RYOJI
2008年~現在、看護学生からの「講義を受けての感想」にフィードバックした内容。その保管庫です。性的少数者という背景をもつ患者に医療者はどのように向かい合えるのか、セッションの記録になります。
小泉今日子氏が立候補者に筆記試験が必要だと発言したという。これに立候補者乱立の立役者である立花孝志氏が賛同するというカオスが生まれているのだが、被選挙権って文字を書けない人にも学歴がない人にも保障されているもので、変な子がポスター貼ったくらいで手放していい権利じゃないと思うよね。単に落とせばいいじゃない。どんなに奇をてらおうが話題にもせず、ポスターが公序良俗に反するなら作り直させ、その上で誰も票を投じなければよいだけのこと。右往左往して大切な権利を手放したらダメですよ。
郷里の友達から送られてきた、段ボール。これ生存確認かな。だな。 ナスとピーマンは味噌炒めにしたいな。きゅうりはサラダで。ジャガイモと玉ねぎは……とりあえず早めに一回カレー作るか。 つらい時に悲しんでくれる友達は多いもの。だが幸せな時に心から喜んでくれる友達は得がたい。そんな友達が一人でもいたら人生は幸福だ――日々が感謝に値するものになる。彼は高校時代からそういう友達であり続けてくれた親友だ。いや、そんなこと書いてないでお礼の電話するか。なんか大人になってから気恥しい
都知事選が迫って来て、パートナーと日程調整している。私たちはずっと期日前投票。男同士だと世間的になかなか同居できないことから私たちは同区内で別世帯なのだが、そうすると「同じ区内だけど住所的には隣町だから投票場所がちがう」ということが起きがち。A小学校とB小学校というように分かれてしまう。しかし期日前投票なら投票場所が区役所になるので一緒に行けるのだ。 18歳以上の楽しみ。大人になるのも悪くない。 二人で決めているルールは基本、以下のようなもの。 ・投票に行かないの
ゲイ迫害の歴史を象徴するピンクトライアングルが中心にあって、性的少数者の解放を象徴するレインボーフラッグが片隅にちんまりとある表紙スライド(上の画像)。講師の性質が出ますね。 だから(?)90分の講義は「アイヌもやもや」の書籍紹介から始まった。 とはいえ、90分しかないのだ。時間は割けて数分。だから本を最前列の学生に渡して、「パラパラめくってみてね」と回覧をお願いする。おい自分の本は回さないのか。誰かから怒られそうだけど、持ってきてさえいなかった――しかし担当の方によ
仲よくしろ。あ、仲いいのか。 ラリー・サリヴァンとデイビッド・モナハン、彼らの息子クーパー。そんな親子。フォースが共にあらんことを。 父の日といえばこの「率直な対話」。 「僕がセレブと付き合うなら誰がいい?」という質問に対する、父親の「お前はすごい奴なんだ。自分にぴったりの相手をちゃんと見つけられる。彼がセレブリティだろうがそうじゃなかろうが構うものか」という回答が慈愛に満ちていて好きだったな。よし寝る。
パートナーと話した。老人の一人語りを受けて短い会話をした話を。 「無意識で誰かに聞かれたかったんだろうな」と彼は言う。私も同意する。老人は誰かに聞いてもらえると期待していなかった。しかし行動によってサインを出していた。内面が制御できず表出している状態はいわゆる「表現」や「発信」と区別して考えられなければならないだろうが、老人の行動を「S.O.S.を出すための準備段階」と捉えることは充分に可能だろう。いずれ発信につながると考えれば救済の近くにいるのか。老人が「声に出した」
「今日は……金曜日か」 「どうしたらいいのか……いつまで生きられるのか」 「もう86だよ……いつまで……」 話しかけられたのかと思ったがそうではなかった。スーツを着込んできちんとハットを被ったその男性は自分の声を自身に聞かせていた。 エレベーターには二人きりだった。 私の視線に気付いたその人は、ああごめんねと謝った。 「独り言を聞かせてしまった」 そっか、今「聞かせた」って言ったよな。 じゃあおれが答えてもいいんだよな。 「大変ですよね」 「でもね、きっ
今井美樹に「半袖」という歌がある。実際かなり名曲であると思う。 「半袖」の歌詞はこちら 子どもと遊ぶ「その人」の、「半袖」からのぞく「細く美しい腕」。「その人」は「愛してはいけない人じゃなく」「決して愛してはくれない人」である。そんな心に「清らかな空」が苦しくて、倒れそうになる――というのだが。 私も良い曲だと思うが、ライブではファンに大人気らしい。そーなの? その情報を下さった山ちゃん氏と言えば、最近は母乳が出せそうになっていたり(大丈夫、妄想だ)、水虫パラダ
