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雑記

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2021年7月の記事一覧

生放送って何でいいんだろう?

生放送って何でいいんだろう?

連日盛り上がりを見せるオリンピックは、どうしても生放送で観たい。結果が分かっていない状態でも、録画よりも生がいい。何でだろう?

たまたまこの前、三島由紀夫の『不道徳教育講座』という本を読んでいてこれに対するヒントを得た。恐らくこの現象は「人間は生に順行したいという欲求を持っているから」だと思った。

生は前へ前へと進んでいく。生放送を見ることはこの向きと平行である。一方で録画を観るときは、後ろへ

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一点の裏にはドラマがある

連日オリンピックを観ている、というか、観てしまう。試合中の選手たちが見せる鋭い眼差しと、試合後の朗らかな表情の緩急には驚かされる。試合中の選手たちには今までの練習が形を帯びて憑依しているようである。そしてその憑依が選手たちが見せる一つ一つの優美な動きを促す。

しかし、この動きは大抵の場合、点数という数字に還元されてしまう。ニュースで試合の結果を見ると、だいたい「メダルの色」と「得点」しか報道して

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芸術と自然

芸術と自然

海辺の砂浜では皆が一堂に海を眺めている。普段は手の一部と化しているスマホも、その時ばかりは放り投げ、ただただ海を眺めている。

自然にはそれだけ人間を惹きつける魅力があるのだ。

芸術は歴史的に絶えずそういう自然を表現してきた。しかし、自然を表現することは必ずしも自然そのものを作り出すことではない。絵を描いても本物の木にはならない。つまり、これを簡単に言えば芸術は自然をを模倣(ミメーシス)している

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夏の空

夕暮れに空を見上げた。飛行機が一機飛んでいた。
それは小学生の頃に見上げた空に酷似していた。
あの頃は、夏休みという無限を手に入れてたっけ。
それがいつしか有限を知ってしまった。
あの頃の幻影はもうない。
ただ夏の夕空を見上げる時だけはいつも無限が応えてくれる。

嫉妬について

昔はよく嫉妬していた。物知りで何でも疑問に答えてくれる人、お金持ちの人、留学する人、好きな女の子と付き合ってる人、挙げたらキリがないが、特に大学に入った頃はとにかく色んなことに嫉妬していたと思う。

それから3,4年が経ち、改めて周りを見渡してみると、たしかに社会的に羨望の的となるような人は数多いるけど、不思議と嫉妬どころか、羨むべきことも全くなくなっていた。

それは僕自身が僕という存在すべてを

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本を読む人の美しさ

本を読む人の美しさ

昔通ってた水泳教室のスクールバスを見かけた。あの頃を懐かしみたい思いからか、バスの中の子ども達を一瞥した。

するとその中に本を読んでいる少女がいた。夕陽に照らされその眩しさに苛まれながらも、寸分も動揺することなく、ただ真剣に本に向き合っていた。その眼差しは凛々しく逞ましい聖女の様であった。

ところで、東京国立博物館に、黒田(清輝)記念館がある。そこに読書する女性の絵が展示されている。

黒田記

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解放されることの美しさ

解放されることの美しさ

海に行くと、皆マスクを外して楽しんでいる。バレーボールやサッカーをしている人たち、自宅から机を携えて飲み会をしている人たち、のんびり海を眺める恋人たち、海の家で騒ぐ人たち。

報道陣は嬉々として彼らにインタビューし、世の中にその様子を晒し、社会の批判を煽るだろう。

でもよく見てほしい。黄金の日差しを浴びて楽しむ人たちを。

彼ら彼女らが日々の苦悩を忘れ、目の前に広がる楽園に身を委ねる姿の、なんと

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今を見ること、過去を見ること

僕は前に言った。

ある人を見るとき、その人が過去どうだったかよりも、今どうなのかに注意を向けるべきだと。

イエス・キリストは改悛を認める。聖書にはどうしようもない人々が多く書かれているが、彼ら彼女らは皆、必ず悔い改める。

僕はキリスト教徒ではないが、聖書はこういう寛大さを、もっと言えば、愛を、我々人間は忘れていることを直視させてくれる。イエスが洞察した人間の愚かさの根本はここにあるのではない

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モーツァルト『ジュピター』、ヤバい

仕事終わりに目を閉じて、40分ほどモーツァルトの交響曲41番を聴いた。久々に聴いたんだけど、これはヤバい。いや、ヤバい。やっぱり、ヤバい。特に第4楽章。

有名な逸話だが、このヤバさについて作曲家のリヒャルト・シュトラウスはこんなことを言っている。

私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天国にいるかの思いがした。

第4楽章はひたすら「ド〜レ〜ファ〜ミ」で畳みか

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知は世界を広げる

何かを新たに知ることによって世界の見え方が大きく変わる。

木について詳しく知ることで今まで見過ごしてきた木々の種別を見分けられるようになるし、多くの作家を知れば本屋で今まで見向きもしなかった多くの本に親しみを持てる。

このように何かを知れば今まで見えなかったものが見えるようになる。つまり、何かを知ることは「わたし」は変化させ、その目に映る世界も平行して変化させる。

たしかに変化は時に残酷だ。

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文学についての小さなメモ

昔、太宰治の作品を読んで考えた文学についてのメモがあったので、何となく載せてみる。

【文学の定義】基本的に夢や希望は叶えられない。夢が潰えるからこそ、そこに物語がある。人間、生きているのが辛いからこそ、物語がある。甘い物語は都合のいいでっち上げでしかない。現実逃避をギリギリまで認識しつつ、それを超えていくのが文学。

かなり厭世的でこんなこと書いたっけと思うけど、太宰の作品を再読すれば、このこと

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教養は通奏低音を響かせること

教養についてふと思ったこと。それはタイトルの通り、日常に通奏低音を響かせることなのだ。

「通奏低音って何?」となるかも知れないけど、goo辞書の定義を拝借すると下記の意味になる。

1 《(イタリア)basso continuo/(ドイツ)Generalbaß》バロック音楽の演奏で、チェンバロなどの奏者が低音旋律と和音を示す数字に基づいて即興的に和音を補いながら伴奏部を弾くこと。また、その低音部

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乱読、乱聴、乱観!

昨日は丸一日使って、色んなものに触れた。色々読んで、聴いて、観て、とにかく何でもやってみた。

具体的には・・・

最晩年に病の中『男はつらいよ』の寅さんを演じた渥美清さんの胸中、悲哀と歓喜を同時に直視し続けたモーツァルトの世界観、愛に焦がれ愛に見放されたブラームスの人生、俗と聖に葛藤したドストエフスキーの宗教観、感情や愛とは何かについて論じたトマス・アクィナスの人間観など、様々な故人に思いを馳せ

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ふと思った、ジェンダー問題

「男は〜」とか「女は〜」とか言うと叩かれる時代。言うまでもなく男女は平等に扱われるべきなのだが、だからと言って、それぞれが持つ性質まで同じものとして扱おうとする風潮はいかがなものか。つまり我々が目指すべきものは、あくまで男女間の機会の平等であって、性差を統一させることではない。

ちょうど最近観ている『男はつらいよ』の寅さんだって、「男っつ〜ものは○○」「女はえてして○○」といった性差を語ることで

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