かわうそ

シナリオライター、LQA。 自分の思考整理のためのnote 何か引っかかるところがあり…

かわうそ

シナリオライター、LQA。 自分の思考整理のためのnote 何か引っかかるところがありましたら幸いです。 ご連絡は onamomi.kuron@gmail.com まで

マガジン

  • キャラクター論

    キャラクターそのものをどのようにいじくるのか、設定をどうするのか、なにが最適なのか……そういったことをテーマにしたnoteが集まっています。

  • 物語再論

    物語の立ち上がり方、成り立ちの仕方を、順序立てて際者から説明する。

  • ステラの事件簿(更新停止中)

  • 短編小説

  • キャラクター論:キャラの分類

    キャラクターを2軸で考える

最近の記事

情報を、手軽に手に入れることと与えることと

 手軽に手に入る情報は価値が薄いのではなく、手軽に手に入れられた情報は価値が薄いのだ。重要なのは、その情報の「手軽さ」がどこにあるかである。  情報がほしい人々がその手軽さに魅了されるのは当然で、手軽であればあるほどより多くの情報が手に入るからである。そして情報の多さは、質に繋がる。比較検討することで真偽の判断や、より深い考察ができるようになる。  すなわち、情報が手軽に手に入れられることは価値あることである。しかし、その情報が手軽に提供されてしまうことは、価値の低下に繋が

    • 学んで人は明るくなれる

       人は学ぶとそれを実践したくなる。だから行動的になるためには学びがもっとも効果的だ。  同じように、ネガティブ思考は学ぶことによって薄れていく。学びは未来のための行動だから、視線を自然に前に向ける。だから後ろ向きなネガティブ思考は、その暇がなくなるのである。  このように「学ぶ」とは、人を静かな厭世家から、積極的な楽天家へと変えていく。  学ぶことは少なくとも精神に、そういう効果をもたらす。もちろん、学びはあくまでも学びたいものが目的だ。技術を身に着け、知識を蓄え、知らない

      • 面白いストーリーは、絶望して、絶望する

         絶望から復活する主人公というのはストーリーとして面白い。どうやって?どこまで?なぜ?その先にはどんな景色があるのか?復活とは希望である。輝かしい未来と勝利を期待できるし、それまで散々痛めつけられていた主人公が逆転するところを見られるのは、単純にスカッとする。だから「絶望からの復活」は古今東西多くの物語に取り入れられている。  しかし絶望とは、ストーリーが面白くなる序章に過ぎない。確かに絶望からの復活は良いものだ。手に入れられないかと思いきや、仕合わせはは主人公にこそ贈られる

        • 「能力」以外も仕事の能力なのか

           仕事ができるというのは、まさに「仕事ができる」ということを指す言葉であると理解されている。私たちは誰も、仕事ができると聞いて、その人の能力が低いとは思わない。また、その人の能力が高いから、仕事ができると思うのだ。  しかし、その「仕事ができる」というのは、純粋に「仕事をこなす能力が高い」ということを意味するのだろうか。むしろそれ以外の部分も私たちは、その「仕事ができる」ことに含んで判断しているはずだ。  つまり仕事におけるある人の「能力」というのは、そのやるべき仕事を上手

        情報を、手軽に手に入れることと与えることと

        マガジン

        • キャラクター論
          60本
        • 物語再論
          1本
        • ステラの事件簿(更新停止中)
          11本
        • 短編小説
          58本
        • キャラクター論:キャラの分類
          2本
        • オリジナリティへのごかい
          6本

        記事

          率先するためには追従できるようになろう

           よく思われているのは、率先して何かをやるというのはハードルが高く、誰かに追従するのはそうではないということだ。自らが最初に手を挙げることは、人によってはとても気が重く大変な行動になる。もちろんできる人もいるが、それは多くはない。一方で、では、そういう率先した人に後からついていくこと、同調したり、協力したりということは、難しくないことだと誰もが考えていることだろう。  しかし、そうではない。  誰かに追従することもまた、ハードルの高い行動なのだ。なぜならそれは、結局のところ率

          率先するためには追従できるようになろう

          近く近くへ面白く。誰も我慢などせず

           面白さは近くになければならないが、その距離は近年、ますます近くなっている。私達は面白いに手が届くことを求めていて、それを焦らされるのがたまらなく嫌なのだ。でもそれだけならば、かつては我慢できた。  問題なのはその距離が、辛抱しなければならないと思える時間が、とてつもなく短くなっていることである。  だから今、私達はエンタメを楽しめない。本当の意味で。適度な距離感で「面白さ」の遠影を眺め、期待に胸を膨らませ、ワクワクできない。そうできるはずの時間も距離も、もう私達はあまりにも

          近く近くへ面白く。誰も我慢などせず

          納得の納得をしよう。自分のために

           納得は大切だ。どんなに嬉しいことがあっても、納得しなければ私達は悔いる。反対に、どんなに辛いことがあっても、納得していれば耐えられるし前に進める。  納得は大切なのだ。自分が納得することも、他人を納得させることも、その価値は絶大だから。納得はマイナスをプラスに、プラスをマイナスにひっくり返すことすらできる力を持つ。  しかしそうなると、納得は悪用されることもある。こんなに大切なのに、私達はどうも納得をそんなに意識しないで生きている。自分が納得しているのかしていないのか、わか

