言葉に関する恥③凛々しい姿


はじめに

 言葉に関して、恥が最も頻発するケースの一つは、漢字や熟語の訓み間違いでしょう。

 「物故者」を「もっこしゃ」と言う人、「訃報」を「ぼくほう」と言ってしまう人……このような人(つまり、運悪く「正しい訓み」を習得する機会に恵まれなかった人)に出会っても、それを訂正してあげて良いのかどうか迷う状況というのもよくあります。
 実際に人前で恥をかくことは運よく免れたものの、筆者にもこうした訓み間違いをしていた例がこれまでにたくさんあります。

賜杯

 その中で最もたちが悪かったのは「賜杯」です。
 この熟語を最初に新聞の見出しで見たのは、小学2年生の時だったと記憶します。当時の猛ふぶきは、周囲にある言葉や漢字は片っ端からとにかく読む(訓む)子でした。自分によめない文字など存在しない、と心得違いしていたフシがあります。(たぶん、読めないものは視野に入れずにいて、何でも読んでいるつもりでいたのでしょう。)
 この熟語「賜杯」に出会った時、一瞬、んっ、と、つっかえた覚えがあります。それでも、「杯」は「はい」と(自分に対して)訓んで見せました。しかし「賜」には参りました。ハッタと睨んだとき、「この字は何か間違っていないだろうか」という感覚がありました。「易」という旁(つくり)のせいです。「易」を旁にもつ文字をそれまでに見たことが無かったのです。こいつは、線が一本足りないみたいで、何か違う、手ごわいぞ、と思ったのですが、暫く睨んで、心の中で無理やりこれを「よう」と訓んで呑み込みました。(「陽」と同じだということにしたわけです。なぜか「場」と同じだとは思いませんでした。偏が「立っている」印象のせいでしょうかね。「場」と同じ旁だと思ったら「じょうはい」と訓んだことでしょう。)
 「賜杯」と言う熟語は、その後長く、猛ふぶき君の中で「ようはい」と訓み慣わされていたのです。え?だって、テレビで「〜理事長から、しはいが手渡されます!」と幾らでも言っているでしょう?その通りです。しかし、何しろ猛ふぶき少年、環境が貧しいのです。家でラジオの音声が出ていることは無く、もちろんテレビなど家にあるべくもなかったのです。親その他家族が新聞の見出しを音読することは絶えてありませんでした。そのような家庭で、若乃花(だったのではないでしょうか)優勝の感慨にひとり耽りながら、大相撲千秋楽翌日の新聞に見入るわけです。
 翌年1月(まだ小2)、父が姉に買い与えた「当用漢和辞典」(何と古い話!)に感動し、以来これを姉以上に駆使するようになりました。
 誰でも漢和辞典を使い始める時、最初はまず、幾つか知っている文字を検出して、確かに既知の文字がそこに大きな字体で載っているのを見て感動します。音読みがカタカナで、訓読みがひらがなで、全て載っている上に、その文字の使われた熟語が列挙され、その訓みも意味も全て載っている。音訓索引、総画索引、部首索引で、目的の漢字が探し出せないことはまず無い。
 ……しかし、辞書は、基本的には「知らない」ものを調べるのに使います。実際には知らなくても、知らないことを知らなければ(特に幼い子供は)辞書を引くことはありません。猛ふぶき少年にとって悲劇だったのは、漢和辞典に出会う半年前に「賜杯」を「ようはい」と訓んでしまったことでした。訓んでしまえば知っていることと勘違いする浅はかさで、これを辞書で確認したりはしませんでした。
 その次に「賜」の文字に出会うのは、確か「恩賜の煙草」ではなかったかと思います。(「賜」は子供の興味関心の範囲には確かに現れにくい文字ですね。)あろうことか、小学校高学年で日本の軍歌に凝り始めた猛ふぶき君、「恩賜のたばこ」という言葉に出会います。この時、振り仮名が振られていたものかどうか、そこに記憶はありませんが、とにかくこれを初めから「おんしのたばこ」と訓んでいたことは確かです。(あるいは、先に周囲の大人が「おんしのたばこ」と言う言葉を口にしていたかもしれません。たとえば皇居の清掃に奉仕した老人などに、金色の菊の御紋の描かれた黒塗りの木箱入りの、これも菊の御紋の印刷された紙巻煙草が下賜される場合がありました。かつての軍人だった男たちはそれを目にすると、「ほお、恩賜の煙草」と言うのでした。その時、兵役経験のある男たちは、決して目を輝かせたりはしませんでした。むしろ、少し厄介なものを見るように、そっと目を逸らして黙るのでした。)つまり、この時点で「賜」の音は「シ」であると認識するわけです。
 しかし、ここが言葉の学習の面白い(かなしい?)点の一つですが、「恩賜」を「おんし」と訓んでいても「賜杯」は「しはい」と修正されませんでした。猛ふぶき君、20代になっても30代になっても、「賜杯」を心の中で「ようはい」と訓み続けるのです。もちろんテレビなどから「しはい」と言う発音が聞こえます。その度に、え?シハイ?ああ、そうだ、これは当然「しはい」なんだよな、とはっきり意識します。それでもなお、7歳の時の我流の?訓み「ようはい」は、決して消えることがありませんでした。もし、40歳の時に、人前でごく自然にこれを口に上せることがあったとしたら、「しはい」と「知って」いてもなお「ようはい」とうっかり発音したことでしょう。

