🗝📌大熊猫📚📝

水をかけるとパンダになりお湯をかけると人間に戻ります。

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最近の記事

魂を救う文学

僕は大学受験に失敗して浪人生活を送っていた経験がある。将来どうなるかという不安と孤独感で大変辛い時期だった。 そんなとき救ってくれたのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だった。 別にカラマーゾフの兄弟が浪人生の孤独感を慰めるようなストーリーではない。何やら長広舌を繰り広げる個性の強いキャラクターたちが登場するだけの小説だ。小説のテーマについてもよく理解できたわけではなかった。 だけど読んだらなんだかスッキリしたのだ。魂が救済された気がしたのだ。 人文学は何の役

    • 衆議院の解散権が首相の最高権力である

      日本の首相には衆議院の解散権がある。これが首相の権力の最大の源泉である。先進国でも議会の解散権を持っている国は実はそれほど多くない。 日本の首相はとても強い権力を持っていると言っても言い過ぎではない。 岸田首相は解散という伝家の宝刀を抜かない。今解散すると選挙で大負けして政権交代の恐れすらある。 このまま衆議院は解散せずに任期が来るのではないか?

      • リムランド理論と囲碁のアナロジー

        地政学において「リムランド理論」というものがあることを知った。マッキンダーのランドパワー論でユーラシア大陸のど真ん中をハートランドと呼び、そこを支配するものが外部へ侵攻し世界を制するというものに対して、スパイクマンという人が実際にはユーラシア大陸の三日月状の地域が焦点となって世界を制するという理論を提唱した。 これは囲碁のアナロジーからすると正しい。ユーラシア大陸を囲碁盤だとするとリムランド理論は盤面の端に地を確保することと一致するからだ。 囲碁では中央部よりも端や隅のほ

        • 日本漫画における「ばあさんヒロイン」について

          日本の漫画には「ばあさんヒロイン」というキャラクター造詣がある。『ハンターハンター』のビスケ、『NARUTO』の綱手、最近ではフリーレンがそうである。 なぜ日本の漫画にはこのキャラクター造詣があるのか? 男性漫画家の女性に対する驚きがあるのではないか? 女性は化粧でびっくりするくらい化ける。超美人と思ったところがすっぴんを見て、今まで見てきたものとのギャップに驚愕する体験を持っているのではないか?

          アメリカ経済、幸運が大切

          ニューヨークタイムズのクルーグマンのコラムでアメリカはゴルディロックスに入ったと主張している。 アメリカ経済がインフレに陥ったときに、サマーズは相当な高失業率を覚悟しないとインフレは止まらないと言っていた。ところが、実際はFRBが金利を引き上げ続けたにもかかわらず、失業率は低いままでインフレを抑えることに成功した。 その要因ははっきりしない。クルーグマンが言うには幸運だったと言うのだ。良いことよりも幸運が大切と言ってコラムを終えていてウケた。

          アメリカ経済、幸運が大切

          批評、随筆、エッセイの愉しさ

          批評家・哲学者のスーザン・ソンダクの『反解釈』という短い批評文の集成を読んでいるのだがこれが面白い。 批評というのは文学から写真から映画まで幅広いのだが、随筆とはまた一味違った愉しみがある。随筆やエッセイは著者の実体験を切り取って論じられる。一方、批評の方は小説なり映画なり具体的な批評物があり、その対象物を実際に読んでみたり観てみたりして愉しむことができるのだ。 批評が上手い人は随筆やエッセイも上手い。共通しているのは著者のちょっとしたズレた視点だろうか。 一般人とちょ

          批評、随筆、エッセイの愉しさ

          ヘタウマの芸術論

          芸術とはアリストテレスの美とは何かという議論中以来、自然を模倣することだった。いかに自然を模倣して絵を描くかなどがその典型だ。 しかし、モネもゴッホも自然をそのまま写実的に描いていない。ピカソなんて荒唐無稽だ。 しかし彼らの絵は美しいとされている。 その主張点は何か? ズバリ「ヘタウマ」である。自然の模様でなくともなにかが引っかかる。何かその対象物の本質を描き出しているのが肝要だ。 思えば漫画なんかも絵が下手くそでも何故か面白いという作品がある。まさに「ヘタウマ」だ

          ヘタウマの芸術論

          綿矢りさ『蹴りたい背中』は私小説なのか?

          綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだ。みずみずしい女子高生の青春を描いたものだ。これは等身大の自分でなければ描けない小説だ。 日本には太宰治以来私小説というジャンルがある。実体験をそのまま描いたようなスタイルだ。 綿矢りさの『蹴りたい背中』は私小説の範疇に入るのだろうか?

          綿矢りさ『蹴りたい背中』は私小説なのか?

