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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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記事一覧

暑さから守られる (イザヤ25:1-10, 黙示録7:11-17)

暑さから守られる (イザヤ25:1-10, 黙示録7:11-17)

◆行く夏の中で

暑い夏でした。短い梅雨の後、夏休みの時期に入る前から、猛暑と呼ぶに相応しい暑さがやってきました。地域によっては異なるかと思いますが、そのために健康被害があったり、大雨と洪水の被害に遭ったりした方もいます。お見舞いの気持ちを申し上げます。中には、民家で汗を流して、という教会もありますから一概には言えませんが、教会の礼拝は、概ね冷房の効いた場所で過ごすことができていたのではないでしょ

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新しく生まれる (テトス3:1-11, ペトロ一1:3)

新しく生まれる (テトス3:1-11, ペトロ一1:3)

◆救い

「救われる」ことは、多くの宗教が口にします。様々な救われ方の説明があります。日常的にも使われる言葉です。「あなたにそう言われると、救われる」というように、ほっとするような気持ちになれることを表現するのです。
 
「すくわれる」と耳で聞くだけでは、二つの別々の漢字の区別がしづらくなります。「救われる」と「掬われる」です。いま私たちは、前者の「救われる」ことを言っていました。しかし、「主に液

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平和を造る者 (マタイ5:9, イザヤ11:1-9)

平和を造る者 (マタイ5:9, イザヤ11:1-9)

◆沖縄

平和を造る人々は、幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
 
平和な世界を造ろう、と集まった人たちが、意見が合わず分裂して別々の会をつくる――笑えない話です。動機が悪いとは申しませんが、人間が思う平和と、それへ近づく道は、どうやらかなり食い違うことがあるようです。
 
「ローマの平和」は、圧倒的なローマ軍の軍事力によってつくられたと考えられました。「大東亜共栄圏」とい

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求めなさい (ルカ11:1-13)

求めなさい (ルカ11:1-13)

◆ハイデルベルク信仰問答

ハイデルベルク信仰問答は、カルヴァン派の信仰問答です。いわゆる宗教改革のしばらく後、1563年に、ドイツのハイデルベルクという町で出版された、信仰問答です。問答とは限りませんが、多くは問答形式で、キリスト教の教理、つまり何をどう信じるのか、ということを学ぶためにつくられた入門教育のための書です。「カテキズム」という言葉の方が、ピンとくる人が多いかもしれません。
 
ハイ

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我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

◆国と力と栄え

私たちを試みに遭わせず
悪からお救いください。(マタイ6:13)
 
今日はいよいよ「主の祈り」の最終回です。ところが、教会で礼拝の中で称える伝統的な「主の祈り」は、ここで終わりではありません。付け加えられた締め括りがあります。
 
 国と力と栄えとは
 限りなく汝のものなればなり
 
これは福音書の本文にはありません。ではどこでこの締め括りが付いたのか、というと、その文は、新約

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我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

◆さばきとゆるし

 私たちの負い目をお赦しください
 私たちも自分に負い目のある人を
 赦しましたように。(マタイ6:12)
 
「さあ、主の祈りです」と礼拝のプログラムで司会者に促され、皆一斉に同じ祈りの言葉を口にします。もう言い慣れてしまって、何の感動も、何の思い入れもなく、唱えているだけかもしれません。
 
私もその「スタイル」は分かります。でも、やっぱり、引っかかってほしいと思います。と

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我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

◆主の祈りの要

「主の祈り」と呼ばれるものは、ルカ伝にもありますが、教会ではおもに長いマタイ伝を軸に受け止めています。さらに、そこから教会で伝統的に整えられた形式の「主の祈り」があります。これを念頭に置きながら、私たちは「主の祈り」を少しずつ味わっています。
 
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。(マタイ6:11)
 
これは、伝統的な「主の祈り」の中央部に当たると言えます。ユダヤの文学形

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みこころの天に成るごとく地にも成させたまえ (マタイ6:10)

みこころの天に成るごとく地にも成させたまえ (マタイ6:10)

◆マタイ伝を基準に

 御心が行われますように
 天におけるように地の上にも。(マタイ6:10)
 
祈りの内容としては三つ目となります。ここで初めて、マタイ独自の祈りが現れます。ルカには、該当する言葉が全くないのです。
 
福音書は、時間差を置いて書かれた、と研究者は見ています。主の祈りは、ルカよりもマタイのほうが明らかに長くなっています。普通、最初にルカの福音書ができて、その後にマタイができた

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み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

◆国家ではなく

御国が来ますように。(マタイ6:10)
 
「国家」は幻想だ、と言う人がいます。「国家」というのは、どこにも存在していないのではないか、というのです。
 
古代ギリシアには、「都市国家」と呼ばれるものがありました。比較的小さな単位です。従って、アテネとスパルタがライバル同士であった、などという話も有名です。実にドイツでは、13世紀から19世紀まで、「ドイツ領邦国家」と呼ばれる、小

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願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆有て在る者

死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどのように言われたか、読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。(マルコ12:26)
 
この「モーセの『柴』の箇所」とは、出エジプト記の3章の出来事を言います。イエスの時代、このようにして、聖書の特定の箇所については示すものだったわけですが、これで聖書を知る人に

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天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆呼びかけ

「主の祈り」を、少しずつ受け止めてゆくことにしています。今日はその初めで、最初の行だけに注目します。
 
天におられる私たちの父よ(マタイ6:9)
 
父よ (ルカ11:2)
 
ルカ伝はとてもシンプルです。この一言に、マタイ伝の言いたかったことも凝縮されているのでしょうか。いまはマタイ伝のほうを検討することにします。
 
日本語だとこうなっていますが、原語は語の並ぶ順序が異なります

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主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

◆主の祈り

イエスが直々に「祈り」について教えてくれたことがあります。これを教会では「主の祈り」と呼んでいます。来週から、その祈りの言葉の一つひとつを、ゆっくりと噛みしめて聴きたいと願います。今日は、「主の祈り」全般について、それを受け取るスタンスを確認してみようと考えています。
 
「主の祈り」は、マタイ伝6章とルカ伝11章にあります。イエスが教えた祈りであり、同じもののようにも見えますが、や

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祈りの道へ (マタイ6:5-8, 列王記上8:22-53)

祈りの道へ (マタイ6:5-8, 列王記上8:22-53)

◆無駄な祈りなのか

(これは架空の話です)旅客機が消息を絶った。どうやらあの人が、その便に乗っている。ああ、大変だ。そのとき、きっとひとは祈るでしょう。「どうか無事でありますように。」
 
続報が入る。飛行機は墜落したらしい。ああ、もう胸が引き裂かれそうだ。それでも、ひとは祈るでしょう。「どうか無事でありますように。」
 
1985年8月12日の日航機事故は、一機としては世界最大の航空機事故とな

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力を受けて (使徒1:5-8, エゼキエル2:1-8)

力を受けて (使徒1:5-8, エゼキエル2:1-8)

◆ペンテコステ?
 
教会の暦では、「ペンテコステ」礼拝となります。「ペンテコステ」とは何だ? 実は、キリスト教の三大祝祭の一つなのです。訝しく思われても仕方がないような、知名度です。「クリスマス」は早くから日本でもおなじみになりました。大正期でしょうか、激しいブームすらあったのだとか。もちろん、宗教的な意味合いではなかったのでしょうが、良かれ悪しかれ「クリスマス」は知られるようになりました。近年

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