たかぱん

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たかぱん

お読みくださり、まことにありがとうございます。プロテスタントのキリスト者・父・塾教師・偏向的な本好きとして、生き生きと歩むことができるような言葉を聖書から誰かに提供できたら、と願っています。書くことに力を注いでおりますが、ここから何かを拾ってくださればなによりです。

マガジン

  • ショートメッセージ

    聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身近に感じられるとお薦めいたします。

  • 世の中どうよ

    世の中、社会、不満もありましょう。憤りもありましょう。ほっとするニュースがあればいいですね。自分もその中に確かに存在する、その世の中。少しでも別の視点があれば、シェアしたいなと思います。

  • レスポンス

    礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だと考えました。

  • 表メッセージ

    もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取り次ぎをお手伝いします。

  • 本とのつきあい

    本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。

最近の記事

父が子へ教える知恵

箴言3:1-12    1:8,2:1そして3:1と、「子よ」で始まる父の諭しが並びます。この後3:21,4:1,5:1,6:1,6:20,7:1まで同様に続きます。父から子への教育というものは、家庭におけるのみならず、イスラエル共同体にとっても大きな意味をもつものでありました。「子よ」と呼びかけると、私の言うことを聞け、というふうなところから、それは始まります。   この戒めによって、命と平和、慈しみとまことが君に及ぶのだ、と父は宣言します。律法の教えを首に結ぶというのは、

    • 本物を見つける

      秋分を過ぎて、ますます日暮れが早くなった。それでも、東京などに比べると、40分くらいは遅くなるようだ。夕刻に、中学生がやってくる頃は、夏場にはまだ十分明るかったが、いまはもう真っ暗である。   今年のセミは早くから鳴いていた。こちらではクマゼミやアブラゼミが優勢を極めた後、夏を惜しむ頃にはツクツクボウシがワンフレーズを歌い終わるのを愛でるようなことになる。芙蓉の花ももちろんずっと開いているが、きっと間もなく、どこからともなく、金木犀の香りが漂ってくるようになる。   「あっ、

      • 一方的な契約

        創世記9:8-15    大洪水が過ぎました。ノアの家族8人は助かりました。箱舟から出よ、と神は言います。生き物たちは値に群がり、増えるように、と命じました。ノアが増やすわけではないのです。ノアはそれを促し、備えよ、という程度なのでしょう。ノアは命じられてもいないのに、祭壇を築き、いけにえを献げました。   清い動物や鳥は、七つがい箱舟に入れられていましたから、一部が献げられてしまったのです。主はこの香りを嗅ぎ、「人のゆえに地を呪うことはもう二度としない」(8:21)と「心の

        • まずラストシーンから

          ヨハネの黙示録の連続講解説教が先週終了した。休む間もなく、続いて「マルコによる福音書」のシリーズが始まるという。以下「マルコ伝」と称しつつ、今度は新約聖書の福音書から聞いてゆくこととなる。   説教者は、簡単にこの福音書の位置について説明を施した。四つの福音書のうち、古代の教会はマタイ伝を重視して最初に並べたが、このマルコ伝は、共観福音書の要約として後から書かれたのではないか、という見方があったという。だが、現代の神学者は、ほぼ例外なく(確かルカを基とする考えの人も見たことが

        父が子へ教える知恵

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          213本
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        記事

          偽善者とは何か (マタイ23:13-15,25-28, 詩編36:2-3[新共同訳])

          ◆偽善者と禍 マタイによる福音書23章 13:律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、人々の前で天の国を閉ざしている。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。 14:律法学者とファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。だから、人一倍厳しい裁きを受けることになる。 15:律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、改宗者を一人

          偽善者とは何か (マタイ23:13-15,25-28, 詩編36:2-3[新共同訳])

          本を読む

          「読む」ということに的を絞った特集の『現代思想』誌をいま読んでいる。今日はその本について述べるものではない。「読む」ことに中毒症状を有っている自分のことを、少しばかり零そうということである。   大抵の本はAmazon経由でここに届く。古書でしか入手が難しいものは、かつては偶然店頭で見つけるしかなかった。あるいは、親しい古書店の主に相談してみるということがないわけではなかったが、欲しいものがそれで読めるということは、殆ど期待できなかった。いまは全国の古書店が有っている本を、検

          天の下と神の業

          コヘレト3:1-11    「天の下では、すべてに時機があ」ると始まり、「だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない」でここは結ばれます。これらに挟まれる形で、有名な美しいフレーズが並びます。コレへトと称する者が論ずる、人間の知恵の最高峰です。時機というものがあり、人は何らかの経験を、時の中で刻むことになります。   ここに、「天の下では」という条件が付いていることに気を払いたいと思います。「地上」と理解してもよいでしょうし、「神」に於いてはそうではない

          天の下と神の業

          『仕事』(今村仁司・弘文堂思想選書)

          2024年、新刊書でこれを知った。文庫版だった。発売までまだ間があったが、元々は単行本だと分かった。帯にある言葉「資本主義は賃金奴隷制にほかならない」という言葉に惹かれた。私も断固そのように感じていた。しかし私は抽象的に感じていたに過ぎない。本書は社会思想ないし社会哲学を専門とする教授である。どんな論拠があるのか、具体的に何がどうなのか、ぜひ知りたいと思った。同じく帯には、「渾身の書きおろし」という言葉もあった。だから私があまり知らない分野ではありながら、きっと面白いと信じた

