用語「線状降水帯」に異議あり


このページを開いてくださった方へ

 取り急ぎ、お断りさせてください。本稿投稿後、筆者の尊敬する友人の気象予報士に相談したところ、友人が若干の資料と意見とを提供してくれました。それによって、筆者も「線状降水帯」という用語への異和感が生じたそもそものきっかけが、ずっと以前に遡るものだったことなどを久しぶりに思い出しました。(「線状降水帯」という用語の発祥についての解説記事を読んで、黙っていられなくなったのを思い出したのでした。)
 とりあえず、異議を唱えたいという筆者の基本的意向に変わりはないのですが、本稿で論拠に用いている資料の用い方については、根本的というべき事実誤認によるものがあります。筆者の論点も、大幅に改めるべきところがあります。
 というわけで、この投稿は本来なら全て削除すべきものです。が、目下筆者によってそれが躊躇される最大の要因が、「とんぼのめがね」さんという読み手の方から貴重なコメントを頂いている事です。字数も決して少くはなく、しかも内容が翻訳一般の問題にまで敷衍されています。元はと言えば作者の執筆姿勢の甘さと浅慮による落ち度のせいで、貴重なコメントを一方的に削除するのはしのびないものがあり、ただただその故を以て、本稿をここに残す事にしました。
 お読みくださる事には深甚なる感謝の意を表しますが、もし、お読みくださるのであれば、資料の扱い方が致命的で、そのために論拠の半ばは無意味なものとなっていることを念頭に置いて頂きたく、お願いする次第です。
 「線状降水帯」への異議に関しては、もう一度整理し直して、筆者にその余裕が見出せれば稿を改めて論陣を張りたいと存じます。その節には、ぜひお読み頂ければ幸いです。

はじめに

 このところ、大活躍の「線状降水帯」という用語に異和感を覚えるのは筆者だけでしょうか。
 この語がマスコミに登場してきた時、これはいろんな方面から批判が上がるだろうと思いましたが、その気配がいっこうに感じられないのは、不思議な光景に見えます。

 気象学者が、technical term(術語)としてこの語を適切に定義づけ適切に運用されている限りにおいて、それが多少わかりにくくても異和感があっても、とやかく言うのは控えようと思います。(それでも、できればもう少し言葉の選択に配慮が欲しいとは思うところですが。)
 しかし、これが不特定多数向けの天気予報の用語として(はたから見ると一種得意げに?)メディアから盛んに発信されるとなると、どうも落ち着けない気分になります。
 公共のメディアにおいて、一般の人々に対して用いるからには、できれば日本語としておかしくない、そしてなるべくなら、初見であっても接する人がスッと内容を納得できる用語を、さらに欲を言えば、その用語に接することによって、誰もが気象と日本語の双方への理解をさらに深めるような用語を、用いてほしいと思うものです。

 お断りしておきますが、本稿は「線状降水帯」という呼び名の、用語としての妥当性を日本語の観点から考えようとするものであり、線状降水帯という用語で表現されている事象の捉え方の妥当性を云々するものではありません。すなわち、ここで論じるのは、国語問題であって気象学問題ではありません。重箱の隅をつつくようであるのは否めませんが、線状降水帯という用語は今日の日本語の状況を象徴する一例と思われます。筆者に気がかりなのは、安易な言葉遣いによる思考の不徹底さであることを汲み取っていただければありがたいです。

「線状降水帯」への異和感

異和感の所以

 この用語に異和感が生じる要因は、主に次の3点です。

 ①同一名詞内での「線状」と「帯」の併存は、その指す意味内容において、「齟齬」とは言わぬまでも、少なくとも不統一感ないし不徹底感、あるいは重複感を生じる。たとえそれが誤解に基づくものだとしてもなお、学術的用語としての致命的欠陥があるような印象は拭えない。

 ②「降水」や「帯」という語の本来(または従来)の意味や使われ方と、天気予報での「線状降水帯」という語の用いられ方とのせいで、その表す実態が曖昧になっている。とりわけ、「線状降水帯」が「どこに」できているものを指すのかが、わからない。

③「線状降水帯」には、この語が予報に用いられる主たる理由である「警戒すべき豪雨」の意味合いが表限されておらず、そのことは「線状」という語のトッピングによっても何ら改善されるものではない。

「線状」と「帯」

 まず①についてです。

 実は、この異和感は、命名者からすると不当な指摘と見えるかも知れません。
 すなわち、一つの事象の別々の次元の内容を表現するのに「線状」と「帯」が結果的に併存することになっただけだ、との反論が予想されます。

