娘のピアノ伴奏で『冬景色』という唱歌を歌ってみた。 1913年大正2年の作品だがなぜか『作者不詳』だという。これだけの作品が当時から作者不詳というのは不思議だ。誰も我こそは作者だと名乗らなかったのだろうか。 歌詞の中に『小春日』とか『麦踏み』などがあることから季節は『十一月』頃世界なのだろうが今は十二月に入っても『小春日和』の日もあってまだこの時期にふさわしい曲なのかと思って歌ってみた。 歌詞の中に『花に』という今どきはあまり使われない言葉もある。申すまでもなく『気に』とは『
玄関周りに『水やり』をしていた時片隅に『南天』の『赤い実』に気づき突如思い出した。 四十年以上前の仙台時代の取材先の栗原郡の農家の軒先で教えられた『ことわざ』。 『門の柊悪魔を祓い庭の南天福を呼ぶ』と言う言葉。農家のご主人が教えてくれた。その方の『軒先』には『柊』が結えられ『庭』には赤い南天の実がなっていた。 今どき『柊』はなかなか手に入るまい。『南天』は見かけるが時に『小鳥』に食べられていつの間にか実がなくなっていたりする。 『南天』とは『難』を『転ずる』を意味していてそれ
たった一本しかない『姫シャラの木』から枯れた葉が舞い落ちている。 晴れた朝にはちょっとした風にも枯葉は落ちてくる。木を見上げると枝枝にはまだまだしっかり葉っぱたち。当分枯葉掃除は続けることになりそうだ。大した量ではないのだがそれでもその都度『腰』が痛くなる。 このところ『枯葉』に混じって薄桃色の『花びら』がある。サザンカの花びらのようだ。 枯葉のくすんだ色の中に見える『桃色』は存外『アクセント』となって目を楽しませてくれる。 『枯葉たちサザンカの桃にはしゃぎけり』といったと
この一年『熊』と『強盗』が年がら年中『出没』した年であった。 秋田では『スーパー』に今も『熊』が立て篭もり東京練馬では昨夜『2人組の強盗』が押し入ったという。 『熊の侵入』では『従業員』が怪我をし『強盗事件』では『住民』が負傷したようだ。 共に『命に別状はない』ということだが今年ほど様々な事件事故報道で『命に別状なし』の言葉を聞いた年はなかったように思う。 『命に別状なし』という報道で聞いた方はひとまず『よかった』と『安心』してしまうが、事件事故に遭遇された人は例え『命』は無
一般の人々は言葉の『アクセント』や『イントネーション』は気にならな小野かも知れないが当方一応アナウンサーだったもので細かいことが気になる。 例えば今朝の放送で『鮭』を『酒』のアクセントで読んでいたし『太陽』のイントネーションが全く違っていた。『日の出』のニュースなので『太陽』という言葉で他のことを思い浮かべて誤解することはないのだがやはり『気になる』! もちろんいちいち電話をするほどのことではないのだがかつて『現役時代』にはいつもピリピリしていたし『アクセント辞典』は手放せな
今日は『三の酉』だそうだ。 十一月に入って五日が『一の酉』 十七日が『二の酉』そして今日が『三の酉』のようだ。 一説には十一月に『三の酉』まである年は珍しいそうだがこの年には『火事が多い』と言われているようだ。 そのせいかどうかはわからないがこのところ全国各地で『火事』が多い。そして必ずといっていいほどその火事で亡くなる方がおられる。残念至極なり。 『高齢者階段用心火の用心』 『高齢者転倒用心火の用心』 『高齢者お風呂用心火の用心』 『高齢者1も2もなく火の用心』 ところで
全国各地に『無人販売所』が開設されている。 『農産物』や『お惣菜』『日用品』などなど。 しかし相変わらず料金未払いで商品だけを持ち帰るという犯罪が頻発している。間違いなく『泥棒』だ。 しかし被害にあった『無人販売所』の経営者と思われる方の『談話』が」なんとも歯痒く情けない。 『怒りを通り越しtr悲しい』だとか 『ちょっと腹が立ちますね』などなど。 あまりに締まりがないし軟弱だ。怒る時はしっかり怒ることが大事。 売り物を盗まれて『ちょっと』というのはあるまい。 それに『即』警察
世に『珍名・奇名』は少なくない。 例えば『小鳥遊』で『タカナシ』さん 『四月朔日』で『わたぬき』さん 『一』で『にのまえ』さんという。 では『外所』でなんと読みますか? これが『とんところ』さんなのだ。 先日浅草の『カラオケ大会』の『出場者』のなかに『外所』さんがいらしてご本人に確認してようやくわかった。 先日のとの豪雨で被害に遭遇された『喜三』さんも『綺名』かも知れない。初めて目にする名前であった。 なお私の苗字の『吉川』は『よしかわ』がごく一般的で『きっかわ』は『格