          『仕事』(今村仁司・弘文堂思想選書)

          終わりの時のために求められていること

          ユダ17-21    「終わりの時」のことを警告します。それは「イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉」であるといいます。使徒たちという立場の者たちの、権威が確立していたことが分かります。イエスの言葉が最も尊いことは、誰にでも想像できます。けれどもイエスの言葉は、その語録があったのだろうし、すでに福音書が既知のものとなっていました。   もちろん、後の「正典」という考えや権威が備わっていたわけではありません。私たちのいう「聖書」は成立していませんでした。しかし、教会内

          終わりの時のために求められていること

          タブレット端末

          会社で、集団健診が行われる。年に一度、定期的な検査だ。面倒な気もするし、胃透視はなかなかハードである。検査結果もいろいろ引っかかってきたが、病気を見つけてもらった、という意味ではありがたいことこの上ない。   但し、近年9月にそれが割り当てられている。できれば、9月というのは避けてほしい。夏期講習で乱れた生活と疲労した体を背負った結果が、そこに出てくることがあると思うからだ。   仕事は午後、いまは夕方近くからなので、朝一番の健康診断となると、丸1日を会社に拘束されるような恰

          タブレット端末

          離れ去る人々と問われる一人と

          ヨハネ6:66-69    「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる」(6:54)などというイエスの言葉を聞いて、それまでイエスの教えに耳を傾けていた人々は、とても聞いていられない、と呆れました。これが教義となり、それを信じた後の時代の私たちにしてみれば、これこそキリスト教だとよく分かるのですが。   確かに象徴的な表現が使われています。肉や血を、という言葉をまともに文字通りの意味で解したら、まるでカニバリズムです。初期の教会への一般

          離れ去る人々と問われる一人と

          人目を気にしない

          小学3年生。よく勉強ができる子たちである。詳述は避けるが、国語のパズル的な問題があって、そこにある漢字で二字熟語をつくり、書き出すものがあった。子どもたちは見抜いた。「目」と「人」とで熟語を作ればよい。さあ、「目人」か「人目」か、どちらかひとつだ。ここで、全員が「目人」を選んで書いた。   「あら、『ひとめ』って言葉、使うでしょう」と私が問うが、きょとんとしている。「『ひとめ』を気にする、なんて言いますよね」と私がダメを押すが、子どもたちはぽかんとして、「知らない」と答えた。

          人目を気にしない

          黙示録の結び

          2023年4月23日に始まった、黙示録の連続講解説教が、ついに今日で結ばれる。間に、クリスマスその他必要に応じて他の箇所から語られることもあり、また、もう1人の説教者が半分近く説教に立つことも通例である。それからゲストの説教者が語ることもあるため、ほぼ1年半にわたり、黙示録すべてから説教がなされることとなった。   しかも、黙示録である。語るに難しいとされる。また、新約聖書の、あるいは旧新約聖書併せて考えての、聖書の完結部分のようなものである。緊張が走る説教が続いたことだろう

          黙示録の結び

          日数を重ねた者 (ヨブ32:1-10, 使徒2:14-21)

          ◆老いの域 後期だか前期だか知りませんが、自分が「高齢者」という括りに入ってきたことを、認めなければならない人が、ここにも何人もいらっしゃることでしょう。私も、シルバーシートがあったら、自分も座っていいかな、と思うときには、そういう言い訳を用いることにしています。   でも、自分が老人になる、という設定は、自分の人生にはなかったという人もいるでしょう。「おじいちゃん・おばあちゃん、いつまでも長生きしてね」と、自分が子どもの頃には口にするのが常識でした。成人しても、高齢者は自

          日数を重ねた者 (ヨブ32:1-10, 使徒2:14-21)

          なんとしても知恵を求めよと言われて

          箴言4:6-8    「知恵を得よ、分別を得よ」(5)が、すべてを物語っています。父が子に諭しているという形式ですが、この要点をベースに、言葉がアレンジされています。今回注目するのは、そのうちの3節分です。それらの頭の部分を並べると、知恵を捨てるな・得よ。尊べ、と迫ってきます。これらは必ずしもこの順番での手順を示しているのではないと思われます。   各節の最後の部分を拾うのもいい。分別を愛せ・得よ、と並び、最後は「知恵を抱けば、それはあなたを重んじる」と寄せてきます。節毎にテ

          なんとしても知恵を求めよと言われて

          『福音主義教会形成の課題』(加藤常昭・新教出版社)

          シリーズ名が「今日のキリスト教双書」であり、その第15弾となっている。私が手に取った時点で、発行から半世紀。それで「今日」と言われても、複雑な心境である。発行から50年して、加藤先生も天へ旅立った。しかしすでにこの時点で、牧師としても神学者としても活躍しており、力ある説を告げている。その意味では、「今日」という言葉に偽りがあるようには思えない。私たちは、もっとよくない情況にある、とも言えるからだ。   本書の原稿ソースは様々である。論文的に単独で書かれたもの、雑誌にその都度掲

          『福音主義教会形成の課題』(加藤常昭・新教出版社)