 そうかも知れません。その点は後で検討しますが、まずは、「線状」と「帯」が併存すると何が問題なのかを見ておきます。

(1)「帯」
 「」という文字は、英語ならbeltという語が用いられるところで、元々もちろん帯(おび)の意味です。(「線状降水帯」の英語表現として、“linear rain belt” というのがネット検索で見つかったりもします。)これが地理的な場面に用いられると、「帯状に細長く伸び広がる地域」を指すのに用いられます。筆者のような古い世代にとって典型的なのは、火山帯という呼称で、かつて用いられていた、鳥海火山帯、富士火山帯、霧島火山帯など、地図の帯状の図を思い出せば、それがまさしく火山「帯」の名にふさわしいものと感じられました。(現在は、日本の火山帯は「東日本火山帯」・「西日本火山帯」の二つとされているようです。)これが、「地帯」となると、「帯」の文字の表す印象はやや薄らぐように思えます。それでも「四大工業地帯」(という呼称はもう古いのですが)などを思い浮かべると、わたしたちは海沿いに伸びる比較的幅が狭くて長さのある地域を思い浮かべる事ができると言えましょう。

(2)「降水帯」

 では、(命名者の意図には反するかも知れませんが)まず、「降水帯」という言葉を考えましょう。「降水帯」と言う言葉を用いるとすれば、それは「帯状に(比較的狭い幅で細長く)伸び広がった降水地域」と解釈されるべきでしょう。

(3)「線状・降水帯」の場合

 では、この頭に「線状」という形容がつくと、その言葉はどのようなものを指すでしょうか。

 言葉の意味を辿っていくなら、それは「線状の(幅がほとんど無いほど細くて長い)、帯状に狭い幅で細長く伸びた、降水のある地域」を指すことになるでしょう。

 誰もが気づくように、ここには降水のある地域の形状が、「線の様に細長く連なる」形容と「帯のように狭く細長い」形容の2つを重ねて述べてあることになります
 当初、筆者はまずこの点に異和感を覚えました。
 降水域が地理的に狭く細長く伸びている場合、線のように細長く伸びた帯のように細長い、などという冗長な形容は、およそ専門学者が用いるべき表現とは思えません。
 それが「線状」なら、「帯」というのはおかしい(だから、実際にはある程度の幅があるはずの「前線」とか「戦線」に対して、「前線帯」とか「戦線帯」という言葉を用いない)し、帯状であるならあえて線状と形容する必要はありません。線でありかつ帯である、という表現は明らかに奇妙だと思いますが、どうしてもその両方の意味であると言いたいなら、従来の日本語の用いられ方だと「帯線」とか「線帯」のように言うのではないでしょうか。(仮に「降水帯線」なら、それは「降水帯が並んでいる線」でしょう。それはどんな線のことでしょうか。「降水線帯」であれば、それは「降水線のある地帯」を意味することになるでしょう。それはどんな地帯のことでしょうか。……いや、だから、そんなおかしな意味にならないように、「線状降水帯」と言うのだ、というわけでしょうか?それなら、「線」と「帯」の併用を回避すれば済む話ではないでしょうか?)
 もっとも、「前線」や「戦線」につくのが単なる、「帯」ではなく、「地帯」であれば、わたしたちは案外するりと納得してしまうかも知れません。たとえば「前線地帯をゆく」とか「戦線地帯からのレポート」のような報道番組タイトルが現れたとすると、かすかに引っかかりは感じても見過ごすかも知れません。(それはおそらく記者などが取材活動する「範囲」が漠然と意識されるからでしょうか。)それなら「線状降水帯」ではなく「線状降水地帯」ならどうか。……そう、これだと案外誤魔化されそうです。(このとき、わたしたちはこれを「線状降水」の「地帯」と受け止めているような気がします。)
これは先に述べた、「地帯」における「帯」の意味のゆるさによるものと思われます。

(4)「線状」と「帯」の二者択一は?

