極楽と天国~私の哲学~

知は愛であり、愛が知である。全ての人間は生まれつき天才であり、IQの高さは頭の良さとは関係がない。愛を知れば頭が良くなる。哲学で重要なのは、「無知の知」を知ること。哲学とは生きることと同じであり、全ての人間は哲学者である。知るということは、イデアを知るということ。例えば、電話帳には電話帳のイデアがあり、それを知れば、全ての電話番号を暗記する必要はない。
日本語のイデアを持っていたのは、昔の人。今は、例えば英語がある。英語のアルファベットのaのイデアは、どんな日本人も簡単に知れるが、例えばaskという言葉のイデアを知ることは簡単ではない。このように、知らない言葉が増えることで、人は全一者でなくなる。天国にいたとき、人は全一者であり、完全な幸せであった。だが、知恵の実を食べることによって、全一ではなくなり、知に向けての可能性を得たが、地上に落とされた。そして、言葉が残った。言葉を知り尽くし、イデアを完成させることが、天国に行く方法。現在、地球上では様々な国が争っているが、いつか世界が一つになり、全ての言葉が通じるようになり、他者や敵がいなくなれば、地上が楽園となり、天国が地上に降りてくる。実際には、敵を生み出すのは己の心であり、戦うべき敵とは自分の中にしかいない。
日本は島国の歴史が長かったので、全一者に近いところにいる。日本語がそれを表している。
分裂病は狂気であるが、全ての人間は分裂的資質を持っており、狂気を帯びている。不眠症が狂気を拡大する。眠れば治る。
地獄に堕ちるということは、おそらく死んだ後ではなく、この世にあらわれる。この世の痛みが地獄である。地獄は、永遠に続かず、一時的なものなので、頑張れば出ることができる。しかも、地獄にいた間に、頭が良くなる。その知恵をもってして、全てのイデアを得るために、概念の習得ができる、あるいは悟りにより智慧の完成に至る。最後に向けられるのは、真言、ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ)という言葉だ。智慧の完成を見れば、残されるのは、学問、芸術、つまり、読書、会話、絵や音楽、詩などである。それをやり続けることが楽しい。
だから、一時の欲や快感に執着して生きていくことは、本当の幸せを目指しておらず、愚かである。本当の幸せとは、小学校で習ったように、日常的な行動や家事、仕事が出来るようになり、それを頑張れるということである。全ての人がそれを楽にできるわけではないから、他者が助けをする必要がある。最後に残るのは、愛と知であり、愛も知も何かを頑張って努力することで得られる。愛というものは、愛されることと、愛することで、自分のものになる。全ての赤ちゃんは愛されている(育った子宮があり、生まれてから食事を与えられた)のであるから、愛することを覚える必要がある。愛することを覚えるには、たくさん愛されなければならない。愛を与えることが愛することである。初めは形だけでもいいのだが、愛に対し愛で答えること、これがなされなければならない。自分の力で生きていくということが、サイの角のように一人歩むということだろう。そうする力を得たということが、教育の結果の大人になるということだ。力を得るということだ。イデアに至る道はたくさんあり、悟るための修行方法もたくさんの道がある。ただ、肝要なるところを外してはいけない。
そのようにして、極楽も天国も、現実のものとなる。君たちは、私たちは、もはや何一つとして苦しむ必要はない。

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