          芥川賞受賞作と文学の新機軸

          最近芥川賞受賞作を次々と読んでいる。短編が多く手軽に読める点が大きい。 純文学の新人登竜門として出版会上げての一大イベントであるが、当然のことだが話題の割には面白くない作品もある。 文学も哲学史の如く文学理論の積み上げと新規乗り越えみたいなものがあるのだが必ずしも新規で純文学の理論展開を変えるような作品ばかりではない。 最近読んだ中では西村賢太などは旧来の私小説の手法で書かれているが単純に面白かった。 逆に田中康夫の『なんとなくクリスタル』は江藤淳が激賞した理由が不明

          芥川賞受賞作と文学の新機軸

          新書ファン

          新書という出版形態がある。ある専門分野の入門書という意味合いのものから、それ自体が研究書としての色彩が強いものもある。 新書は専門家が書いている。安価で手に入りやすいという側面もある。 新書は各レーベルから毎月数冊新刊が出る。すべてを読んでみたい誘惑にかられるが到底追いつけない。 今月も新刊の新書を楽しく物色している。中公新書が多いのだが。

          西村賢太と私小説と純文学

          西村賢太の小説を読んだ。紛れもなく純文学である。 純文学とはSF小説やミステリー小説とは明らかに違う。読んだ人が作品の中に自分自身を投影し、心に何かの引っ掛かりを残すものである。 西村賢太作品は私小説である。私小説は日本で独自に進化したものと言われているが、文学として普遍的なものを持っているのではないかと思った。 西村賢太の小説に新しい文学テクニックはない。むしろベタに素人っぽく書いている。しかし、人生を小説の中に見出す。こいつは俺のことを書いていると思わせること。それ

          西村賢太と私小説と純文学

          ソクラテス文学について

          ソクラテスのように問答形式で真理を導いていく文学スタイルをソクラテス文学と呼ぶらしい。対話篇といえばプラトンが有名だが、プラトンの同時代人も対話篇を書いており、後世の哲学者たちもそれに習った形式を残している。 ただソクラテス文学はプラトン以外はあまり成功しているとは言えない。教導主義的で結論を押し付けるような誘導尋問と紙一重だからだ。 プラトンはなぜ成功したか?それは対話篇にプラトン自身を登場させなかったことが大きい。プラトン自身はあくまでも第三者という立場で記述したから

          ソクラテス文学について

          似たもの同士は喧嘩する

          異教と異端は違う。異端は神を同じくするもの間での立場の違いだ。実際のところ異教同士よりも異端という理由で苛烈な争いが起きる。 カトリックとプロテスタントとの争い、左翼内の内ゲバなどだ。 似たもの同士は喧嘩するのだ。 『銀魂』でも銀時と土方が似たもの同士ということで喧嘩するネタがあったっけ。

          似たもの同士は喧嘩する

          物価上がるかもね

          物価は今年に入って低下基調になると思っていたがそうでもないようだ。電気・ガス代の支援がなくなるからだ。 レポートを読んでいると「電気代」「ガス代」の項目のみでコアCPIが1.5%ポイント上昇する見込みなのだそうだ。 日銀の4月の展望レポートの物価見通しでこの政府の施策が反映されて物価上昇が予想された数字が出てくるのか注目される。 コアCPIが上がると当然金利引上げのムードは高まってくる。短期金利を0.25%引き上げたところで長期金利が上がってくるとは限らないが。

          物価上がるかもね

          注のない物語調の本

          佐藤優氏の神学の本を読んでいて興味深い意見があった。「〜の物語」という題名なのだが、わざと注をつけない本を書いたというのだ。 現代のアカデミズムでは注のない本は全く相手にされないという。しかし注がたくさんある学術書では紀要論文並みに一部の人にしか読まれない。あえて注のない物語調の本を書くことで一般にも広く読んでもらうことを意図したという。 本を書く目的はいろいろあるだろうが、あえて注をつけずにアカデミズムの論評を意図しない戦略を取るのもありだなあと思った。

          注のない物語調の本

          清原達郎氏の『わが投資術』を読む

          清原達郎氏の『わが投資術』を読んだ。清原達郎氏といえば長者番付1位になって有名になった伝説の投資家である。難しいところも多かったが戦略の一端も垣間見えた。 その戦略の一つに「割安中古型株を浮動株目一杯に買い、出口は場中で値下がりしないように自社株買いで買い取ってもらった」というものがある。 「割安」の銘柄を買うというのは究極の目標でそれが簡単にできれば苦労はない。市場はすぐに織り込んでしまうからだ。そこで清原氏は中小型株に着目する。中小型株には証券会社のアナリストがついて

          清原達郎氏の『わが投資術』を読む