 ここまでの議論(「線状降水帯」とは「線状」の「降水帯」だと理解する)だけで言えば、「線状降水帯」という用語はおかしくて、それは「降水帯」か「降水線」で済むではないか、ということになるでしょう。もし、どうしても、「幅が極端に狭く、かつ極度に長く伸びた、線という方が適切なほどの降水帯」という事を表現したいなら、せめて「線状降水域」などの表現を用い、「帯」を避けるべきではないか、と国語的観点から考えるものです。(英語では、”linear precipitation zone” とか“linear rainband“などの表現がネットで見つかりますが、beltやbandは日本語の「帯」に近いのでしょう。すると、ここまでに挙げた3例のうち、”linear rain belt”と”linear rainband”は、まさに日本語の「線状降水帯」と同様の不徹底な重複的表現を犯していることがわかります。(もっとも、これらは「線状降水地帯」的な感覚かも知れません。)もしかすると、「線状降水帯」はこれらを訳したものなのでしょうか?だとすると、その無批判な導入はまことに遺憾と言うべきでしょう。一方で、”linear precipitation zone”の方は、「線状」と「帯」の併存をかろうじて免れています。訳語で用いるなら、こちらを訳したいところです。(英語の正式な表現もこちらのようです。)

(5)「降水帯」が「線状」なのか

 上の議論に対する反論として考えられるのは、「線状降水帯」という用語は、降水域の形状を「線状」と「帯」の両方で表すものではなく、「降水帯」が「線状」であると言っているのだ、という主張でしょう。すなわち、「降水帯」(rain belt、rainband)という、雨域を指す表現が先にあるのだ、と。「帯」は確かに元々は「帯状に細長い区域」の意味で用いられたかも知れないが、ある程度の範囲の雨域を慣例的に「降水帯」と称し、その「降水帯」が、一本の線のように細長く伸びているものを指して「線状降水帯」と命名したのだ、と。(テレビの天気予報に示される解説図には、確かに長い線のように雨域が連なっています。)
 おそらく、この用語が一般に受容される際のされ方も、ほぼこのような理解の上でのことかと思います。

(6)「降水帯」への尽きない疑問

  が、そう言われてもなお、異和感は消えません。

 それは第一に、「降水帯」という言葉は、従来天気予報などでほとんど用いられて来なかったからです。つまり、わたしたちには、もともと「降水帯」という呼称は存在しませんでした。雨域、雨の降る範囲、降水域、豪雨被災地域などの方がはるかに肌に馴染んだ言葉だったわけです。そこに突然「降水帯」という呼称が登場したのですが、それが「降水帯」単独で用いられる例は皆無と言ってよく、常に「線状降水帯」として用いられているように思われます。とすれば、この「線状降水帯」はむしろ術語としてピュアなものというべきかも知れません。それにしても、「線状」と「帯」の併用は、あまりに国語的配慮を欠いていないか、と考えさせられます。
 そこで第二に、仮に雨域一般を「降水帯」と呼ぶ術語ないし慣習があったとしても、これに「線状」という語を加える時は、もう少しこの「帯」の意味に注意が払われて然るべきではないか、と思われます。

(7)「帯」の恒常性

 実は、「降水帯」の語が従来見られなかったのには、それなりの理由があるのでしょう。「帯」という文字に本来その意味は無いかもしれませんが、地理がらみでこの語が用いられる時は、「恒常的にそうである、帯状に伸びひろがる地域」を指す暗黙の諒解があったと考えられます。すなわち、通常、一時的にできている帯域を「〜帯」とすることはあまりないのです。

 先に挙げた「火山帯」が分かり易い例ですが、「火山帯」は、「ここ数日火山が集中している地域」ではありません。「多数の火山が帯状に分布する地域」だという意味で、来月になれば消滅するかも知れないようなものではありません。
 「上越地方は世界有数の豪雪地帯だ」というのは、「今現在上越地方に世界的にも稀な豪雪が見られる(が、数週間後にはそうではなくなるかもしれない)」意味ではなく、「例年冬には世界的にも稀なほど多くの雪が降る地域」の意味です。工業地帯、穀倉地帯、環太平洋造山帯、湿地帯、熱帯、高山帯などの例をみれば、「降水帯」は「恒常的に降水のある地帯」と理解すべきではないでしょうか。

(8)「線状降水帯」は新たな用語にふさわしいか

 気象状況に関して従来あまり認識されて来なかった(あるいは地球環境の変化で近年新たに生じた気象上の)事態に、新しい用語を作る必要が生じる、ということはありうることでしょう。その、「新たな用語が必要である」という認識がありうるなら、「線状降水帯」という言葉の奇妙さに気づくぐらいのことがあっても良かったのではないでしょうか。

