く」と「かける」と「縁」という言葉が頻出します。連想が連想を呼ぶように、さ

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話しかける、話しかけられる(かける、かかる・01)

話しかける、話しかけられる(かける、かかる・01)

 誰なのか。

 このように作品の冒頭で話しかけられると、「誰なのだろう?」と読む人は迷うにちがいありません。

 話しているのは誰なのか、話しかけられている相手は誰なのか、と。

     *

 ものいいかける、話しかける、呼びかける、問いかける。

 肩に手をかける、相手の顔に息を吹きかける、相手の顔に唾をかける、相手に言葉をかける。

「かける」ことで相手や対象とのかかわりあいの切っ掛けを

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わける、はかる、わかる

わける、はかる、わかる

 本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)

     *

 今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。

 どの文章も愛着のあるも

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長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)

長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)

「「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)」の続きです。

連想を綴る この三文は私にいろいろな連想をさせ、さまざまな記憶を呼びさましてくれます。

・「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 約物である句点も入れると二十一文字のセンテンスをめぐっての連想を、前回は書き綴りました。

 今回は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号

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「写る・映る」ではなく「移る」・その2

「写る・映る」ではなく「移る」・その2

 今回は「「写る・映る」ではなく「移る」・その1」の続編です。

 まず、この記事で対象としている、『名人』の段落を引用します。

 前回に引きつづき、上の段落から少しずつ引用しながら話を進めていきます。 

*開かれた表記としての「ひらがな」
・「生きて眠るかのようにうつってもいる。しかし、そういう意味ではなく、これを死顔の写真として見ても、生でも死でもないものがここにある感じだ。」

「生き

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「写る・映る」ではなく「移る」・その1

「写る・映る」ではなく「移る」・その1


 川端康成の文章には、どきりとすることを淡々と書いている箇所が多々あります。

 私は読んだ作品の内容を要約するのが苦手なので、内容に興味のある方は、以下の資料をご覧ください。丸投げをお許し願います。 

*「うつっている」
 パソコンをつかって書きうつした(キーボードのキーを叩いて入力した)文章をさらに、一文ずつ、ここにうつしかえて、私の言葉を重ねていこうと思います。

     *

・「し

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目まいのする読書

目まいのする読書


目まいのする読書
 目の前に三冊の本を置いて、同時には無理ですから、それぞれをつまみ食いするようにして読んでいるのですが、さすがに目がまわってきます。あちこち視線を移動させるせいか、読んでいて頭の中がこんがらがるせいか、目まいに似た感覚に襲われます。

 本物の目まいは不快だし苦しいですが、目まいに似た感覚はときとして快感である気がします。

 現在読んでいるのは小説で、次の場面で始まります。

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人が物に付く、物が人に付く

人が物に付く、物が人に付く

 今回は「付く、附く、着く、就く、即く」(広辞苑より)について書きます。人と物との関係について考えたのです。

 まず、古井由吉のエッセイで「付く」という言葉がつかってある興味深い一節があるので引用します。記事の最後では、川端康成の小説で出会った、警句のような趣の掛詞も紹介します。どちらも、物がキーワードです。

 人が物に付く、物が人に付く。

「椅子の上にも十年」
 タイトルから察せられるよう

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letterからなるletters

letterからなるletters

 まず引用します。

 行空けをなるべく忠実に引用したのですが、八章の出だしであることはお分かりいただけると思います。

 二行空けて、鉤括弧の有無が違うだけで同じ文言がつづいていますが、こういうメイキング感を目の当たりにすると、私はくらっと来て幸せな気分になります。

     *

 私は内容やストーリーにはあまり興味が行かない読み手です。その分どう書いてあるかには敏感に反応します。

 私に

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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)

 川端康成作『雪国』の冒頭の段落を引用します。


「国境」(くにざかい)と言えば、国境(こっきょう)を連想しないではいられません。私自身「くにざかい」という言葉を日常生活でつかった記憶はありません。県境(けんざかい)ならつかいます。

 たとえば、岐阜県だと飛騨と美濃の国がかつてあって、いまは飛騨地方と美濃地方と呼ばれています。

 飛騨の北には越中国(えっちゅうのくに)があり、それがいまは富

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『雪国』終章の「のびる」時間

『雪国』終章の「のびる」時間

『雪国』の終章では二つの時間が流れています。「縮む時間」と「のびる時間」です。「縮む時間」については「伸び縮みする小説」と「織物のような文章」で詳しく書きましたので、今回は「のびる時間」に的を絞って書いてみます。

 ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。

     *

「のびる時間」というのは、火事になった繭倉の二階から葉子が落下する瞬間が、くり返し描かれるという意味です。

 

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