九月尽そろそろ神の支度始まる
風。 いろいろなことがあって、結局、わたくしはそのままの人生をそのまま自身の意思であってもなくても、からがら、そこに或るように思うのです。 あなたらしいなどと言われると、えっ、まさか、どこかで見ていたの、わたしの間抜けなあくびや、独りごちている背中を。 できごとは、どんなことでも、光と影のようである。他者でなく、自分自身のなかであっても、それは拮抗し、細い糸を渡し、そこを進んでゆこうとするのです。 疲れましたね。はい。でも、行かねばならぬのです。無理にというわけではあ
彼と温泉に行って、檜のお風呂で眠ってしまいました。それから、チョコの専門店に行って、チョコテリーヌを買って、ソフトクリームを食べました。 そのソフトクリームは、ふつうのソフトクリームに見えますが、食べてみると、驚きの爽やかさ。酸味があるのです。フルーティーな味わいのクリームなのです。 どんなに考えても、わからなかったので、お店の方に聞きましたら、カカオの果肉をジュースにして、それが入っているとのことでした。いつもなら、ソフトクリームが甘ったるくて、しまいには食べるのに飽きて
のんでいるのにのんでない。のんでないのに飲んでいる。怖いが、結局、飲んでいる。な、感じなのか。 我、飲んでしまった。
誰かがそこにいるのです。私といえば、見えそうで見えなくて、擽ったくて、なんか全然違うことを考えてみたり、気付かぬふりをしたり。けれど、実際に、数字は語るのです。誰かが見てくれている。そんな、少し、恥ずかしいけれど、ほんとうに嬉しいこと。大袈裟ではなく、今、スキが降る音。積もる音。
どの星も美しい今日のこの夜 モバイルのなかの野分よ行きくれて 季語記号揮毫老いては菊一輪 語気強し滑る言の葉白菊へ またひとつ増える歳のこと曼珠沙華 先頭のひとが見えない薄原 足音を忘れてきたと彼岸花 朝露を纏い蜘蛛の巣の首飾り 帰るとき水の音して秋の夜 素肌にTシャツ最後の夏の光 晩夏光なにかを捨ててまた拾う 忘れてたそれはおおぐまのしっぽね
ちいさなカフェはいつも突然忙しくなる。磁石に吸い寄せられるように、お客様がお見えになるのです。大変だ、たいへんだなんて思っていても、みんな優しくて、いいよ、待ってるよ。って、嬉しいことを言ってくださる。パソコンがサクサクいかなくて、イライラするなんてこともあるけど、スロウもいい。
空き家の庭で秋の虫が鳴いている。楽しいわけでも、悲しいわけでもないと言う。おじいさんもおばあさんもいつのまにか何処かに行ってしまって、お庭の木々は伸び放題。隅っこの紫式部が実をつけている。秋明菊の白も少し揺れている。虫たちは、音を奏で、恋しいものを呼ぶ。急げ。寒いゆふぐれが来る。
咲いた、ね。
したいことや、欲しいもの、そんな具体的なことが、何故か私にはひとつもない。 その場その場でわたしは急ハンドルや急ブレーキで、生きてきたような気がする。 計画なんて、無理。だって、きっと、その通りにはいかない。 それならば、とりあえずは、必要なものだけバッグに詰めて、ハンドルを握る。みたいな。 アクセルとブレーキが正常ならば。かと言って、特に車の運転が大好きというわけではないが。 広い葡萄畑に沿って走る。なんて、心地よい景色であることか。そして、どこまでも空に抱かれている。緩
久しぶりのラーメン。 生ビールと餃子も。 美味しくて、お店ではしゃいでしまった^_^
食卓のまんなかいちじくジャム光る 鉛筆がころがってゆく秋の暮 傾いてなほ傾いて夏逝けり 寝返ってみてもひとりの秋深む 野分雲スマホのなかの出来事で 抱き合うひとの真上の星月夜 眠ることそれすら疎ましこの夜長 流星を拾いに行けば山の端 蟋蟀の髭に見蕩れており阿吽 本棚の隙間で光る六等星 落ち葉踏むかさこそとひそひそのあいだ 秋の野を我まっすぐに走っている
ちいさなカフェは本日目のまわる忙しさ。 早く寝よう。 おやすみなさい。
シャインマスカットとクイーンニーナ 美味
水遣りの先に砂漠のオアシスが一瞬ゆらめくすぐに消え去る 種撒いてゴッホの少年日暮まで黄金のなかのすべての色彩 たとえば声たとえば手紙風吹けば髪靡かせてふつうのことよ 畑より頂きて我煮転がし作りて夜秋此処が在処と 何もせず景色を見やる一日の当たり前なるそんな幸福 ゆふぐれが急いでいるか誰が待つ森の奥にも明かり灯して 足指の爪のかたちは母に似て耳のかたちは父に似ており 急いではいけない解りきったこと影はわたしの後に従い さよならにこんにちは告げて21時ブエノスアイ
週末含め連休だ。朝から夜までずっと週末の家の住人となり、その、心底、世間から見放されてる感が嬉しくて、心地良し。オデッセイの飛行士みたいに、色々工夫したり、考えたりして、家事なんかをしていると、楽しくなってくる。特に食事づくり。こんなふうに自由に振る舞える時間を、もらえるなんて。