「線状降水帯」が、有機的全体として単独の概念を表す場合

 上の(3)では、この用語を「線状の降水帯」(linear rain beltまたはlinear tainband)の意味ととらえ、その命名の奇妙さを考えました。しかし、さすがにこれは、命名者の国語力を軽視し過ぎているかも知れません。そもそも「帯」は「帯」だけで用いているのに、「線」には「状」をつけて「線状」としているではないか。これは、「帯」の用い方と「線」の用い方の次元が異なっている事を示すのであり、「線状」と「帯」は全く別の事態を示している。これがたまたま地図上において図形的概念の競合の観を生じているだけなのだ、と。(英語のlinearではこの言い逃れはやや苦しいでしょう。)

(1)線上降水帯の定義(気象庁)

 では、この用語の「線状」は何を意味するのでしょうか。次に挙げるのは、「線状降水帯」という語の定義と言えるものです。(以下、これを「気象庁定義」と呼びます。)

「次々と発生する発達した雨雲(積乱雲)が列をなした、組織化した積乱雲群によって、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過または停滞することで作り出される、線状に伸びる長さ50〜300km程度、幅20〜50km程度の強い局地的な降水をともなう雨域」

気象庁『雨に関する用語』

 (自らの文章を棚に上げた発言になりますが、上の引用文は、悪文の一典型例となっています。このような文章が平然と流通する事態は、「線状降水帯」という奇怪な用語が生まれ無批判に罷り通る事態と決して無縁ではないでしょう。国民の税金で運営されている権威ある国家の機関の公表する文章が、なぜここまでの悪文になるのでしょうか。こういう事態には、納税者はもっと厳しい目を向けて然るべきでしょう。
 どこがどう悪文なのかをいちいち指摘はしません。なぜこのような悪文になるのか?それは誰の目にもはっきりしているでしょう。すなわち、上の線状降水帯の定義が、実は英語文(おそらく)からの日本語訳であり、日本語としての不適切さが克服されていないからです。
 もっとも、この定義文作成者に情状酌量の余地はあります。それは、定義というものの性質上、通常は一文での表現 ー これについては、比較的拘らない見方もあるのですが ー を要求される、という事情です。誰でも試みてみれば、上の内容の全てを一文で、明瞭にして優れた日本語文にするのは至難であると実感されるでしょう。)

(2)気象庁定義の原文?


では、参考までに、上の気象庁定義の元になっていると思しき英文を見ておきましょう。

“A linear precipitation zone is often defined as a group of well-developed cumulonimbus rain clouds organized in a linear pattern, passing through or remaining in the same location for several hours, with a rain belt stretching 50 to 300 kilometers in length and 20-50 km in width.

linear precipitation zoneの検索で見つかる文

 この定義(definedと自ら言っているのですから「定義」として良いでしょう。以下これを「英文定義」と呼びます)を気象庁定義と比較してみると、気象庁定義の「次々に発生した」に該当する部分が英文にはありません。これはおそらく、英文に記述が無いけれども、加えた方が線状降水帯の意味がよくわかる、との判断で気象庁定義に入れられたものでしょう。
 逆に英文の”is often defined”の部分が気象庁定義にはありません。(”is defined”が日本語で消えるのは納得できるとして、英文に”often”が入っているのはやや驚きです。どうやら、”linear precipitation zone”は、厳密に統一された公的定義があるとは必ずしも言えないようです。)

(3)気象庁定義における「組織化した」とは

 気象庁定義において、最も謎めいている部分は「組織化した」でしょう。積乱雲が何をどう「組織化した」か、または何者が積乱雲を組織化したのか、何度読んでも分かりません。あまりにわからないせいで、逆に朧げな意味が浮かび上がります。どうやらこの「組織化した」は、他動詞的事態ではなく、(「角質化する」「暴徒化する」などと同様の)自動詞的現象を指すもので「組織化した」すなわち「全体が一組織となる」意味のようです。(であれば、せめて、英文の過去分詞用法を踏襲して「組織化された」と受け身表現にして欲しかったですね。)が、そこまで推測しても、ここの意味がわからないのは、それがどんな組織なのか分かるようには書かれていないからです。
 この部分、英文定義の該当箇所を見ると“organized in a linear pattern”とあります。なんと!ここは実は単に「線形に列を整えた(整列した)、まとまって一列に(線状に)並んだ」と言っているだけではないでしょうか!…ということは、この「組織化した」とその直前の読点が無ければ、部分的には正しい日本語訳になるところでした。
 すなわち、謎のような気象庁定義のもっとも分かりにくい部分は、過去分詞organizedを「組織化した」と誤訳(こういうのを誤訳というべきでしょう)したことから生じているようです。