これまでの人生で一度も優先席に座ったことがない。空いていれば優先席に座っても良いと主張する人がいるけれども、そうだろうかと疑問に思う。優先席に座っている人は傲慢に見えないだろうか。話を聞かない人に、不注意な人に見えていないだろうか。だから多くの人は、つらくて座りたくても「その席を譲っていただけないでしょうか」と言い出すことなどできない。 そういうもんでしょ、でも。 この方の記事で、"席を譲らない人に座らせないため" 優先席を確保しておくために座るという考え方もあるんだ
ご一緒させて下さった方がスマホで撮影を始めたので、いつもであれば撮影を忘れて食べ始めてしまう自分もデジカメを思い出せました。うまそー。 ましてやお呼ばれなら、私とて心づくしのおもてなしに対してウィットに富んだ会話でお応えしたいし、運ばれるお料理だって言葉を尽くして褒めたいのだ。誰が「うめ……あこれもうめ……ああうめ……うまい、うまいですこれ」しか言わない人間をゲストに招きたいだろうか。しかしそんな人間こそが私であろう。なんなら「あ、その話あとでいいスか」くらい言いかねな
北区で強盗にタクシー運転手が拳銃で撃たれたとか、北九州市でロケットランチャーが捨ててあったとか、怖いねと職場で話していたような日ではあったのだけど。電車の中で小便を始める酔っ払いに遭遇すると、もうなんかそれが一番の事件になるものですね。 発車寸前に飛び乗った車両だった。優先席に座った中年男性三人がニヤニヤと口元に薄ら笑いを浮かべながら眺めるその視線の先、向かいの優先席に座ることもなく動き回っている奴がいることはすぐ分かった。しかしただの酔っ払い。ズボンが落ちかけてパンツ
荒天だったりする日の仕事帰りは、「タワーリングインフェルノ」や「ポセイドンアドベンチャー」みたいな状況をつい考えてしまう。今危機になったら誰と助け合えるだろうと電車内の乗客たちを眺めながら想像してる。 「この女性は頑張る人じゃないか」 「この男性は信頼に応えてくれるかも」 有事に頼れる人物だと公共の空間でアピールしてくれている人はそんなにいない。塾帰りの小学生もお年寄りもいるのにね。私は頼もしく見えるはずだ、と自分に言い聞かす。割とタフだよ。革靴もボロいだろ。疲れ切
ドキュメンタリー映画「スーパーサイズ・ミー」で知られるモーガン・スパーロック氏が亡くなった。残念な気がする。私は「スーパーサイズ・ミー」は未見で、氏の作品では「モーガン・スパーロックの30デイズ」シリーズの一本、「ゲイと一緒に30日間」を観たことがあるだけ、なのだが。 【ネタバレ注意】 結末も含め具体的な内容に言及しています 異文化交流は楽しいばかりではなく、拠って立つ価値観が揺らぐ苦しい経験であるかもしれない。それが偏見を抱く相手との交流であれば尚更だ。 この青
「父さんにもぶたれたことないのに!」と言っていた人が還暦を過ぎて不倫相手を殴っていたというニュースなんて聞きたくなかったな。例のお方が単独会見を開いて「坊やだからさ」と言ってくれたら。それで済むわけじゃないだろうが、なんだか救いがない気分に区切りをつけたいのも本当だ。相手の方にも彼女を育てた父親にも、区切れない思いは続く――ファンも。 私はガンダムファンではない。プラモデルに夢中だった子ども時代があったが、アニメは観てなかったからファンじゃない。そのことにホッとする。
子どもたちは自他の痛みや社会の不条理をどのように処理したのか。子ども同士で、支援なき世界を生きのびるための言葉を見つけた物語へのリンクを貼りたい。こういう時、「スキ」はぜひリンク先の記事にお願いします。 なんでスキって一回しかできないの? 気持ち的には読み返すたびに「スキ」したい。 絶望に押しつぶされる子どもがいると知っている人だ。 でも救いがあれば子どもは強く立って行けると経験から知る人だ。 そんな人が、子どもたちのそばにいようと思ったこと。 それはご本
「カミングアウトは終わらない」 刊行から15年めに 15年間。そんな時間が流れたのだと知る。私はあの本に編者として関わっていて、セクシュアル・マイノリティが社会的マイノリティである以前に学校内/家庭内マイノリティだという視点を強調しておきたかった。可能性として、やり方は二つあったと思う。ネグレクトの現実を単に言い立てる方法と、親密で豊穣な未来を示唆するスタイルだ。砂川秀樹氏と私は後者をやりたかった。セクシュアル・マイノリティのうちレズビアンとゲイのみを扱う点には悩んだ