魔法を思い出す
わたしは5歳頃からピアノを習っていたのだが、幼い頃、初めて上手に、かつ、自分のモノ(自由?に?というのがしっくりする表現かな)として弾けた!と思えたのが、ブルグミュラーの「清い流れ」という曲だ。
なんていうかすごい素敵な曲で、記憶を遡ってどういう風に弾け、と、言われたか思い出すと、
「右手の親指と小指を置きつつシソレシソレと繰り返しながら左手を正確に動かしていくと、弾いてないはずのメロディが後ろから聞こえてくる。」
まさにそんな感じだった。
左手は低いソレソレ右手はシソレシソレドラレラファレ〜と弾いていくと頭の後ろからシシドラと聞こえてくる。(もっと音の展開はあるのだが割愛)
運指と置きの単純なかつ深い関係なのだが、わたしは初めて自分の手で魔法が使えたようなキラキラした高揚感を得た。
挙げればキリが無いので有名どころでいくと、わたしはエッシャーの絵や錯視という仕組みを活かした絵も昔から好きだし、デュシャンのようなそうじゃないモノをそうだと仮定して表現してみるようなアートなど、わくわく不思議なものが好きなので、この「清い流れ」はわりとそこのカテゴリーに食い込んでくるぐらい好きな音楽だ。
なんかなんやかんやいろいろある人生だが、この「魔法が使えた」と、思えるような感覚、は、常に通奏低音のようにわたしとともに歩んでいる気がする。
記憶のど真ん中にいたり後ろの方に引っ込んだりいろいろするエピソードだが、これからは自分のど真ん中に固定させていこうと思う。