(4)linear precipitation zoneとは

 なお、英文定義で最も注目すべき点は、”~is often defined as a group of well-developed cumulonimbus rain clouds organaized in a linear pattern”となっていることです。すなわち、”linear precipitation zone” が「かくかくしかじかの地域/地帯」とは定義されていないことです。ここは要注意です。なぜなら、「線状」という表現は地域/地帯の形状ではなく、積乱雲の位置どり/配列を指すものであり、そのような線状配列になった「一団の、十分に発達した積乱雲」が線状降水帯の定義になるものである、とされているからです。

 このことは、気象庁定義を何回読み返しても把握できません。(気象庁定義では、最終的には「強い局地的な降水をともなう雨域」と言うところに落ち着いています。…ついでに、「〜な降水をともなう雨域」というのもいただけませんね。)
 では、“linear precipitation zone”という術語は、上の定義に適った術語になっているのでしょうか?これは大いに疑問です。そもそも“a group of clouds“がなぜ“zone“と言えるのでしょうか?

 このように見てくると、日本語文、英文、いずれにおいてもこの「線状降水帯」/“linear precipitation zone”が不適切な用語であることが明らかです。(”linear rain belt”/”linear rainband
“に至っては何をか言わんやです。)

(5)両定義を日本語で整理しておこうか

  では、気象庁と英文の両定義を、(その言わんとするところを汲んだ上で)一旦整理してみましょう。
英文定義…1)十分に発達した積乱雲が、ひとつの線状に列んだ雨雲群ができる。
     2)この線状の雨雲行列が、数時間にわたって、同じ場所を通過しまたは同じ場所に留ま
      り、長さ50〜300km、幅20〜50kmに及ぶ降雨域が出来る。

     概ねこの1)、2)を満たすような積乱雲群がlinear precipitation zoneと定義される。

気象庁定義…
    1)次々と発生した積乱雲(雨雲)が発達し、線状に列ぶ。
    2)この線状に列んだ積乱雲群が、数時間にわたって、ほぼ同じ場所を通過しまたはほぼ同じ
     場所に停滞する。
    3)それによって、線状に伸びた長さ50〜300km、幅20〜50km程度の、強い局地的降雨域
     ができる。

    このような雨域が線状降水帯である。

  というわけで、両者の最大のズレは、「線状に列んだ積乱雲群」なのか(それならzoneと呼ばないでほしい)、「局地的な強い降水の雨域」なのか(それなら「線状」と「帯」を併用しないでほしい)、という点と言えます。このズレは、文章で見る限り埋まらないように見えます。

「線状降水帯」はどこにあるのか

(1)「降水」はどこでの事態なのか

 そこで、ここからは、最初の「『線状降水帯』の異和感」で述べた「異和感の所以」の②の要因にも関連する問題について考えます。

 最近の天気予報では、「線状降水帯が発生するおそれがあります」「線状降水帯が発生し」といった表現が頻繁に現れます。仮に今、「線状」の部分を無視して、「降水帯」とはどのようなものを指すと考えるのが妥当でしょうか?
 既述の通り、地理的発想で言えば、通常、「帯」は「恒常的にそうである帯域」を指し、「とりあえず今そうなっている帯域」を指しません。(「戦闘地区」、「戦闘地域」と言い、「戦闘帯」とは呼びません。「寒冷前線」なども含めて、「線」は一時的でやがて消滅したり変化したりするものも指します。)しかし、そこはこの際無視するとしましょう。

 まず、そもそも「降水」とはどこでの現象を言うのでしょうか?

降水(こうすい、precipitation)とは、水蒸気が凝結して大気中において形成される液体または個体の水が、重力により落下する現象を指す気象学用語。降水現象ともいう。(中略)個々には、雨、雪、霙(みぞれ)、霰(あられ)、雹(ひょう)などが含まれる。

ウィキペディア

ここには「地表」と言う言葉が見られません。降水は、雲のある所から地表までの大気中で起こる現象と解釈できます。少なくとも、「降水」を地上的事象と限定する必要は無いわけです。

(2)「降水帯」はどこにあるか


 一方、「降水量」とは、「大気から地表に落ちた水の量」(ウィキペディア)を表し、こちらは地表のものです。では、雨や雪などはどこの現象を指すでしょうか。もちろん「地表」というには高度が高過ぎる「上空」でも雨や雪は大気中に存在しているかもしれませんが、雨や雪が問題になるのは、われわれの生活の舞台である地表上です。だから「雨の範囲」とか「雨域」とか言う時は、それを地上で(すなわち、「上空」でではなく、「地理的」に )捉えているのが実情かと思われます。そして、「帯」という表現は従来、この地理的帯域をいうために用いられてきていると言えます。(例外としてとりあえず思い浮かぶのは、「ヴァン・アレン帯」などです。ただし、こちらも恒常的に存在する帯域であると言えます。)

