「半袖」
今井美樹に「半袖」という歌がある。実際かなり名曲であると思う。
「半袖」の歌詞はこちら
子どもと遊ぶ「その人」の、「半袖」からのぞく「細く美しい腕」。「その人」は「愛してはいけない人じゃなく」「決して愛してはくれない人」である。そんな心に「清らかな空」が苦しくて、倒れそうになる――というのだが。
私も良い曲だと思うが、ライブではファンに大人気らしい。そーなの?
その情報を下さった山ちゃん氏と言えば、最近は母乳が出せそうになっていたり(大丈夫、妄想だ)、水虫パラダイスだったり(大丈夫、処置済だ)と大変なのだが、いやそうじゃなくて今井美樹のこの歌についてなのだが、お友達の「連絡が取れなくなった」女性(ひとつも嘘を書いてないのに書き方によって事件っぽくなる好例だ)がこの歌を聴いてとにかく泣いていたのだそうだ。怖ええよ。なんで泣くんだよ。泣き泣きどこ行ったんだよ。連絡取ろうよ。電話したげて。山ちゃんの Telephone Number 、暗号で言うね。 ブギウギ・ロンサム・ハイヒール、だよ。でもその意味は、知らない。
人はその「半袖」を「道ならぬ恋」の歌だと思うものらしい。
おれなんか生まれついてこの方ずっと恋愛/性愛対象が同性ってだけで「道ならぬ恋」と言われてるんだが、そっちはどうなの。
「道ならぬ恋」じゃねえのよ。「愛してはいけない人じゃ」ないって歌ってるでしょ。落ち着いて。ついでにおれのも道ならぬ恋じゃない。単に道がないだけだよーハハハ。いや笑いごとじゃねえよこっち書きながらクスリともしてねえよぶっとばすぞ。
いいですか。これ不貞行為的なアレの歌じゃないんです。「その人」は愛してはいけない人じゃなくて、単に「愛してはくれない人」。ここでこの関係は不倫と明確に線引きされているのです。皆さんよくご存じのように「愛してはくれるけど愛してはいけない人」との関係が不倫です。逆ですね。ではこの歌で歌われている愛とはどのようなものでしょうか。
この歌を理解する上で重要なポイントは「これはファンソングである」ということです。一般にファンソングとはアーティストからファンへの思いを歌うものであるようですが、この「半袖」はファンの「今井美樹への思い」が歌われているところに大きな特徴があります。そこを意識させることがないほど洗練/昇華された、超一級のファンソングであると私は感じます。
山ちゃん勝手に登場させて申し訳ないです。祝365日連続投稿達成。
生まれたてのおっさん(山ちゃん)氏の記事は、例えばこちら。
もうね「ただの美人(それ以上でも以下でもない)」というポジショニングをこれまで語った人がいるだろうかっていう。美人って全部取りしてると勝手に嫉妬されて、キラキラしてなきゃダメで、期待を一身に押し付けられる存在で。歩いてるだけでジロジロ見られて、息してるだけでそうで、中身凡庸だったらどれだけキツいか。目立つからパートもできない。それが苦しいなんて言ったら呆れられて、説教されて、ついでに口説かれる。仕事の話と呼び出されても口説かれる。どれだけ人生を浪費させられることだろう。全てにおいて過大評価しようと待ち構えた人々から勝手にガッカリされ、寝てやらなきゃいちいち逆恨みされる人生だ。ルッキズム論争の失われた視点。ちょっと考えちゃうよね。……という議論さえ無縁に、ただの、美人。
今井美樹様の話に戻ります。
「細く美しい腕の君イコール今井美樹」説は、私の勝手な想像である。だが不倫の歌であるとはどう読み解いたところで考えにくいから、ファンソングという解釈を試みた。しかしこの歌には、もうひとつ別の解釈が可能だと思う――「初夏の匂いの駅に降り立ち」、「長い坂道」を歩いて会いに行く相手。そこそこの遠距離をそんな風に訪ねるのが不自然じゃないのは、どういう関係だろうか。愛しちゃいけないわけじゃないのにどこまでも隠す恋心とは、どんなものだろう。それだけ思いを秘めていながら、決して愛してはくれないと前もって分かり抜いている状態とはどんなものか。
しかしこれが「親友に何年も恋心を抱いていたレズビアンの心象」なら?
