猛ふぶき

さまざまな文化事象の気になる事柄について書きます。

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最近の記事

雑誌『Jaz.in』Vol.007(June2024),表紙からソニー・ロリンズ、中身もロリンズ満載。何も知らずにめくっていって、100〜103ページの写真に出会った時は、思わず声を上げ、泣いてしまった。フレッド・ハーシュのロリンズへの言及でさえ感動だったのに。こんな日が来た!

    • 「ソニー・ロリンズの思想実践3」に(2)を加筆しました。本業のデッド・ラインが迫って来たため、暫くnoteの活動が疎かになる可能性が高いことをお許し願います。

      • ソニー・ロリンズの思想実践3 音色の探究と発掘①補遺(1)・(2)

        はじめに  先に『ソニー・ロリンズの思想実践2 音色の探究と発掘①』を公開していますが、前書きに記した通り、意を尽くせぬ箇所や抜け落ちた点が甚だ多く、今後読者諸賢のご指摘に沿って修正すべき箇所も多く出てくると思われます。  当初、それらは随時本文の改訂で対応するつもりでした。しかし、そうすると読んで下さった方々に対する修正の告知が欠かせず、一方で読まれた方々はその箇所を探さなくてはならなくなります。筆者のnote経験からも、修正の案内にいちいち答えるのはかなりの負担になりま

        • ソニー・ロリンズの思想実践 2 音色の探究と発掘①

          はじめに  (1)この回では、三人称代名詞を「彼」と「かれ」の二通りで表記します。「彼」は今日流通している通り男性を指すこととしますが、平仮名書きの「かれ」は女性も含めます。代名詞「かれ」は本来は指示内容を男性に限定した語ではなかった(それどころか、人に限定されてもいなかった)ので、ここでは本来の使い方を復活させ男女いずれでも該当する場合を「かれ」と仮名表記にします。彼と彼女をいちいち併記する煩を避けるためです。  (2)今回は特にサックスとその吹奏とに関する記述を含みます

        雑誌『Jaz.in』Vol.007(June2024),表紙からソニー・ロリンズ、中身もロリンズ満載。何も知らずにめくっていって、100〜103ページの写真に出会った時は、思わず声を上げ、泣いてしまった。フレッド・ハーシュのロリンズへの言及でさえ感動だったのに。こんな日が来た!

        • 「ソニー・ロリンズの思想実践3」に(2)を加筆しました。本業のデッド・ラインが迫って来たため、暫くnoteの活動が疎かになる可能性が高いことをお許し願います。

        • ソニー・ロリンズの思想実践3 音色の探究と発掘①補遺(1)・(2)

        • ソニー・ロリンズの思想実践 2 音色の探究と発掘①

          ソニー・ロリンズの思想実践 番外篇1 ロリンズの何が「天才」か

          番外篇だと!? 油売ってないで、さっさと「思想実践」を展開しろ、と(誰よりも自分に)叱られそうです。  が、この「思想実践」、さすがに我ながらキツイです。誰か代わりにやってくれないかしらん、と思うくらいに。(と、「番外篇」ともなると調子も一段とだらけます。)  キツさにはいろいろ要因があります。その比較的些細なもののひとつに、「共通認識の希薄さ」があります。  ロリンズをめぐっては、毀誉褒貶、様々な夥しい言説がなされて来ました。それらに対し、納得し難い思いを抱いたり、異和感

          ソニー・ロリンズの思想実践 番外篇1 ロリンズの何が「天才」か

          ソニー・ロリンズの思想実践 1 考察準備

          はじめに(1)カタカナ表記および呼称等について  タイトルにある「ソニー・ロリンズ」(文中ではしばしば単に「ロリンズ」)は、有名なジャズミュージシャン(主にテナー・サックスを演奏)のSonny Rollins、1930年生まれの、本名Theodor Walter Rollinsのことです。Sonnyは愛称がそのまま芸名(通称)として定着したものでしょう。ジャズ界にあまた見られる芸名のSonnyは、ほぼみんな同じ事情で芸名になっているのではないかと思います。おそらく、非常に若

          ソニー・ロリンズの思想実践 1 考察準備

          難易度は高いですか?