 「線状降水帯」と言う語を目にする時、私たちはまず真っ先に、それが「地表上の、地理的な」帯域を表していると理解(誤解?)します。それは、「降水量」や「帯」という、地理的表現への馴染み方によるものでしょう。だから、「九州南部から四国にかけて、一部地域が線状降水帯となることが予想されます」とか、「一部地域が線状降水帯に入るおそれがあります」とか言われれば、私たちの異和感は「線状」と「帯」の併存という点にほぼ限定されるでしょう。ところが、「九州南部から四国にかけての一部に線状降水帯が発生するおそれがあります」と言われると、私たちは二重に落ち着きません。私たちの生活圏である地上に、異常な帯域が発生(!?)するような、奇怪な印象を受けるわけです。そして、そのときあらためて、「線状降水帯って何?」と訳がわからなくなります。
 当然のことですが、「線状降水帯」なる帯域が地上(私たちの生活圏域)に「発生する」というのは、ありえないことです。しかし、先に掲げた気象庁定義が線状降水帯を「雨域」とする限り、「雨域」を地理的に捉える私たちの異和感は消えません。なぜ、ある地域が線状降水帯「になる」のでも「に入る」のでもなく、さらには「を形成する」のでも「の一部になる」のでもなく、線状降水帯「が発生」しなければならないのでしょうか?

(3)「線状降水帯」はどこに発生するか

 上の疑問の答えは、どうやら英文定義の中に求められるようです。

 すなわち、「線状降水帯」とは、「線状に列んだ積乱雲群」という、「上空」の領域のものであるらしいのです。それは、今日明日の天候が生活にどんな影響を及ぼすかなどと気にする私たちの、生活圏としての地表上の地理的事柄ではないのです。(つまり、「どんな天候か」という「天気予報」の話ではないらしいのです。)そして、英文定義は、「線状」であるのは、次々に発生した積乱雲の位置どり方だというのです。存分に発達した積乱雲の雨雲群が、行列を作るように、長く線状に連なり、この雨雲線が数時間にわたって(おそらくその線の方向に沿って)ほぼ同じ場所の上空を通過してゆき、または数時間ほぼ同じ場所の上空に停滞するという、あくまで上空での現象があるわけです。

 では長く線状に、というのはどのぐらいの細長さを言うのか。
 この線状積乱雲群列は雨雲群なので、必然的に、局地的に大量の雨を降らせることになります。地表上の、概ね長さ50〜300km、幅20〜50kmにわたる、線のように細長く伸びた領域が雨域となります。そのような形状と規模の雨域を地表上にもたらすような上空の雨雲配置が、「線状降水帯」の名で呼ばれている、と英文定義は言うわけです。
 だとすれば、「九州南部から四国南部にかけて線状降水帯が発生する」は、「九州南部から四国南部にかけての上空に線状降水帯が発生する」と言ってくれれば、「発生する」の異様さは生じないことになります。(同時に、「線状」と「帯」それぞれの用いられ方の異様さもはっきりします。)

(4)「線状降水帯」はどのような意味構造を持つ用語か

 以上を要するに、「線状」は地理的な話ではなく、「次々に発生し発達した積乱雲の線状の列が形成される」という、「上空の」気象現象を言おうとしているのであり、一方の「帯」は、その積乱雲群列が数時間同じ場所を通過したり同じ場所に停滞したりして生じる降水域を言おうとしていると理解すれば、「線状」と「帯」は別の事象を表して共存が許されることになるかも知れません。(この降水域は、上空の積乱雲群の配列によって必然的に線状の降水域になるわけですが。)

 果たしてこのような解釈が正しいのであれば、この語を編み出した学者先生方の表現したかったことを汲み取ると、「線状形成降水帯」/「線状発生降水帯」/「線状発達降水帯」ということなのかも知れません。
「線状発達降水帯」……こう言われてしまえば、おそらく筆者の言葉上の異和感は最初から起きなかったことでしょう。なぜこの「発達」の二文字が入らなかったか?もし、この表現が候補に浮かんだとすれば、却下されたのは、単に「言葉が長すぎる」からでしょうか。しかし、ここに「発達」の二文字が抜け落ちた瞬間、全く意味不明の語が登場することになります。

(5)「線状積乱雲群」ではダメなのか?


