元理系、市場経済を学ぶ
年初に一念発起してミクロ経済学を学び始め、はや1年が経とうとしている。学生に戻った気分で独学を始め、無謀にも学会に首を突っ込み、自学が高じてnoteでの発信にも繋がった。学会の内容はチンプンカンプンではあったが、「来年は手を挙げて質問する」を目標に気ままに学んでいる。
ミクロ経済学への探訪は間違いなく私の2023年のキートピックの1つであろう。年の瀬も近いのでこれまでの学びを振り返りたいが、テーマが無いと書きづらいため「元理系のレンズを通して見たミクロ経済学」という切り口で初学者1年目の振り返りをnoteにしたためたいと思う。
私の学問的なバックグラウンドはだいぶ昔の話にはなるが、大学時代に流体力学や化学工学系を専攻し、工学修士を取得した。研究テーマは産業応用色が強かったものの、アプローチは基礎的な理論研究だったこともあり、noteで連載中している価格理論に現れる数学的技法についてはさほど抵抗なく理解することができた。経済学の知識は学生時代には皆無かつ、社会人になってからも実務的に聞きかじることはあれ、学問的には全くゼロであった。
私がこれまで学んできたミクロ経済学は、連載中の消費者理論や生産者理論に加え、noteにはまだまとめられていない均衡理論やゲーム理論、組織の経済学の基礎的な内容であり、以下の所感はこれらを念頭に置いている。
美しいが、美しすぎる経済学
私がここまでメインで学び、また連載してきたものは「新古典派経済学における価格理論を、公理論的アプローチにより体系化したもの」と理解している。「経済学と言えば需要と供給」というイメージだが、これを厳密に定式化した学問という訳だ。学問的な発展や体系化の経緯はほぼ知らないが、このように理路整然とまとまるまでにはさぞ紆余曲折があったのだろうと思う。何しろこれまで何となく聞きかじってきた経済法則が如何に導出されるかについて、かくも美しくまとめられていると感じられたためである。
公理的アプローチではごく少数の決め事(公理)を設定し、それを基礎として様々な重要な定理を演繹的に導き出すプロセスを踏む。こうして得られた定理は論理的に正しいので、残された論点は公理そのものの妥当性に向かう。
例えば、消費者理論では人々の好み(選好)を表す5つの性質―①合理性(全ての財を好みの順に並べられる)、②連続性(少しの変化で好みが急に変化しない)、③単調性(より多くの消費を好む)、④局所非飽和性(消費欲求には限度が無い)、⑤凸性(単一財の消費よりも多様な財の消費を好む)―を「選好関係の標準的な公理系」と定義し、ここから消費者の最適行動や所得・価格が変化した時の需要変動に関する重要な法則を導き出しているのである。
このような公理論的アプローチは非常に新鮮に映ると同時に、自然科学では一般的なアプローチではないと思っている。基本的に自然科学では実験と観察の積み上げにより理論を構築する帰納的アプローチをとるし、しばしば支配的ファクター以外を大胆に捨象した近似を用いるため、数学的な厳密性を犠牲にすることもある。物理学を土台に物質現象を記述する理論化学はまさに近似のオンパレードというか、如何に現象をシンプルなモデルに近似するかに理論化学という学問の本質的な価値がある気がしてならない。
このような立場から見ると、たった5つの公理から演繹的に法則を導き出すプロセスは自然科学的というよりも数学的であり、それゆえに数学的なエレガントさを備えた体系だと感じる。またこのアプローチの利点として、定理を成立させるための必要十分条件が厳密に与えられること、三段論法のような自然言語では得られない画期的な結果が導かれること(Nash交渉解やArrowの不可能性定理など)、公理系に適う世界であれば定理が成り立つこと、などが挙げられよう。
一方、特に工学的な応用を考えた時には①公理論的アプローチ(How)にも、②公理を設定している対象そのもの(What)にも、大きな課題を抱えていると言わざるを得ない。
①については完全合理的な人間はいないため公理の前提を緩めざるを得ないが、確立させた公理体系の多くは必要十分性で固められており、緩和化は非常に難しいと思われる。限定合理性のような条件の緩和は、価格理論の凸解析的なアプローチよりは、ゲーム理論的なアプローチが主流と思われる。私の関心事は企業経営の経済学的アプローチではあるが、価格理論の発展的な内容にも非常に興味があるので、今後ゆっくり学んでいければとは思う。
②はよく聞かれる議論だが価格理論の公理体系は「選好」という目に見えない概念をベースに構築されているため、そもそも実証が難しく、それが故に顕示選好理論等の理論が発展してきた面もあるし、現実の需要や利益から効用関数や生産関数を逆算するアプローチも発展している。ゲーム理論でも参加者の選好は利得表の設定とは別問題で存在している、すなわち企業の経済学的な文脈ではチームメンバーの貢献度に応じてどのように利益を分配するかということと、それをメンバー自身がどのように受け止めるかは別問題、ということである。ただ、そのような問題設定はより実証的足り得るので、社会実験を通じて選好をより実証的に分析することもできるであろう。
「学派」という概念
私が経済学に触れてすぐに感じた疑問は、非常に多くの学派が存在するため何がどのように異なるのか?何を学べばよいのか?学派同士の関係は?といった点であり、物理学や化学のような取り扱う現象の違いにより分けられているように見えるし、同じ現象を異なる切り口で説明しているようにも見える、未だになかなかとっつきづらい概念である。
「学派」という概念は、自然科学の文脈で既に確立された古典論を学ぶ段階では諸説間でほぼ雌雄が決しているためここまで意識することはないだろう。例えば、量子力学における波動力学と行列力学のような描像の違いが出てくるが、結果的には両者は同等であると示されているし、相当先端的な理論研究にまで立ち入らなければ、なかなかお目にかからない概念に思う。
翻って経済学では、新古典派を「主流派」、それ以外を「異端派」と読んだり、かつては異端派であったゲーム理論が現在では逆に新古典派における完全競争の概念に明確な理論を与え、且つその状況が極めて特殊なものであると明らかにしたし、同じく「制度派」と呼ばれる異端の一派が存在し、この学派は割と新古典派と対立的だそうだが、現在の「新制度派」と呼ばれる学派はむしろ新古典派の前提条件を緩める形で発展的に誕生したとも見え、学派の関係は複雑さを呈する。組織の経済学は、むしろ「新制度派」の別名のような書きぶりの資料もある。
また、現在のミクロ経済学の3種の神器と言われているのが、価格理論・ゲーム理論・契約理論だそうだ。私は今の理解レベルではこの分け方にも違和感を感じる。ゲーム理論自体は純粋数学的なもので他二者とレイヤーが異なるように見えるし、何よりゲーム理論の経済学への応用の重要な部分は契約理論の枠組みを用いたものであるためだ。価格理論と契約理論は逆に理論体系として距離があるように見えるので、統一的な枠組みでどのように整理されるか、という点で理解を深めてみたいと思う。
学派については初学者1年目の理解度としてはせいぜい上記のレベルのため、2年目以降の理解に繋がるため、現時点での混乱の様相を記録しておくことにする。主要な関心事は、主要学派の関係性と理論的な統一をいかに試みることができるか?という点だ。
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以上、とりとめもなくなってきたが、経済学を学び始めた1年目の振り返りとして、驚きや発見、積み残しの課題をまとめた。今後も本noteにて、私が学んだことをアウトプットしつつ読者の皆さんとの交流の場として活用する予定である。至らない点は多々あるが、今後もご覧頂ければ幸いである。
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