文化の日に自分の知への関心の総体について考察してみた

11月3日(金)晴れ

ここのところ文章を書くのに時間がかかってしまうのだが、昨日は比較的早くかけた気はするのだが結局行動を起こすのは遅くなってしまう。朝は資源ゴミの日だったのでそれに合わせて作業をし、コンビニに出かけてヤンジャンを買ったが金曜発売の週刊漫画Timesと「OnePiece」の107巻も出ていたのでそれも買った。家でいろいろやった後でかけて銀行で記帳したり、書類を出したりしてツタヤに出かけ、ジャンプコミックスを10冊買った。今回はジャンプ+の作品より本誌の作品が多めだった。まだあまり読めてないが、ぼちぼち時間のある時に読もうと思う。連載では読んでいるので復習になるのだけど。後ワンピースに関しては読者コーナーに結構重要な情報があったりするのでそれを読むという意味もある。

今日は文化の日なので文化に関連することを書こうと思っていたのだけど、自分がどんなことをやっている(理解しようとしている)のかを違う角度で考えてみた。

私が学生の時は一般教養科目というのがかなりあり、それらは人文科学・社会科学・自然科学の三分野に分かれていた。人文科学は最近では人文学というのが普通だが、それを「科学」と呼ぶこともまた一つの考え方の現れだなと思う。

これは「知の方法の三つの方法論」、と考えていいと思うのだけど、その中で自分は歴史学・西洋史を専攻したので、そういう意味では「人文科学的方法論」を選んだということになる。史学は人文学の中では特に科学を標榜する部分が強く、史料批判による実証主義を重んじるというところが特徴ではあるが、やはり史料を読むだけでなくその前提として多くの文献を読みこなしていくことも必要になるという意味では他の人文系の学問と同じ部分は大きい。歴史の構造的な捉え方とか因果関係、どの事件が歴史的に重要なのかなどの価値判断を考えていくことで、これは高校時代にそういう考え方を知った(教わった)ということも大きいのだけど、自分の中でそういう意味での「歴史的方法による理解」というのは大きいなと思う。

ただ、それだけではなくて、やはり自分の中では問題意識みたいなものとすごくシンプルな興味みたいなものもあり、歴史は最初はシンプルに興味があって好きだった、つまりこれは子供向けの歴史書とか歴史小説、歴史ドラマなどの影響も大きいのだが、そういうものに、考え方の方法論を与えられて歴史像を組み替えていったみたいな感じはある。

問題意識というのは、これは中学生の頃からの意識として、「民主主義はなぜ正しいのか」という疑問があった。しかしこの疑問にはなかなか解答がなく、何を調べていけばいいのかもわからなくて政治学とか政治思想などの方向には進まなかった。まあ今書いているとそういう方向に進むのもありだったんだろうとは思うが、結局は「思想」の先に見える風景よりも一般の「歴史」の先に見える風景の絢爛さのようなものに惹かれてしまったのだろうなと思う。

この疑問は大きく言えば社会科学系のものであって、自分なりに民主主義論とか政治体制論みたいなものをかなり考えた。社会科学というのは結局は「人間の作ったもの(制度)」について研究していくものだと思うが、その方向の方法と評価みたいなことは結局独学以上のことはしていないなと思う。

興味という点では自然科学的には天文学に興味があった。これは子供の頃からそうなのだが、やっていくと物理学的な方向に行ってしまうのが必ずしも面白いと感じられなかったのでこちらもその方向には進まなかったのだけど、今「コズミックフロント」などをテレビで見ていると観察と思考と理論化によって宇宙=万物の成り立ちを明らかにする、みたいなことは面白いと思うし、まあこの方向も本当はあったなとは思う。

自然科学は自然の現象面を観察することから世界を明らかにするやり方で、社会科学は人間の間に発生する現象、経済現象などを明らかにしてそれを「法」など強制性を持った形で制御していこうというのが社会科学ということになるだろう。

そういう「法」とか「仕組み」というものは人間の作ったものではあるけれどもそういう体系は人間の思い通りにはなかなか動かない。自転車に欠陥があったら自転車を製造したメーカーに責任があるが、経済がうまくいかなくても経済学者の責任ではない、なぜなら経済学者が経済を作ったわけではないからだ、という言葉があったが、もともと制度自体は人間が作ったものなので、経済現象が社会現象、政治現象などにうまく対応していけなければその学問自体の存在価値が問われるのは仕方ないだろうなとは思う。

特に「貨幣」などというものは人間が作ったものでありながら作られた時の意図を超えて交換価値だけでなく貯蔵価値を持つことになって金融が発生し、さらに複雑化している。経済政策や金融政策の難しさを見ていると、人間が作ったものだからといって統制できるわけではないなと思う。

こういうものは面白くはあるが、社会科学にしても自然科学にしても記述されるのは文字であり語られるのは言葉であって、そういう人間文化の最も基礎的なところを抑えているのは人文学であって、それはつまり全ての教科の基礎は国語、みたいな話である。歴史もまたあらゆる分野における記録がその元になっているわけで、根源に近い学問だと言えるだろうと思う。

そういう意味で学問のうちでも最初に発達したのは人文学であり、科学革命で自然科学が起こり、社会科学において統治論などが体系化されていったのはやはりルネサンス期に神から学問が解放されたというのが契機であって、より根源的な知の体系は人文学であるとは言えるのだろう。

ただ、統治のコツだとか薬草の知識とか民間レベルでの蓄積は文字ができる前からあったわけで、そういう意味での知の体系は自然科学とか社会科学とかの方が古いかもしれない。今でも呪術や習俗レベルのものはあるわけで、それを人文学に取り込む試みは民俗学と呼ばれると思うがこういう「知」ではあるけれども「学問」未満のところ、というのはいろいろな面白さが詰まっている感じがするし、その辺りを拾い上げていくのは面白そうな感じはする。

文化とか学問とか知とかいうものについて考え始めるとキリがない。それこそマンガやアニメ、音楽についてももっと考えていきたいところはあるのだけど、とりあえず今日のところはここまでで。

サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。