まだ12月にもなっていないが今日で今年の仕事納めだ。 11月23日の『浅草『ゴロゴロ会館』はステージ司会の仕事納めだったが今日は『講師役』の仕事納めだ。尤も』講師役』は今日で全ておしまいなのだが。昨年の6月からほぼ隔月で今日がちょうど12回。キリ良くおしまい。そして今年の全ての『仕事』も今日で納めだ。少し早いかも知れないがこの後受けてないのだから紛れもなく『お仕舞い』。 あとは親戚の『歓送会』とクリニック通いが3回。 仕事や用事はそれだけかも知れないが『毎日の暮らし』をしっか
大相撲が終わった。勝者と敗者。 野球が終わった。台湾が初優勝。に侍ジャパンは準優勝。 女子駅伝が終わった。『JP日本郵政チーム』が優勝したという。スポーツの世界は何処も『勝者がいて敗者がいる』。止む無し。『勝者がいれば敗者がいる』。『喜びと悔しさは紙ひとえ』。時に『天と地の差』。 翻って社会のことに思いを馳せればここにも『勝者と敗者』がいるようだ。しかしスポーツの世界と違ってほんの一握りの『勝者』とこれもほんの一握りかもしれない『敗者』。 しかし世の中の大半は『勝者でも敗者
大相撲九州場所も今日が千秋楽。あっという間だ。 無論土俵の熱戦が面白いがテレビ桟敷で『大相撲桟敷』の様子、風景を眺めるのが結構面白い。 毎日着物を取っ替え引っ替えして1番の上席に座っている和服姿の女性。 いずれ名のあるどこかの親分さんみたいな人。根っからの相撲好きの人と様々な人間模様。隣の人に『解説』している人などなど愉快だ。 中にほぼ欠かさず来場している先輩のアナウンサーの姿もあって『今日も元気に来ている』とこちらも少しだけ『元気』をもらえたような気持ちになる。 昨日は仕事
今年5月に次いで2度目の浅草だがお参りではない。観音様の裏手にある老舗の会館で司会の仕事がある。 折角の浅草観音様なのだがお参りもそこそこに会場入り。 今日はしっかりお参りせねばと思っているが浅草に行くまで2時間ほど、会場入りの時間を気にするといつもいい加減。 せめて『手』は合わせて入るが『ご利益』はあまり期待できない。 余裕を持って行動したいのだがいつもドタバタ。何食わぬ顔で会場入りするのが精一杯。 勤労感謝の祝日。おそらく今日も観音様は『人だかり』であろう。 ともあれ行っ
ようようこの時期らしい『富士山』になった。 我が家の2階から見える富士山は相当低いところまで『雪』に覆われていてようやくこの季節に富士山の姿になった。富士山は『雪』あってこそ。雪のない夏の富士山はどこか本物でない気がする。その意味でやっといつもながらの富士山の姿に戻ったといった感じだ。 したがって『空気』は冷たい。マフラーと手袋も必要だ。 金曜日。ペットボトルと硬い紙などの回収日。2・3分おところに合う『ゴミステーション』までだがマスクも着用の『完全武装』。 インフルエンザも
師走並みの寒さだとか。 先日は9月上旬並みの暖かさ等と報じられていた。 寒ければ寒さを 暑ければ暑さを 風吹けば風を 雨降れば雨を 雪降れば雪を そのまんま受け入れればいい。 これまでだってなんとかなったし これからだって なんとかなろうというもの。 テレビを見ていると『暑さ寒さ』にいささか『はしゃぎすぎ』のきらいあり。そして人々の『談話』がテレビ報道に『合わせすぎ』の気がしてならないのだが。 取材者の喜ぶように喜ぶように『寒ければ寒い』『暑ければ暑い』と『笑顔』で声高に
起床すると夜来の雨がまだ降っていた。 枯れ葉掃除が日課だがこれでは掃除はちょっと無理。落ち葉が濡れていたのでは少し難しい。 しかし正直少しホッとしたことも事実だ。たかが10分ほどの作業なのだがやらずに済めば楽した気になる。 そう思っているうちに陽射しがさしてきた。これでは『枯れ葉掃除』は可能だ。しかしそろそろ『朝食時間』。掃除は後回しだ。 今朝はこの晩秋1番の冷え込みだそうだがさほどのことではない。 天気予報は『この秋一番』の冷え込みとか『積雪』だとか『一番』が好きだ。『一番
先週は『野菊』今週は『野なかの薔薇』を歌ってみた。 ピアノ伴奏は娘だ。 『野菊』も『野なかの薔薇』も初めての歌唱挑戦であった。 『野なかの薔薇』は元々はドイツの『ゲーテ』の詩を明治の詩人近藤朔風が『訳詞』したのだが同じ訳詞でもう一曲あるので実に紛らわしい。 『野なかの薔薇』はウエルナーの作曲。もう一曲はシュウベルト作曲。ともに日本人には好まれた曲。同じ訳詞だから当然歌の始まりは『童はみたり野なかの薔薇』となる。 私は『ウエルナー作曲作品』を歌ってみた。たまたま手元に楽譜があっ