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モンテヴェルディ《ニンフの嘆き》:音盤紹介

前回に引き続き、モンテヴェルディの《ニンフの嘆き Lamento della Ninfa》について。今回は音盤紹介です。

いかんせん有名曲だけに全てを網羅することなどとても出来ませんが、参考までに年代順でいくつか録音をご紹介しましょう。

Nadia Boulanger (1937)

世界初録音。“Non havea Febo ancora” と “Amor” のみで、第3楽章は省略。意外にもかなり速めのテンポです、通奏低音はピアノとコントラバスでしょうか。ソプラノ歌手はマリー=ブランシュ・ド・ポリニャック伯爵夫人。

歌唱の質は古色蒼然たるものながら、ブーランジェ女史の知的なアプローチは現代においても決して陳腐化してはいません。300年前の音楽の再生に立ち会うという興奮を感じさせる名演。

New York Pro Musica Antiqua / Noah Greenberg (1960)

“Amor”のみ、やはりテンポは速めです。通奏低音はチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバ。

モノラル録音ながら、昨今と比べても遜色のない演奏に驚かされます。アメリカの古楽の先駆者ノア・グリーンバーグの名は現在は殆ど忘れられてしまっていますが、それは1966年、これから古楽が隆盛するという時に、惜しくも心臓発作で急逝してしまったせいもあるでしょう。

Leonhardt-Consort / Gustav Leonhardt (1970)

レオンハルト御大による本格的な古楽器と史的考証に基づく演奏。テンポはかなり遅め、通奏低音はチェンバロのみです。

しかしこの録音、オンマイクで録られたチェンバロが耳障りで、どうにも聴くに耐えません。レオンハルトの位置からはこんな感じで聴こえているのかもしれませんが。

レオンハルトは1980年にも別録音のLPをRCAからリリースしており、こっちは真っ当なバランスなのですが、生憎ながらCD化されておらずインターネットでの配信も無いようです。

いずれもチェンバロと歌手のみのミニマルな編成で、遅めのテンポの端正な演奏はリファレンスにふさわしい出来ですが、少し冷たすぎるでしょうか。

Concentus Musicus Wien / Nikolaus Harnoncourt (1984)

何度も復刻されている有名録音なのですが、何故か今はどこも配信していない様子。

まず冒頭から男声合唱がやたら元気、ナレーションにあるまじき主張の激しさです。“Amor”のソプラノの歌声は遠くからか細く聴こえ、ここでも相変わらず男声が目立っているのは如何なものか。暑苦しい。アーノンクールらしいといえばそうなのですが。

Cantus Cölln / Konrad Junghänel (1993)

カントゥス・ケルン盤は “Amor”の通奏低音でユングへーネルの弾くリュートが流石、深く繊細な情緒を聴かせます。一方、ソプラノの歌唱はノンヴィブラート唱法を徹底したもので、超越的な美しさがあるものの、情念を迸らせるべきこの曲にはそぐわないような。

Tragicomedia / Stephen Stubbs (1993)

トラジコメディアは通奏低音奏者3人で結成された異色のグループ。ベースとベースとドラムが組んでバンドを始めたようなものですかね。

“Amor”ではテオルボとハープとリローネという、当時はまだ物珍しい取り合わせで、官能的な歌唱と共に耽美な幻想の世界を作り上げています。21世紀の古楽シーンを先取りする出来。古楽演奏史に画期を成す名盤といえるでしょう。

La Capella Reial de Catalunya / Jordi Savall (1995)

サヴァール盤は例によって演出過剰気味で胡散臭いですが、音楽にファンタジーを求める向きならば否はないはず。トラジコメディアに劣らず饒舌な通奏低音を擁しつつ(ハープのローレンス=キングなどはどっちにも参加してますし)、なお一層甘く陶酔的。モンセラート・フィゲーラスの声質は、正にこの曲にうってつけです。

Concerto Italiano / Rinaldo Alessandrini (1997)

かなり早めのテンポ。“Amor”の通奏低音は三拍子のアルペジオとして明確なビートを刻みます。一方、ソプラノの歌唱はそれを全く無視するかのように不安定で狂おしく譫言のよう。

「魂の情感のテンポで歌われなければならない」という作者の演奏指導の極めてラディカルな解釈ですが、正直あまりに病的過ぎて愛聴し難いものがあります。

Il Complesso Barocco / Alan Curtis (1998)