 同じような事例は枚挙にいとまありません。「ようはい」は、完全な読み間違いの例ですが(「訃報」を「ぼくほう」と言う人の間違い方も同様です。「物故」を「もっこ」と言うのは、もう少し微妙な間違いでしょう)、もっと微妙なもの、初見の際に運悪く「誤った方の訓み」を選んでしまっていた例もたくさんあります。例えば「一家言(いっかげん)」を「いっかごん」と訓んでしまう、「鈍重」を「どんちょう」と訓んでしまう、など。「出生数」を「しゅっせいすう」と訓んでしまう例などは、本来は絶対の間違いとも言えないらしいのですが、巷では通常「しゅっしょうすう」と訓みが固定されています。この辺りになると、いやいや、「出生」は「しゅっせい」でしょう、「発生」は「はっせい」であって「はっしょう」ではないでしょう?と言いたくなって来て困ります。いまだに、猛ふぶきは、「出生の秘密」と書いてあれば「しゅっせいのひみつ」としか訓んでいないはずです。

続柄問題

 「続柄」を「ぞくがら」と訓んだ学生Aを笑い、これは「つづきがら」と訓むんですよ、と教える学生B、それに対して、でも普通「ぞくがら」って言いませんか、と腑に落ちない表情を見せる学生A、こうなるともう、われわれの無知はきりが無いことがわかって来ます。

 さて、このどちらにも訓まれ得る「続柄」は、果たしてどちらが「本来あった訓み」と認定すべきものでしょうか?
 と、ここに現れるのが、音よみ・訓よみ・音訓よみ(「重箱よみ」)・訓音よみ(「湯桶よみ」)の問題ですよね。(「続柄」は、本来は「つづきがら」として生まれた語でしょう。それにしてもこの語、いったいどのような由来をもって編み出されたのでしょうね。「がら」という語の面白さといい、親族姻族の繋がりを「つづき」と捉えた感性の面白さといい、さらには、それに接して誰に詳しい説明を受けなくとも瞬時に意味を察せられることの面白さといい、興味深い語のひとつです。誰か、この語を発明した人がいたわけです。)
 そして、猛ふぶきが言葉で恥をかいた記憶の一つが、この「音よみ」問題でした。

