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あなたは泥酔していた時間を知らない

 北区で強盗にタクシー運転手が拳銃で撃たれたとか、北九州市でロケットランチャーが捨ててあったとか、怖いねと職場で話していたような日ではあったのだけど。電車の中で小便を始める酔っ払いに遭遇すると、もうなんかそれが一番の事件になるものですね。

 発車寸前に飛び乗った車両だった。優先席に座った中年男性三人がニヤニヤと口元に薄ら笑いを浮かべながら眺めるその視線の先、向かいの優先席に座ることもなく動き回っている奴がいることはすぐ分かった。しかしただの酔っ払い。ズボンが落ちかけてパンツが見えているし、荷物は床に散らばり迷惑な奴だなと思いはしても、たまにそういう人はいる。気にしていなかった。周囲には自分を含めて立っている乗客がいたけれど、皆それなりに距離を置いていた。本人は意識もしていないだろうが、周囲の注目を一身に集めている。彼のステージで、彼が主役だった。しかし彼はずっと股間を握りしめたりしながら、座席に座ることもなくウロウロしている。

 まあ、小便したいのかなとは思った。それは急行電車で停車するまで時間がかかるから、大変そうだなとも思った。酔い過ぎているなあ、どうしてそこまで飲むかねと呆れてもいた。しかしそれでもいつもの光景だったのだ。そいつが自分のバッグから水筒を取り出して、そこに放尿を始めるまでは。

 水筒を取り出したそいつが何をするのか察知できなかった。何か飲むのだろうとしか思わない。私には位置的に三人掛けの優先席に身体を向けた彼の背中しか見えていないから彼が何をしているのか分からない。しかし間もなく、水筒から外れた彼の放尿が優先席のシートに飛び散っているのが、彼の背中越しにも分かった。うわあ、と言いながら優先席に座って笑っていた中年男性3人組が、隣の車両に逃げていく。水筒にはどうやら結構飲み物が入っていたようで、その許容量ではとても酔っ払いの小便すべてを受け止めることなどできない。ついに水筒から外れ真ん中のシートに向かって弧を描き始めた小便が、座面からぼたぼたと床に落ち出すまでにはわずかな時間しか要さなかった。

 その時、初めて私にもしっかり事情が飲み込めた。もうシートは小便で濡れそぼっている。どうにもならない。酔客は小便を出し切って落ち着いたらしい。自分の右手にある、縁まで液体が入った水筒に気づいた。

 たぶん、フタをしなきゃならないと酔った頭で考えたのだろう。そいつはその水筒に口をつけ、そのなみなみと入った水筒の液体をごくりと飲んだ。

 自分が直前までそこに小便をしていたことは既に頭になかったのだ。
 私は、人が自分の小便飲むの初めて見たのだと思う、今夜。

 酔っ払いは水筒にフタをして床にちらばったバッグのひとつにしまうと、自分が濡らした座席ではなく、向かいの、3人組が座っていた座席に座り込み、即座に眠り込んだ。その辺りで、電車は最初の停車駅に着いた。

 ドアが開くと、それが優先席でもダッシュで空席に飛び込む奴っているよね。まさにイス取りゲームの様相。今日はやめておいた方がよかったのだが、カップルが空いている席に座ろうとした。彼氏が最奥の席、彼女が何かの液体が滴る真ん中の席に座る――その直前で、止めた。カップルは状況を理解して、どこかに行った。しかし間もなく、次の駅に電車は停まる。

 どうする、と考えた。そこは私が降りなければいけない駅だったから。
 乗り込んだ客が、さっきのカップル同様、確認もせず座るだろうと思った。降りようとして、降りられなかった。せめて乗り込んで来る客に注意してから降りようと思った。

 案の定、三人の若い女性が空席に飛び込もうとした。その勢いに、咄嗟に最初のひとりの腕をつかんだが、勢いが激しくて腕が離れる。「ダメダメ座るな」と強めに言う。その最初の一人はやはり一番奥の席に座ったが、続く一人が濡れた中央の席に座ろうとした直前に、今度も何とか制止することができた。でも、――ごめん。降りる駅だったし、なんか精神的に限界だった。だからそこで降りたし、その後はどうなったのか知らない。誰か座ったかもしれない。その前に他の乗客たちが何か行動してくれたことを祈るばかりだ。私はひとつ方法を示したし、それ以上のことはできなかった。


 さすがにこれは、書くのやめようかなと思うんだよね――と、実はパートナーに相談した。好んでそういうのに出くわしているように思われても無理ない気がするし、作り話まで始めたかと疑われたらいやだなとも思ったからだ。パートナーも「一週間くらいおくのもいいかもね」と言っていた。

 ただ、なんだろう。そういうことを考えるのも疲れる話ではあるし、ちょうど二週間か三週間か忙しくなるタイミングでもあるので、いっそアップして休もうかなと。すみませんしばらく応答できないかもしれません。コメントとか頂戴してもすぐお返しすることができないかもしれませんが、他のことをしているだけです。非常勤講師とか。あれとかこれとか。


 都心の電車内で衆目のなか小便することも、酔い過ぎて判断力も状況も分からなくなっててその小便を飲むこともさ、酒のせいではあるのだろうからね。そこまで酔うの、いい加減やめませんか、と思う。たぶん彼は自分が優先席に小便したことも自分の小便を飲んでいたことも気づいていない。起きて、ああ酔ってたなと思うばかりで、その間にあったことを知らない。喉の渇きに、またバッグの中から水筒を取り出して中の液体を飲んだかもしれない。酔っぱらうということはそういうことだと知った、そんな夜。
 なんか疲れたなあ。ちょっと寝よう。

 


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