「小説はもっと自由でいい。いつまで事務所の会話を書き続けるんだい?例えば君を突然大金持ちにすることもいとも簡単にできてしまう。分かるだろう?友よ。その自由はプロットから逸脱してしまう危険を孕んでいるのも分かってる。恐いのかい?君の小説に流れる通奏低音の響きを変えてしまうことが。」
ロックもジャズもポピュラーも古楽も演奏=即興(作曲)なのに、クラシックだけ楽譜の再現に終始することになってしまったのはなぜなのだろう? モーツァルトはもちろん、リストもショパンもラフマニノフも、自由に即興を入れながら演奏していたはずなのに。
アントニオ•トネッリという人が同時代人であるコレッリの作品につけた通奏低音の楽譜、元の楽譜と音が違うと思ったら、ハ音記号が使われていました。自在にドの位置を変えて写譜、アレンジ、そしてそれをそのまますらすらと弾いてしまう、当時の人の柔軟さには脱帽です👋
超大数の法則に、言語の不完全性を観る。。。 数学や言語は物理法則を越えない。。はず