 では問うてみましょう。ここに「降水帯」の語が本当に必要でしょうか?上空の雲のあり方はもちろん天候に直接影響します。天候の原因としての雨雲配置を言えば、それが「降水域」をもたらすことは「降水」の語を用語で持ち出さずとも了解できます。雨雲がどのような状態かを述べるのになぜそこに「降水」などという天候関連の語が入り込む必要があるのでしょうか。寒冷前線が通過すれば雨が降るからといって、この前線を「寒冷雷雨前線」などとは呼びません。停滞前線のせいで長く雨が降り続くからと言って、これを「停滞長期降水前線」などとは呼びません。天候に影響する気象現象を指す語に天候状況をねじ込んだ未整理な用語が意味不明のものになるのは、けだし当然と言うべきではないでしょうか。
 英文定義の内容の流儀に従って、これを単に「線状積乱雲群」「大積乱雲線」「極相積乱雲線」などと呼ぶ方が、事象が明瞭に把握できるのではないでしょうか?これが通過または停滞することによって、結果的に長く伸びた降水域が生じることは、その定義に含めておけば済むことです。ここに、紛らわしい「降水帯」の語は不要ではないでしょうか?

(6)天候要素の必要性


 それは違う、と学者諸賢は反論するかも知れません。
 「そもそも気象研究は純粋科学としての面だけではなく、人間生活や人類のあり方に影響する気象事項を究明し以って人類の幸福に貢献することを期待されている科学という面を、最初から有していた。むしろ、出発もそこにあったし、大きな進歩を遂げてきた最大の要因もおそらくそこにある。線状に列んだ積乱雲群が、人間にさして深刻重大な被害をもたらすものでないなら、確かに「降水」の語を挟む必要は無いであろう。しかし、この積乱雲群は、多数の人々の生命生活を根こそぎ奪う甚大で深刻な被害をもたらし得る。ゆえに、ここに「降水」の語を入れて注意を喚起するのは、予報用語としてむしろ当然の義務である。そもそもこの用語が必要となったのは、この積乱雲の配列下に甚だしい降水がみられるからこそであり、この用語の核心は雨雲ではなく降水なのである。もともと主人公である降水を外すわけにはいかない。」と。
 ということは、英文定義は線状降水帯の形成要因を定義にすり替えているに過ぎない、ということになります。肝心なのは、その積乱雲群列が同じ場所を通過したり同じ場所に留まったりしてできる降水域なのであり、これこそこの用語の核心なのだ、と。

(7)では「降水」は適切なのか

 なるほど。そこで、最初に挙げた異和感の要点③を考えたいのです。

 仮に、「線状降水帯」なる語が国語的異和感を生じないと仮定しても、あるいは生じたとしてそれは術語という観点から見て問題にすべきではないとしても、それでもここには重大な別の問題があると思われるのです。

 それは、「降水」という語には、その定義に照らしてもまた慣用的にも、「激しい降水」「強い降雨」と言った意味は全く無い、という問題です。(「降水量」という言葉に、「激しく、または度を越して大量に降った雨または雪の量」という意味は無いように。)
 なるほど、目下「線状降水帯」と呼ばれている事象の核心は、その特異な「降水」のあり方であるとしましょう。その発生をわざわざ天気予報で伝えるなら、それがもたらす降水の重大さを示さなくてはならない、としましょう。しかし、その重大さは、「降水」の語で伝わるものでしょうか「線状」の語をトッピングし、「帯」と学問めかして、「線状降水帯」というものものしい雰囲気を演出した漢字五文字の迫力満点熟語にすれば、そのもたらす雨の凄まじさが表せるでしょうか。もちろん、ちゃんちゃらおかしい、と言わねばなりません。

 仮に、「台風」という用語が無いとしましょう。研究の結果、日本では主に夏から秋にかけて甚大な被害をもたらす「野分」が、実は極端な気圧傾度の強力低気圧だと判明したとしましょう。さて、この低気圧を命名するとき、「円状低気圧」としても、それが襲来した時の被害の重大さは伝わらない、これが天候上どんなものをもたらすかを言わないと、この語を予報に持ち出す意味がない、と考えたとしましょう。では、この低気圧を「円状気流降水低気圧帯」と名づければ済むでしょうか。(この「帯」の奇妙さをとくと味わっておいて下さい。)それでいい、とは誰ひとり思わないはずです。気流があるか無いか、降水が生じるか否か、ではなく、あえて言うのであれば、その気流が強烈な暴風であり降水が激しい雨であることを言わなくては、あえて言葉を加える意味が無いでしょう。「円状低気圧」に天候要因を加えるなら、せめて「円状暴風雨低気圧」などとするのが予報用語というものではないでしょうか。