特筆すべきはソプラノのインヴェルニッツィの壮絶な歌唱。吐き捨てるような “o tu m'ancidi”(さもなくば私を殺せ)から、“che'l mio non è”(私は違うけど)の消えゆく弱音まで、驚異的な表現力を示します。しかしこうなるとチェンバロだけの通奏低音が少し寂しい。

Concerto Vocale / René Jacobs (2002)

これも“Amor”の通奏低音にテオルボとリローネを使用。しかしマリア・クリスティーナ・キールの歌いぶりは如何にも劇場的で不相応。

Fahmi Alqhai (2008)

何故かDiscogsに記載なし。全曲録音なのですが、“Amor”の前奏となる通奏低音勢の長大なインプロヴィゼーションに度肝を抜かれます。これぞ真正のパッサカリア。続くマリヴィ・ブラスコのエモーショナルな熱唱も負けていません。

L'Arpeggiata / Christina Pluhar (2009)

“Amor”のみ。アレッサンドリーニ盤と同じくアルペジオの通奏低音ですが、こちらは自然体の歌唱で素直に耳を委ねられます。モンテヴェルディの現代性を知らしめた名盤。

La Venexiana / Claudio Cavina (2010)

ジャズアレンジ。ただし楽器陣はほとんど古楽のもので、そこに交じるサックスが完全に浮いて陳腐。ひたすら間延びした退屈な演奏はジャズにもモンテヴェルディにも失礼ではないかと。

Samuel Blaser (2011)

こちらは気合の入ったフリージャズです。“Amor”の旋律を借用しているだけで、オスティナートバスすら放棄されていますが、これはこれで。

このトラックはまだわかりやすい方で、同じくモンテヴェルディの"Si Dolce è'l Tormento"やビアージョ・マリーニのパッサカリアなどは、もう殆ど原曲の面影が有りません。深刻な古楽愛好家なら逆に楽しめるかも。

RIAS Kammerchor / Hans-Christoph Rademann (2011)

エルンスト・クレネク(1900-1991)による編曲版。彼は『ポッペアの戴冠』も編曲しています。切々たるピアノ伴奏と重厚なバックコーラスによるロマンティックな仕上がり。

Cappella Mediterranea / Leonardo Garcia Alarcón (2011)

Piazzolla & Monteverdi という趣向のアルバムですが、さほどの融合は見られず。ただピアソラとモンテヴェルディの曲が並んでいるという感。“Lamento Della Ninfa”も前奏にバンドネオンが出てくるぐらいで、後は平凡。

Ane Brun (2011)

ノルウェー出身のシンガーソングライター、アーネ・ブルンによる英語版 Lamento Della Ninfa / Oh Love。歌詞は原典に概ね忠実な翻訳で、音楽も原曲そのままながら、ごく普通の現代のラブソングに仕上がってしまっています。400年前の曲だと気づいてもらえるかどうか。

Nederlands Blazers Ensemble (2013)

2013年1月1日のコンセルトヘボウにおけるライブ録音。

これは言葉で何を言うより、オフィシャルの映像を見ていただくのが早いでしょう。

Aevum (2014)

メタルアレンジ。残念ながら如何にも安直で安っぽい。Theatre of Tragedy とか Lacuna Coil あたりだったら。

宮下宣子 / 濱田芳通 / 西山まりえ (2015)

サックバット(トロンボーン)とコルネットとオルガンという編成によるインストゥルメンタル・アレンジ。恐るべきことに“Amor”だけでなく全曲を歌手抜きで再現しています。

David Garland (2018)

ジャンル不明の前衛音楽。17分30秒もありますが、延々と繰り返すラメントバス上のエスニックな歌声には不思議な瞑想性があって、意外と飽きさせません。

恰空古樂團 (2019)

恰空古樂團 (Shanghai Camerata) 、蒙特威爾第在上海 ‎(Monteverdi in Shanghai)、小仙的哀歎 (Lamento della Ninfa) 等、ジャケットに並ぶ漢字を眺めるだけでも愉しい。ちなみに「恰空」はシャコンヌ。通奏低音とソプラノのみで、古楽団体ながらロマンティックでノスタルジックな演奏。上海租界に古楽があったらなどと想いながら茉莉花茶でもいただくのがよろしいでしょう。

Speak No Evil (2022)

デンマークのサイコスリラー映画。劇伴として割りと重要な使われ方をしているようなのですが、観ていないのでなんとも。早速アメリカでリメイク版が製作されているらしいので、こちらは日本でも上映されるでしょうか。


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