勇姿

「姿」という文字

 文部科学省の定める「小学校学習指導要領」の「別表」に「学年別漢字配当表」と言うのがあることは、ほぼ皆さんご存知でしょう。
 現行のものは1026字から成るそうです。現在の小学生は、小学校6年間に1026字を読み書きできるように学校で指導されるわけです。(小学生は大変です。多くは、以後長い間自分の国語力の範囲では使いこなせないような漢字をせっせと覚えなくてはなりません。)その中に、6年生で学ぶ漢字として「姿」という字が含まれています。
 遥か昔、猛ふぶきがまだ小学生だった時代は、国語教育が最も軽視され、かつ自信を喪失していた時代でした。(G.H.Q.が、日本の学校で教えていた漢字の多さに仰天し、こんな「非効率な」教育は改めろと指示したと言います。終戦まもない頃に志賀直哉が「日本も日本語などやめて、この際フランス語にでもすればいい」との発言をしたのは有名な話です。)当時の小学生が小学校で身につけるべき漢字(「教育漢字」)は、僅々881字でした。当時の小学生は、(習った漢字は書けなくとも)この881という数字は熟知して小学校を卒業したものでした。そして、この881字の中に「姿」の文字は含まれていませんでした。
 学校でどれだけの漢字を教えるべきか。これについては色々な意見があるでしょう。そこに触れることは、今は避けておきましょう。

「勇姿」事件

 事件は、猛ふぶき中学1年の5月に起きます。 
 1年生全員に、国語科から作文の宿題が課されました。終わったばかりの遠足について書け、と言うのです。
 猛ふぶきはスラスラ課題作文を書き、その中で、「勇姿」という言葉を用いました。(この作文の自己評価は低かったです。ただ、この「勇姿」という単語をその文脈で使うというのは、滅多に他の中学生にはやれないことだろう、と、その点に関しては、やや得意な気分でした。)

 しかし、何たる恥辱、猛ふぶきの書いたのは「勇姿」ではなかったのです。

 当時、「勇姿」という熟語があることを知っていたからこそ、これを作文に入れたつもりだったのですが、いかんせん、この熟語の訓みを誤っていたのです。「姿」という字を訓むことは、もちろんできました。「歩く姿は百合の花」の「姿」は、もちろん「すがた」です。「正しい姿勢」の訓みは、もちろん「ただしいしせい」です。教育漢字881字の中に「姿」がなくとも、この文字はいろんな本や雑誌で目にします。訓めないはずがありません。
 しかし、なんと、この「勇姿」を、その時の猛ふぶき君は「ゆうすがた」!と訓んでいたのでした。勝手に重箱よみをしていたことになります。これは不思議な間違いでした。

 猛ふぶき君は、漢字の音よみ訓よみを峻別している子でした。(そして、訓よみを極めて重視しこよなく愛している子でした。)二文字の熟語は、通常は「音音よみ」か「訓訓よみ」になることは、もちろん学校でも教わりましたが、教わるはるか以前に悟っていたことでした。そればかりでなく、漢字を複数文字連ねる時に、それが音読みか訓読みのいずれか一方に統一されない事態を、ほとんど許せないような感覚で生きていました。重箱よみ・湯桶よみの語には深い軽蔑と嫌悪の念を抱いていました。(最近でも、「真逆(まぎゃく)」などという単語に初めて出くわした時には吐き気をもよおしたものです。吐き気、と言うのはもちろんウソですが。)「勇」は、音よみが「ユウ」で訓よみが「いさ(む)」であり、「姿」は音よみが「シ」訓よみが「すがた」であることはもちろんよくわかっていました。
 そんな猛ふぶき少年が、なぜ「勇姿」を「ゆうすがた」などと滑稽な訓みをしてしまっていたのか、そこには複合的要因が考えられるます。が、一つ考えられる説明としては、「姿」という文字を、見た瞬間に「すがた」と訓まずにはいられなかった、ということでしょう。未熟な12歳にとって「勇姿」という字面の「姿」は、そんなにも「すがた」だったのでした。
 しかし、訓み間違いの背景の考察は、今回の主題ではありません。