 天気予報で「線状降水帯」の用語が登場するのは、そこに「線のように細長く伸びた、雨の降る地域」が生じるからではありません。線のように細長く伸びた地域に、通常の降水とは比較を絶して凄絶な量の雨が降るから、すなわち特別な警戒を要するような大雨がそこに降るから、です。然るに、「線状降水帯」という用語のどの部分を見てもあるいは全体としての意味をとらえようとしても、そこに「激甚な豪雨が降る」意味を見出すことは全くできません。それなら「大積乱雲線」と言っても同じことではないでしょうか?繰り返しますが、積乱雲は雨雲であり、そこに降水が生じることは子供でも学べることです。(学べないなら、「大雨雲行列線」だいあまぐもぎょうれつせん、でもいいではありませんか。)

(8)気象学用語と予報用語

 ある事態なり概念なりが学問領域でどのような用語で語られようと、それは門外漢がとやかく言う必要はないでしょう。しかし、多くの人の命に関わる危険が珍しくないような天候の予報に、それを表現する言葉が用いられないのは、果たして望ましい事態と言えるでしょうか。(最近の予報では「線状降水帯が発生するおそれがありますので、注意が必要です」などと、この用語を用いれば内容が了解されると前提されているようなケースも少なくありません。)
 繰り返しますが、気象学分野で「線状降水帯」なる語が是非とも必要であり、他の表現には置換不可能であるというなら、適切にこの語を用いればよいでしょう。
 しかし、少なくとも天気予報には、この「線状降水帯」の内容を表現する別の用語を準備すべきものではないか、と筆者は考えます。せめて「線状豪雨域」「異常降水線」「豪雨線」などの。もし、降水こそが肝心な要素であるなら、これらの用語でなぜいけないのか、筆者には理解できません。

 これを書いている2023年9月15日、NHK長崎局はニュースで長崎の豪雨を報じました。
曰く
   「長崎に線状降水帯」
   「今日長崎県に線状降水帯が発生し云々」と。
長崎「県に」線状降水帯は「発生」するものでしょうか?
これらの表現を、上に挙げた諸例と置き換えてみてください。
 「長崎が線状豪雨域に」「今日長崎県が線状豪雨域となり云々」
 「長崎に異常降水線」「今日長崎県を異常降水線が襲い/長崎県上空に異常降水線が出来云々」
 「長崎が豪雨線に」「今日長崎県が豪雨線に入り云々」
…………

印象鮮烈な用語

 「しかし、」と一部からは反論が出るかも知れません、「他のどんな表現を用意しても、「線状降水帯」という語の洗練度と注意喚起力には及ばない」と。

 その通りかも知れません。
 「線状降水帯」という語が、学問外部で使用されるようにしようと学者諸氏が意図し、そしてそれを予報で用いようとメディアが判断した背景には、この用語の、画数の多い漢字5文字のおどろおどろしい迫力と、「センジョーコースイタイ」というそれなりに簡潔にして重厚な音の、引き締まった、一種の詩的効果?があるかも知れません。(実は、この用語を最初に作った先生も、その表す事態の深刻さを「雰囲気で」感じさせる点も含めて、この語の一種の「美しさ」に一瞬陶酔感を覚えられたのではないか、と筆者などは邪推してしまいます。)しかし、文学表現の話ならともかく、こと学問が絡む内容にあっては、雰囲気だけの演出ではなく、ちゃんと意味の伝わるような言葉を用いてほしいと筆者は考えます。

 このところ、かつてない大降水量による被害が続くため、気象庁からは様々な新しい用語が出されています。曰く「記録的短時間大雨情報」、曰く「顕著な大雨に関する情報」……
 筆者としては、いずれも今ひとつ工夫が欲しいように思うのですが、実際に考える方はなかなか大変な思いをされていることと思います。とりあえず、これらが「線状降水帯」ほどには異様ではない、と確認しておきましょう。

 「線状降水帯」。内容は瑣末といえば瑣末ですが、こんなにさまざまな意見表明の盛んなご時世に、抗議や批判の声が全く上がらないのだろうか、と不思議な思いで今回投稿します。もちろん、こんな投稿は今更何の効果も影響も生じることはないのですが。

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