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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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記事一覧

創造の業の完成と継続

創世記2:1-4 
 
天地ならびに地上の自然現象のインフラとも言える諸々の世界が成立しました。これを完成と称することが、とりあえずできるようです。こうして第七の日が過ぎて行きます。第七の日に神が何かをなしたのではなく、第七の日が始まった時点で、もうすでに神の仕事が完成していた、という意味に受け取る必要があるようです。
 
神は第七の日、業を休みます。これが安息日の根拠となります。第六の日まで、神

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人とは何ものなのか、問い続けるために

創世記1:24-31 
 
海と空の動物に続いて、陸の動物という順を、創世記は設定しました。これをさしあたり獣と呼びます。人の出現前に家畜とそれを呼んでよいものかどうかは知りませんが、後にそう称されるものが創造されたという意味に受け取りましょう。新改訳はここで神の言葉に「さあ」を淹れています。原文にはないけれども、勢いが感じられます。
 
新改訳は「われわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」

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言葉にできない

創世記1:20-23 
 
水には、群がる様々な生き物が創造され蠢き、大空には、翼のある鳥が創造され、飛ぶ。そして神はそれらを祝福し、産めよ・増えよと命じます。ここに、生き物なるものが造られます。それらは自らの思いをもつかのようにして動き回り、増えることのできるものとなります。第四の日までには見られなかったような、画期的な出来事です。
 
いったい、生き物とは何でしょうか。生命をもつもの、あるいは

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長い文章にお付き合いくださっただけでもうれしいのに、なんと……。

太陽と月と光

創世記1:14-19 
 
天地創造の第四の日。どう見ても太陽と月の創造です。昼と夜とを分けるための光るものが天の大空にあれ、と神は言います。神の言葉は実現と等しいのでそれでよいのですが、第一の日に、光を昼と呼び、闇を夜と呼んでいたのでした。これは決して、太陽だとは書いてありませんでした。月のことがそこにあるのでもありませんでした。
 
聖書の側に立つ人と、聖書の反対に立つ人と、それぞれにあって、

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お読みくださりありがとうございます。よいことがありますように。

命ある草と木が生まれた日

創世記1:10-13 
 
水を中心とした世界を経て、第三の日、陸なる地が脚光を浴び、草と木のために神の創造の業は一日を費やすこととなります。食物連鎖から考えて底辺にあたり、動物の生命を支えることになる生産者と言われています。このとき、光合成のための太陽がまだ造られていないから矛盾だ、などと言うのは無粋ですね。そういう問題ではないのです。
 
草と果樹とを神は区別します。共通項はあるものの、単なる

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長い文章にお付き合いくださっただけでもうれしいのに、なんと……。

謎の水と天と陸

創世記1:6-9 
 
神は、光を現われさせます。それに続いて、大空が、水と水とを分けるようにと言いました。「あれ」と神が言う言葉は、出来事として成立します。言葉たるもの、起こることがすでにそこに含まれているようなものとされています。それはヘブライ語のもつ意味に基づくとも言われていますが、神がそうだから、その語がそう意味するとすべきでしょう。
 
神の霊が、そもそも水の面を動いたいたと始まったくら

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大切なものを見つけられたらいいですね。ありがとうございます。

天地創造による解放

創世記1:1-5 
 
聖書の冒頭です。有名です。「初めに、神は天地を創造された」とある文は、聖書のオープニングを飾るに相応しい、威厳ある宣言です。ユダヤ文化では、神が存在するか否かという問いはありません。神の行為からスタートします。この冒頭については、優れた研究が多々あり、考察され、霊的な黙想も人の数だけあるだろうと思います。
 
私たちは、自分の初めについては、自分では分かりません。それを認識

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ありがとうございます。きょうすてきなことがありますように。

命がある限り

詩編128:1-6 
 
あなたの命がある限り、エルサレムの繁栄を見るように。子孫を見ることができるように。この祈願があり、イスラエルの平和を加えて、この詩は閉じます。祈りの詩です。これもまた、幸いな者という言葉で始まりますが、詩編全体がこれをテーマとしていると言ってもよいでしょう。詩編の冒頭からして、「いかに幸いなことか」なのでした。
 
イスラエルの民がエルサレムという拠点を保ち、子孫に恵まれ

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この言葉であなたがいきいきと輝くことを願っています。

終末を生きる立場から

詩編9:2-11 
 
主に感謝を献げ、主を喜び祝すのだ。この詩はいつのことをうたっているのでしょうか。もちろん詩人ダビデのいた時代に違いありません。でも、私の敵が退き倒れ、主の前から滅び去ったのを見ている時とはどういう情況なのでしょう。主が裁き手として自分の裁きを守り行ったと言っています。悪しき者は滅び、その名をあらゆる面で、つまりその本質までもすべて消し去ってしまったのだ、と言っています。
 

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詩編のフィナーレ

詩編150:1-6 
 
小気味よく、神を賛美せよというフレーズが並んでいます。邦訳も粋な計らいをしました。原文だと、初めの一つと終わりの二つが、ヤハウェの名を示す「主」を賛美せよ、となっており、初めから二つ目は、「神」を賛美せよ、となっています。そして、他のすべては、代名詞扱いで「彼」を賛美せよ、という形をとっていたのです。
 
これに忠実に訳すべきかどうかは別として、このような違いまでもし日本

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歴史を顧みる

詩編126:1-6 
 
再びあのときのように。歴史を知ると、そのように思うことがあります。否、あれはもう戻れない時であり、もしもというようなことを考えるべきではない、という意見もあります。イスラエルはかつての繁栄を再び、と願う国でした。それはただの夢幻ではなく、いつかメシアが再びそれをもたらすという、前向きな信仰につながる願いでした。
 
そのため、この民は、子どもたちに教育を施します。歴史を学

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大切なものを見つけられたらいいですね。ありがとうございます。

「もしも」からの思い

詩編124:1-8 
 
「もしも、主が我らの味方でなかったなら」(聖書協会共同訳)というところから始まる詩です。大胆なスタートです。「もしも」という仮定は、現実はそうではない、ということを前提しているからです。つまり、実際は主は我らの味方なのであり、それは疑いようもないほどに事実そのものだという前提があるからこその「もしも」であるわけです。
 
主が我らの味方であることは、誰も分かりきっており、

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お読みくださりありがとうございます。よいことがありますように。

預言たるもの

ハバクク3:13-15 
 
バビロンへの捕囚を背景として告げられた預言であるそうです。今からその事態に陥るという情況のようですが、すでにそうなることを経験した立場から言葉が紡がれたのかもしれません。未来を予言することではなく、神からのメッセージを預かるという性質上、見せかけの予言がそうでない場合もあるということは弁えて然るべき事柄です。
 
そんな文献的な調査は、研究者をお任せするとして、たとえ

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イエスという名

ルカ2:21-38 
 
イエスという命名は重要です。21節はそう大きく扱われないことが多いのですが、私たちはここに絶大な力を見るべきだと思います。人が神に名をつけたのです。たとえ天使が告げたことに従ったというのであっても、人が神に名をつけたというのは、偶像の場合は当然ではあっても、このイスラエルの神に対しては無理な話であるはずでした。
 
名は体を表すと理解することがありますが、主はそれまで、常

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