ラメント・バスの系譜②:《暴君は簒奪せり》
もう一つ、モンテヴェルディ《ニンフの嘆き》(1638)に先行するラメント・バス作品として挙げられるのは、ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス(c.1600-1679)『カンターデ 第2巻』(1633)収録、《暴君は簒奪せり》 Usurpator tiranno。ちなみに第1巻は現存しません。
Giovanni Felice Sances, “Usurpator tiranno“ (1633)
A-G-F-E のオスティナート・バスに基づく、通奏低音とソプラノのための歌曲(カンターダ)です 。ただし終盤の “Seguane ciò che vuole”(彼の望みに従うがいい)以下の所だけは、自由なレチタティーボとなります。
現在は当然女性が歌うことが一般的ですが、歌詞は見たところ寝取られ男の嘆きであり、本来はカストラートが歌うことが意図されていたのではないでしょうか。
《ニンフの嘆き》ほどではありませんが、この曲も比較的人気の高い作品で、多くの録音がリリースされています。
お薦めはイスタンブールの古楽団体ペラ・アンサンブルによるトルコ古典楽器を交えた「Ballo Turco」。オスマン風バロック音楽という完全に得体の知れないものながら、何故か不思議な懐かしさすら感じます。史実的にひょっとしたらあり得たかもしれないという絶妙なファンタジー。
この曲が “sopra il Passacaglie”(パッサカリアによる) と題されていることは注目に値します。これはパッサカリアとオスティナート・バス、就中ラメント・バスを関連づけた最初期の例です。
フレスコバルディの『Arie musicali』(1630)収録の《それほど私を軽蔑するのか》Così mi disprezzate は、“ARIA DI PASSAGAGLIA” と題されていますが、オスティナート・バスを有していません。彼の鍵盤曲のパッサカリアと同じく、繰り返されるのはバスの旋律ではなく和声進行なのです。もっとも聴いて受ける印象はラメント・バス作品とさほど違いませんが。
J.S.バッハの《パッサカリア ハ短調》BWV 582 が有名であるため、往々にしてパッサカリア即ちオスティナート・バスと思われていますが、本来パッサカリアはオスティナート・バスを原理としてはいません。
その辺の事情については以前にも。
つまるところパッサカリアとは、一定のコード進行をギターで繰り返し掻き鳴らす即興的な間奏のことでした。この種のパッサカリアはイタリアの民俗音楽には19世紀頃まで残っていたといいます。
17世紀当時のギター教本では、簡易的なアルファベット譜を用いて、種々の調のパッサカリアが教えられています。これは各文字が特定の和音=5コースのギターの弦の押さえ方に対応するもので、現代のコード譜と大差はありません。
このように和音を自立した音楽の構成単位とし、その連鎖を組み立てるという方法論は、機能和声の成立に重要な役割を果たしたと考えられています。近代西洋音楽の源泉はギターにあるといっても過言ではないでしょう。
前回の《マダマ・ルチアの嘆き》の楽譜に書かれている「OGMC」という謎の文字列も、このギター用アルファベット譜です。ここにパッサカリアのコード進行を通奏低音に翻訳する中で、下降テトラコードの音列が抽出される様子を見て取ることができるでしょう。
サンチェスはローマの生まれらしいですが、その前半生については、あまりはっきりしません、生年も不明です。この曲集の献辞から1633年8月1日にヴェネツィアに居たことは確かでしょう。
1636年に彼はウィーンに移り、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世、及びフェルディナント3世に仕えました。彼は最終的に宮廷楽長にまで上り詰め、1679年に亡くなるまでその地位にありました。
サンチェスがウィーンで作曲したオペラや宗教曲にも、しばしばラメント・バスが使用されています。特に彼の《スターバト・マーテル》(1638)には半音階的ラメント・バスの最初期の用例が見られます。