 「勇姿」を「ゆうすがた」とバカな訓み方をしていても、本来ならそこで恥はかかなくて済んだはずです、「勇姿」と書いてさえいれば。しかし、ここに、教育漢字881字の落とし穴がありました。その夜、手早く宿題の作文を片付けたかった猛ふぶき君は、咄嗟に「姿」という字が書けなかったのです。(これがやはり学校の侮れないところで、教育漢字に含まれている漢字なら、絶対に書けているところでした。)「すがた、という字、ええっと、なんか婆さんの婆と似ててもっと簡単な字だが…」そう思いつつ、そこで辞書を引かなかったのはまことに不覚でした。普段、漢字を駆使しては悦に入っていた浅はかな少年の頭に、教育漢字ではないからひらがなで書いても構わないだろう、という一瞬の「甘え」が過ります。少年は鉛筆を走らせます、「勇すがた」と!

 次の日、何かの用事で職員室へ行くと、クラス担任の先生(音楽担当)が寄って来て、真面目な顔で「〜(猛ふぶきの苗字)君、『勇すがた』って何け?」と話しかけるのでした。あれ?この先生、「勇姿」って言葉知らないのかも、と思った猛ふぶき君、先生の顔を見ないようにして、黙って笑っていました。先生は繰り返します。「え?ねえ、『ゆうすがた』って何?『ゆうすがた』って?」。聞いていると、先生は「ゆう」の部分を軽く言い、そこにいったんブレスを入れて「すがた」とゆっくり強調して言っています。ははあ、先生は「勇姿」を「ゆうすがた」とは訓まないと思っているんだ、と思いながら、やはり黙って笑っていました。
 不安が湧いたのは、職員室を出てからでした。あの先生の、じっとこちらの目を見ての、問い詰めるような揺るぎない語調からすると、「勇姿」という言葉を知らないのは、もしかしたら自分の方なのかも知れない、と初めて気がついたのです。先生は、オレが間違っているのを指摘してくれてたのかも知れない。確かに言われてみれば、「ゆう」は音よみなのに「すがた」は訓よみだ。だけど、「姿」が下に来る熟語は、「旅姿」・「寝姿」・「絵姿」・「兵隊姿」・「艶(あで)姿」、みんな「すがた」じゃないか。「勇姿」なんて、こんな日常あまり使わない語が音訓よみになるのは、確かにおかしい、おかしいが、じゃあ、音よみなら何だ?「ゆうし」?まさか!「ゆうし」なんて短い頼りない音で、「勇姿」が表現できるわけがないではないか!あれが「ゆうし」だったら、あんな言葉を使おうなどと誰が思うか!「シ」?そんなバカな!ひょっとして、「姿」には、オレの知らない別の音よみがあるのだろうか。あの語の訓みが「ゆうすがた」でなかったらどうしよう?「勇すがた」などと書いたのが一生の恥になる!
 その夜、そっと辞書を引いた時の、猛ふぶき少年の打ちのめされた思いをご想像ください笑。

 言葉に関して、こんな恥をかいたことは、それまで一度も無かったように思います。
 オレは何人の人に対して恥をかいた事になるのだろう、と猛ふぶきは考えました。
 国語の先生はもちろんあの作文を読んでいます。普通ならそこで止まってもよかったのです。が、担任の先生が、猛ふぶきがどんな作文を書いたか興味があって、国語の先生から借りて読んだものでしょう。下手をすると、先生たち全員が呼んだ可能性も、無いとは言えない。しかし、幸いなことに、この作文はいかなる形でも他の生徒に披露されることはありませんでした。

 今にして思えば、あの時の担任の先生に感謝しなくてはなりません。おかげで猛ふぶきは、他の誰からも表だった嘲笑を浴びることもなく、密かに自分の思い違いを正すことができました。
 ついでに言えば、あの時「勇すがた」と書いてよかったとも言えます。もし、「姿」という文字をスラスラ書いていたら、後々、人前で「ゆうすがた」と大きな声で言うような場面があったかも知れません。

