マガジンのカバー画像

記事集・H

50
私は蓮實重彥(蓮實重彦ではなく)の文章にうながされて書くことがよくあります。そうやって書いた連載記事や緩やかにつながる記事を集めました。
運営しているクリエイター

2023年11月の記事一覧

まばらにまだらに『杳子』を読む(08)

まばらにまだらに『杳子』を読む(08)


見て見て
『杳子』の「一」を読んでいると、目につくことがあります。くり返されているし、反復されているのです。

 たとえば「見」「目」「感」という文字が頻出します。驚くほど多いのです。まるで「見て見て」と言っているように感じられるほどです。

 そう感じたら、ちゃんと見てやらなければなりません。言葉は健気だし、いとおしいものです。

     *

「見」「目」「感」を見ていて気がつくことがあり

もっとみる
まばらにまだらに『杳子』を読む(10)

まばらにまだらに『杳子』を読む(10)


見る「彼」
『杳子』の冒頭から、視点的人物である「彼」の「見る」身振りを書かれている順に――小説ですから出来事の起こった順に書かれているわけではありません――見ていきたいのですが、とても多いので、気になる部分だけを選んで引用してみます。

(『杳子』p.8『杳子・妻隠』新潮文庫所収、以下同じ)

 上の「認めて」(見留めて)は、登山に不可欠な「見る」でしょう。このように自然のしるし(兆)を知覚し

もっとみる
アンチ・アンチ

アンチ・アンチ

 蓮實先生と言えば、また思いだすことがあります。

 そう言われてみると、そうなのです。

 Empirisme et subjectivité、経験論と主体性、Nietzsche et la philosophie、ニーチェと哲学、Proust et les signes、プルーストとシーニュ、 le froid et le cruel、マゾッホとサド、冷淡なものと残酷なもの、原子と分身、Dif

もっとみる
ルビと約物と字面

ルビと約物と字面


ルビを振る、ルビに振られる
 ルビとは、主に漢字の横や上に小さな振り仮名を付けることだったようですが、いま「主に」と書いたように、ルビを振られる対象は漢字に限りません。私なんかへそ曲がりなので、本来とか、もともとというのが苦手で、そこからはずれたことをしたくなります。

 ぶれるわけですね。何かに触れて、つまり軽くぶつかって、その反動を楽しみながらちょっとよける感じ。ずらすにも似ています。ようす

もっとみる
宙吊りにする、着地させない

宙吊りにする、着地させない

 この記事では、蓮實重彦による二つの断片的な文章を読んでみます。

第一部:宙吊りにする◆「と」、傍点

 まず、一文だけ紹介します。

「理論と実践」、「真実と虚偽」、「問題と解決」

 以上の文字列が挙げられたあとに、次の一センテンスを含む段落が、『批評 あるいは仮死の祭典』にあります。

 数でいうと、センテンスが1、文字が211、「、」が8、「。」が1です。テーマは、並置の接続詞「と」と言

もっとみる
直線上で迷う(線状について・01)

直線上で迷う(線状について・01)

 直線上で迷うことがあります。嘘ではありません。誰もが経験していることです。私もしょっちゅう経験しています。

 証拠があります。ハードエビデンス(hard evidence)、動かぬ証拠というやつです。

 たとえば、こんなふうにです。動画をご覧ください。

 ごめんなさい。

 動かぬ証拠ではなく、動く証拠(soft evidence?)でした。

     *

 小説には始まりと終わりがあ

もっとみる
タブー(線状について・02)

タブー(線状について・02)

 人は直線上で迷う。直線上で迷うことはよくどころか、しょっちゅう経験していることだ。前回は、そういうお話をしました。

 大切なことを申し上げなければなりません。前回にお断りしておくべきだったのです。ごめんなさい。

 口にしてはならないのです。タブーなのです。

 何がって、「直線上で迷う」です。ここでは、その話をしています。そればかりと言うべきかもしれません。

     *

 直線上で迷う

もっとみる
迷う権利(線状について・03)