          はじめに…この投稿の動機  世間の人々の具体的なあれこれの言葉遣いに不満は無い、という人はほとんどいないだろうと思います。  筆者などは、片っ端からケチを付けたくなり、それが年齢を重ねるにつれてますます嵩じて、今や一日中、言葉遣いに関するボヤキのやむ時がありません。高島俊男さんならずとも『お言葉ですが』と言いたくなります。(あんなにわかりやすく明瞭にはとても語れませんが。)  現時点で抱えている不満を全部述べようとすれば、人生が何回あっても足りず、しかもその何回もの人生

          難易度は高いですか?

          言葉に関する恥④ …「国語」という統制

           ③の「勇姿」は熟語の読み方に関するものでした。  単漢字の訓みはともかく、熟語の訓みが出来ないというのは普通に考えるとそんなにありそうには思えないのですが、それでも一国の首相や首相経験者が「云々」や「未曾有」といった頻出熟語を訓み誤ったりするケースがあるように、なかなか油断出来ません。 猛ふぶきの犯してきた訓み間違いは、先にもいくつか例を挙げましたが、それはそれは夥しいものです。が、そんないちいちは今回は省きましょう。 夕陽のガンマン 「勇姿」もそうでしたが、小学生から中

          言葉に関する恥④ …「国語」という統制

          言葉に関する恥③凛々しい姿

          はじめに 言葉に関して、恥が最も頻発するケースの一つは、漢字や熟語の訓み間違いでしょう。  「物故者」を「もっこしゃ」と言う人、「訃報」を「ぼくほう」と言ってしまう人……このような人(つまり、運悪く「正しい訓み」を習得する機会に恵まれなかった人)に出会っても、それを訂正してあげて良いのかどうか迷う状況というのもよくあります。  実際に人前で恥をかくことは運よく免れたものの、筆者にもこうした訓み間違いをしていた例がこれまでにたくさんあります。 賜杯  その中で最もたちが

          言葉に関する恥③凛々しい姿

          用語「線状降水帯」に異議あり

          このページを開いてくださった方へ 取り急ぎ、お断りさせてください。本稿投稿後、筆者の尊敬する友人の気象予報士に相談したところ、友人が若干の資料と意見とを提供してくれました。それによって、筆者も「線状降水帯」という用語への異和感が生じたそもそものきっかけが、ずっと以前に遡るものだったことなどを久しぶりに思い出しました。(「線状降水帯」という用語の発祥についての解説記事を読んで、黙っていられなくなったのを思い出したのでした。)  とりあえず、異議を唱えたいという筆者の基本的意

          用語「線状降水帯」に異議あり

          「あれは誰の山だ」井伏の詩と谷川俊太郎さん

           谷川俊太郎さんの『どこからか言葉が』という朝日新聞の連載?(月に一度、と謳ってあります)で、2023年7月16日(日)大阪本社版に、『山』という詩が掲載されました。これについての感想を述べておきたいと思います。  文中に(*)の形で番号の入っているのは、末尾に補註を施したものです。補註は、必要最低限の事項を欠いているものもある一方、ほとんど本稿から逸脱した記述のみのものもあることをご諒承ください。 はじめに 敬称問題について  本稿の表題、「谷川俊太郎さん」と敬称をつ

          「あれは誰の山だ」井伏の詩と谷川俊太郎さん

          言葉に関しての恥② 「バタくさい」考

           自分の恥について書く気満々なのですが、その前に、前回(①)カッコ内に記した「バタくさい」についてちょこっと語らせてください。  この「バタくさい」の意味を自分がなぜ勘違いしたのかを、何度も考えました。(それだけ、この勘違いはショックが大きかったのです。)そして勘違いするだけの十分な事情があったと納得するに至りました。今回はそれについて語り、語義の思い違い例の複合的背景を詳細に考えてみたいと思いました。一応、自分では展開の順序を考えて取り掛かったつもりでしたが、何せアドリブ

          言葉に関しての恥② 「バタくさい」考

          言葉に関しての恥①

           これから言葉を巡る恥について(主として自分がかいた赤っ恥ですが)について、思い出せる限りのものを綴ろうと思います。  言葉で恥をかく、というのは、無知から来ます。その中には、文字経由のものがかなりあると思います。  初めに挙げる例が自分の経験した恥ではないので申し訳ないのですが、例えば字数の多いカタカナでよく間違える例に出会います。  学生の時に聞いた二つの例ですが  ある友人の述懐①  「ツァラトストラ」を「ツァラトラ」「ツァラトラ」と言っていた友人がいて、俺はその間

          言葉に関しての恥①