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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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記事一覧

力強い信仰の風

三日前、私の休日に妻が休暇を合わせてとってくれた。行きたいところがあるという。出かけた先…

たかぱん
6日前
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光につつまれた都

「礼拝はままごとではない!」はっきりとした言葉が説教者の口から零れた。そこで命の水を飲み…

たかぱん
13日前
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新天地の希望

黙示録も佳境に入ってきた。「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た」(21:1)をメインに、黙…

たかぱん
2週間前
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死が死ぬ第二の死

黙示録の連続講解説教も、いよいよ20章まで来た。説教者は、この1年余り、黙示録を読み続けて…

たかぱん
3週間前
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共に

説教者自身、最近の出来事を重ねて、いろいろ迫ってくる思いがあったのかもしれない。10年とい…

たかぱん
1か月前
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救いのスペクタクル

先週はイレギュラーであったが、今日の礼拝がゲストの説教者であることは、以前からの計画通り…

たかぱん
1か月前
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神にとっての価値

事情は割愛するが、急遽ゲストが説教者として立つこととなった。若い説教者であるが、今年海外へ派遣されることになるという。そちらの日本人のための教会に行くのだそうである。   開かれたのは、イザヤ書43章の最初の4つの節であった。ここには、有名な「わたしの目には、あなたは高価で尊い」という言葉がある。ここは、あちこちの教会で好んで開かれる箇所である。説教者はそのことを、日本の教会が伝道の意図をもつ場合によく開かれると言い、それは海外の目から見ると特異なものである、と指摘する。  

神の言葉は人を生かす

「白馬の王子様」は、乙女の憧れの極みであった。アーサー王などの源流が想像されることがある…

たかぱん
1か月前

死を超えた礼拝

ある方が家で事故に遭われたという、びっくりする知らせから説教は始まった。無理をしないよう…

たかぱん
2か月前

「ハレルヤ」を聞きながら

黙示録の講解説教が続く。いつしか18章から19章にまで旅してきた。19章は4節までで区切られた…

たかぱん
2か月前
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来たれ聖霊よ

ペンテコステ礼拝である。教会の三大祝祭日の一つとされている。弟子たちに聖霊が降臨したこと…

たかぱん
2か月前
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目を覚ますことと祈ること

説教に「まくら」などという言葉を使うのは不適切かもしれないが、説教者により、いくつかのタ…

たかぱん
2か月前
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絶望ゆえの勝利

黙示録を読み解くひとときが続く。17章が開かれたが、ここから18章辺りまでが、実に黙示録らし…

たかぱん
3か月前
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神の怒りから愛の歌へ

4月26日午後、加藤常昭先生が召された。縁のある教会である。牧会したということではなかったが、あるいは、最も近いところにあった教会である。生涯最後の説教も、ここで語られた。歴史的礼拝だった。その説教は、ドキュメントとして公開されている、18年前の説教とパラレルなものだったが、視力を失った中で、原稿もなしに語るものだった。   黙示録の講解説教中である。だが、その初めと終わりは、加藤常昭先生に触れながらのものとなった。もちろん、それは取って付けたようなものではなく、内容に自然に