言葉は人を惑わせる。一度棄ててみればよい。 この世界に、私、幸せ、情け、意味、神が本当に存在しているのか、心で感じるといい。 ただ、その答えは言葉にならない。 感情を許容できない論理や、哲学的な言葉を信用しきった言論を時々目にする。 そんなモノはいずれ廃ると僕は思っている。
神話時代の終焉を告げる鐘が、ゆっくりと動き出す。重く鈍々しいその鐘は、神話の絶望と希望の狭間を常に彷徨い、多くの人生を粉々に破壊してきた。最後の一撃まであと少しだ。人は死の重さを測りながら、人らしく生きてきた。だが(理論や感性などではなく形容と構造でもない)この世界に人はいない。
人は多くのことを知りたいという欲求を持って生きていて、その思いが人を動かす原動力になる。「知る」には、知識として知ることと経験を通じて知ることのふたつの意味がある。好奇心は知識と経験のふたつを求めることになるから知恵になる。経験を通じて知ることは恵みとなり、人の心を豊かにする。
「知」とは。例えば蒸気機関を発明したからといって全員が蒸気機関を作れるわけではないがその集団のクオリティがあがる。とチームラボの偉い人がおっしゃてるのを聞いて「やったね」と勝手に喜ぶ。GPT4を全く使えないおバカな自分も集団の一部であったばかりにクオリティ上がったー✨はず😝