「シ」の呪い

 今回取り上げた潜顕二つの恥には、共通点があります。「しはい」と「ゆうし」、どちらも漢字一字を「シ」と音読しなければなりません。そして、どうやら猛ふぶきは幼い頃から(いや、幼い頃は特に、でしょうか)漢字一文字を一音節「シ」で訓むのが気に入らなかったと見えます。
 なぜか。漢字の音読みの魅力の一つは、やまと言葉の連なりには滅多に現れることのない、「強い響き」です。音音よみの熟語の多くは、その表意文字の機能で意味を鮮やかに照射しつつ、その意味を断ち切るような独特の拍をもって強く私たちの身体に言葉を刻みます。しかし、一文字を「シ」と読むと、妙に弾まずに先細りになって沈んでしまう印象になります。フェイドアウトする前に消えてしまうような。(こんなことをはっきり意識したのは初めてなのですが。)折角の音読みに、「シ」はないでしょう、と、多分幼い猛ふぶきは感じていたのです。「賜」という文字の意味を知れば尚更のこと、この字が「シ」などとよむ字であってはいけなかった。しはい?そんな感激のない言葉、誰が使いたいものか。(そういえば、オンシのたばこ、という音にもかなり強烈な違和感があったのを思い出します。)
 姿。すがた。こんな美しく確かな文字と言葉が「シ」などであって良いはずはない。(だから、ひょっとしたら、「姿」には「シ」以外の音があるのか、と思ったのでした。)
 「屍」。かばね、しかばね。え?「シ」?そりゃ、確かに「シ」だろうけど、もうちょっと、なんとか読めないのかな?

「よく見ておきなさい」

 さて。
 庄野潤三の文章の一篇で、小学校時代の国語の授業の思い出を書いたものがありました。小学校の時に教わった先生が、児童が知らない漢字に出会うと、その字を黒板に書くのだそうです。そして、「この字は〜とよむ字です。よく見ておきなさい。」と言うのだそうです。いつも必ず、「よく見ておきなさい」と言ったそうです。
 その文章を読みながら、折角の機会だから、「みんなで書いてみましょう」、とか、「指で3回書いてごらんなさい」、とか言えば、字を覚える勉強になるのに、と猛ふぶきは思いました。なぜ、「覚えましょう」とか、「忘れないでください」と言わないのだろうか、とも。しかし、その先生は、黒板にその字を書いて「よく見ておきなさい」と言うのだそうです。最後の方で、庄野潤三は、その先生の名前を明かします、伊東静雄、と。衝撃でした。

 あたかもわたしたちの魂の底の大切なところに静かな光を当てるような詩篇群を遺した、この素晴らしい詩人は、なぜ「よく見ておきなさい」とだけ言ったのでしょうか。
 この、「よく見ておきなさい」は、わたしたちが漢字を身につけた過程の、ほとんど対極にある言葉だったと言えます。そして、実は、漢字のような文字は、「よく見て」おくことこそが、その文字との出会いが最も深い結実をもたらす事につながるでしょう。
 そして、殆どの文書がキイボードで打たれるこの時代には、ますます大切な教えと思われます。
 あの時、猛ふぶき少年は、なぜ「姿」と言う文字が書けなかったのか、と、その後何度も考えました。「姿」と言う文字は、構成の難しい字ではありません。画数も漢字として決して多い部類ではありません。それこそ、すがた美しい文字です。「姿三四郎」などという人名は、これを発明しただけで人気が約束されるような名前でしょう。「婆さんの婆に似て、ちょっと違う字」…そこまでわかっていてなお書けなかったのは(そう言えば、「婆」と言う字を傍らの紙に書いてみたような気がします)、「姿」という漢字に出会った時、「よく見て」おかなかったからでした。一度、じっくり見れば、ははあ、すがた、という字は次の女と書くのか、としっかり頭に刻まれたことだったでしょう。

 尤も、それが「勇姿」を正しくよむ事につながったかどうかは、また別の話です。

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