          納得の納得をしよう。自分のために

          自らを「言葉」によって狭められ、しかし自らそれを望む

           人は言葉を使うから、言葉で人を分類するのが好きだ。夢中になると言ってもいい。あれこれと調査を繰り返し、属性を当てはめて、いろんな人を…自分をも定義する。定義して、満足する。自分はこうだと。用意された選択肢の中の1つになることで、安心すら覚える。  動物にたとえたり、職業の適性や、アルファベットや、数字や、傾向、キャラクター。多種多様な方法で、私達は分類される。そういう様々なものを言い表す言葉によって、自分はこうだと定義される。言葉ははっきりしている。示すことが得意だ。だから

          自らを「言葉」によって狭められ、しかし自らそれを望む

          休みは進化のタイミング。

           筋肉は鍛えれば鍛えるほど着くが、脳の神経は休むことで繋がる。経験や知識、学習といった物事は確かに繰り返しによっても定着するが、より広く深く自由に神経を繋げていくためには休息が不可欠なのである。  なぜなら人の脳は常に働いているところ、その成長タイミングというのは休憩時間にあるからだ。動いている時に十分な成長は見込めない。経験や知識を、じっくり整理する時間が必要なのだ…つまり、脳には。  だから、筋肉とは異なり、私達が精神的に成長したり、学習の成果を上げたり、経験を十全に活

          休みは進化のタイミング。

          不思議の楽しさが物足りなくなった私達に

           フィクションをするには「不思議」がいる。私達は皆、その作られた不思議に夢中になる。そして不思議の中身が明らかになれば、フィクションは解散だ。目の前に現れた不思議を不思議がる。人の求めるエンタメの1つは、そのような不思議によって成り立っている。  もし、不思議がなくなってしまったら、私達は重要な娯楽の1つを失うだろう。そしてそれはもう起きている。なぜなら私達の現代のエンタメの1つには、ノンフィクションが幅をきかせているからだ。ノンフィクション。それは誰か他人のセンセーショナル

          不思議の楽しさが物足りなくなった私達に

          やると決めたらやる。ただそれだけでいい

           やると決めたらやることが重要だ。質や量はどうでもいい。いや、どうでもいいは違うが、しかし、それくらいの意気込みがちょうどいい。  やると決めたら、完成度とかすごさとか、程度とか頻度とか、そういうのはまず考えないようにしよう。後でそれらに否応でも向き合わねばならない時はくる。でも最初は、やると決めたらやること。それ以外に大切なことなどないし、ルールを作ってはならない。  どうしてかと言えば、何もしていないところからやりはじめるということ、そしてやり続けるということが最も難し

          やると決めたらやる。ただそれだけでいい

          仕事とはお金ではなくて時間にこそ

           仕事とは時間であるが、それはつまり価値とは時間であることだ。仕事においては価値創造や価値増進が1つの大切な要素となるため、「価値」を生み出せるか否かに存在意義がかかっている。  そのことは動かせない絶対的な事実であるところ、重要なのは、生み出せる価値とは何かということなのだ。  仕事の価値とはお金ではなく時間である。もちろん、それを生み出す人間や設備というのも価値であるし、そのためのモチベーションやエネルギーも価値となる。しかしそれらを駆使して、私達が最終的に稼ぎたいのは

          仕事とはお金ではなくて時間にこそ

          役割を持とう。エゴイスティックが能を上げる

           人は明確な役割があることで能力が上がる。「なんでもする」「なんでもしていい」ではその人の不十分な能力しか発揮できない。それよりも「これをする」「これをすべき 「これをしていい」という状況にあることこそ、人の能力を最大限に活かすことである。  なぜならそれは、判断が明確になるとか、選択肢が少ないことで迷いにくいということがある以上に、エゴイスティックになれるからだ。  限定された何かを自分の好きなようにできる。つまり全権委任。人は確かに「なんでも」な状態では迷い、自信をなく

          役割を持とう。エゴイスティックが能を上げる

          やめる時、それは関係性が薄い時

           誰も、不利益を被るからやめたくなるのではなく、自分とは関係が薄くなるからやめたくなるのだ。好きの反対は無関心である。どんな物事にもそれは言え、この無関心が増大した時に人はそことの距離をおいてしまう。  そして関係が薄いかどうかは主観的な問題であるが、ひとつの基準としてコミュニケーションがとれていないことがあげられる。それも、本人がそう思う正常な、あるいは普通のコミュニケーションが行われていない時、その物事との関係は薄くなったと判断してしまうのだ。  だからもし、やめるとか

          やめる時、それは関係性が薄い時

          日本語にひとつ特有の「語尾」の面白さ

           日本語で大事なのは圧倒的に語尾だ。それは他の言語とは一線を画す特性で、大きな違いである。だから、例えば日本語が用いられた創作のクオリティというのは、まずもって語尾に依拠しており、その、想像力を掻き立てる語尾というものこそが、日本語を扱う長所だ。  裏を返せば、その語尾にこだわれない時、日本語を紡ぐ意味は失われていく。いわば色褪せた日本語である。日常会話ひとつとっても、その人に特有の話し方や言葉の扱い方、そして語尾というものがあるのに、その個性を捨て去ってしまうのなら、それは

          日本語にひとつ特有の「語尾」の面白さ

          自己実現を諦めて。息苦しいこの世の中

           社会に息苦しさを感じる時、私達が見ているのは社会の様相ではなく、自らの自己実現のスペースである。社会に生きづらさを覚える時、私達はその社会の闇に影響されているのではなく、自らが生きて良いと思えることに自信がなくなっているのだ。  自己実現。これほどまでに大切なものはない。それは自分自身への肯定感を高め、行動力を増し、失敗への耐性を強め、心身ともに健康を維持させる。自己実現ができていればできているほど、私達は健康なのだ。そして健康な人が多いほど、社会に空気は充満する。いきいき

          自己実現を諦めて。息苦しいこの世の中