迷う権利(線状について・03)

 人は直線上で迷う。ただし、「私は直線上で迷っている」と口にするのはタブーである――。

 これまで、そうしたことを書いてきました。さらに言うと、次のようにも書きました。

 人生や世界や宇宙が、くねくねごちゃごちゃしているから、それをすっきりさせる工夫が線状化や直線化である。

     *

 人は直線上で迷う生き物であるにもかかわらず、「私は直線上で迷っている」と人前で口にしてはならないし、

もっとみる
振り(線状について・04)

振り(線状について・04)

 誤っても謝らない、つまりブレない人が上に立つ社会は生きづらい。生きづらいどころか恐ろしい。ブレないリーダーの体裁や辻褄合わせに、人びとが付きあわされて、ブレたり迷うことができなくなる。迷う権利を行使できなくなる。

 前回は、そういう話をしました。

     *

 誤っても謝らない。ブレない、揺れない、振れない、迷わない――。

 これは、詳しく言うと次のようになります。

 誤っても誤った

もっとみる
振りまわされる(線状について・05)

振りまわされる(線状について・05)

 この記事では、ミシェル・フーコーとノーム・チョムスキー、およびジャック・ラカンの動画と、古井由吉と蓮實重彦の作品と著作からの引用文を題材にして、生きていないものの身振りに「振れる」行為について考えてみます。

Ⅰ 人の身振りに振られる
 最近、ぼーっとしながら見ている動画あります。ぼーっと見ていると、なんとなく楽しいのです。

ミシェル・フーコー、ノーム・チョムスキー

 以前はミシェル・フーコ

もっとみる
『杳子』で迷う

『杳子』で迷う


謎解き
 小説を読むさいに、何らかの見立てを設ける場合があります。見立てなんて言うと、もっともらしく響きますが、図式的な先入観をもって読書に臨むことでしょう。

 ようするに決めつけて読むわけです。

 たとえば、謎解きです。ジャンルがミステリーの小説であれば、謎解きがテーマなはずですから、「正しく」謎を設定して、「正しく」解いていけば、「正しい」解にたどり着けるでしょう。

     *

 

もっとみる
同じ音をくり返す(反復とずれ・01)

同じ音をくり返す(反復とずれ・01)

 この記事では、同意語や同義という言葉とそのイメージ、そして同じ音をくり返す行為を観察し、反復と「ずれ」(差違)について考えます。

しるしという「印」、しるしという「物」
「しるしという「印」、しるしという「物」」という見出しを付けましたが、こんなふうに書ける日本語が私にはおもしろいし、つかっていて楽しくてたまりません。

 しるし――これはひらがなで書かれた大和言葉(和語)です。「しるし」とい

もっとみる
見えない反復、見える反復(反復とずれ・02)

見えない反復、見える反復(反復とずれ・02)

 人において、反復と「ずれ」(差違)は別個に起こるものではないし、対立するものでもないのではないか。そんな話をします。ややこしそうに聞こえるかもしれませんが、歌や詩を例にして具体的に話すつもりです。

見えない反復、見える反復
 唱歌「故郷(ふるさと)」(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞)です。

 この歌では、ある反復が起こっているのですが、それは聞き取れるでしょうか? つまり、反復をずれとして聞き

もっとみる
影の薄い小説(小説の鑑賞・03)

影の薄い小説(小説の鑑賞・03)


小説は影である
 小説は複製で読んでなんぼ、複製で読むのが当たり前、複製以外の形態で読むのはまず不可能である。

 小説はコンパクト。自分のものにできる。
 どう読んだか、あるいは、そもそも読んだか読んでいないかを、他人にいちいち報告する必要がない。
 小説を読むのは孤独な作業。

     *

 前回は上のようなことについて書きました。

     *

 小説は影である――。今回は、そんな

もっとみる