もちろんこれはひとつの「聴き方」だ。だが愛してはいけない人じゃないのに決して愛してくれない対象とはどんな人だろう。そんな苦い恋のひとつやふたつ、レズビアンやゲイは経験しているものだ。おれは高校時代にやめたけどね。ああゆーの命がいくつあっても足りねえし。
「私」は夏が来ると電車に乗り、長い坂道を歩いて「その人」の住む家を訪れ、「その人」が子どもと遊ぶ光景を眺める。異性がそこまでテリトリーに入り込めるのは「細く美しい腕の君」の伴侶がよほど寛大か無関心じゃなければ無理じゃないだろうか。そして「細く美しい腕の君」が警戒もせず、「私」の思いに気づかないままいられるのはなぜだろう。――相手が同性なら、この歌に残る疑問はない。「その人」の腕が「細く美しい」ことも。
私としては「半袖」が同性愛の歌だと頑強に主張したいのでもなく、どちらかと言えば、「不倫の歌ではない」という部分が強調したいポイントだ。それでもファンソングという可能性のほかにもこんな解釈ができるのだと、書いておきたかった。私はこの「半袖」にずっとレズビアンの思いを重ねて聴いてきたのであり、そうした解釈の余地こそが、強みだと思うからだ。
無論それを可能にしたのは歌のもつ包容力ゆえであり、普遍的な愛が歌われているからだろう。しかしそれだけではない。小さなささくれほどの、しかし引っかかって痛みを思い出させるサイン(違和感)があった。それは別に同性愛者に向けて用意されたものではなかったとしても、引きむしられるような心が、性的少数者にも共感を呼ぶのだ。
作詞の岩里祐穂、作曲の上田知華という黄金コンビは、「半袖」に今井美樹のある種どこまでもノーブルなイメージを凍結させた。そうして今井美樹という存在を異性愛的な好奇からも同性愛的な恋慕からも切り離し、永遠の憧憬という、ひとつのモデルに落とし込んだのがこの曲であるだろう。数々の名曲、それら秋元康や布袋寅泰という男性陣とは全く異なるプロデュースはどこまでもファンに心地よいものだったし(だからこそライブで大人気なのにちがいない)、一番好きな時代だったなと私も思う。私自身はファンというほどの存在ではないけれど、伸びやかな歌声はずっと聴いていられる。今でも運転中、よく流している。そしてレズビアンの友人を思い出す。
■生まれたてのおっさん(山ちゃん)氏の「ユーミン」愛
山ちゃん氏は計算された空間を作る。人との間に、ディナー皿に、SNSに、笑いに。そういう意味ではクールかつクレバーな職人だ。しかし人間臭くて、その魅力で周囲を夢中にさせる。それは見知らぬ人さえも。そんなお人柄が分かる記事。ユーミン大好きなんすね……最近の記事で「はい、旅人です」というタイトルが一瞬「はい、廃人です」に読めたもんな(老眼)。
■山ちゃん氏に教えていただいた、すっげえライブ映像
「通り雨」ってレベルじゃねえ。避難勧告が出る水の量。ユーミンの「Nobody Else」に曲芸がピタリと合ってて、ああこりゃ夢中になるね……
「Nobody Else あれほど愛せない」「激しい傷みをあなたは知らない」――歌としても大好きな曲。あの人たちどこ行ったんだろ。30人くらい? 勝手に好き好き言って居なくなるのやめてくんねーかな。ねえ?
■今井美樹様がご出演されておられたドラマ
あったわーこういうの。大企業の陰謀で殺された兄の恋人役(どこまでもノーブル設定)。弟(主人公)からも聖女的に慕われていた感じ。忘れたけど。すぐ「金狼はユーサクじゃなきゃ。銀狼はコーイチじゃなきゃ」っておっしゃる方いらっしゃるけど、ええごもっともですがイチイチうるせーよ。
この下には何もありません。「スキ」ボタンとコメント欄があるきりです。もちろん「スキ」「コメント」をどうするかという選択肢があなたにあります。そこで/ここはぜひ山ちゃん氏の記事にいかがでしょうか(だって365日連続投稿ですよ?)。そうしていただけますと私も幸福です。いつもありがとうございます。
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