梶文彦

日本のものづくりは世界の財産です。わたしたちは、なぜこんなにコンパクトでこぎれいなもの…

梶文彦

日本のものづくりは世界の財産です。わたしたちは、なぜこんなにコンパクトでこぎれいなものづくりをするようになったのでしょうか? その背景をたずねてみましょう。

マガジン

  • 空飛ぶサーカス

    子どもに読ませようと30年ほど前に翻訳したドイツ・ハインリッヒ・ハノーバーの作品。サーカスが子供のあこがれだった時代の、楽しい物語。

  • 《昭和を切り開いた経営者の「逆転」する発想》

    安眠をむさぼる頭脳に心地よい一撃!  書籍や雑誌などに目を通していると、時々、なるほどと、うならせられる言葉にぶつかったりします。とくに、未成熟だった製造業・流通分野で創業し、日本経済を立ち上げてきた昭和の経営者の言葉は、常識と反対の発想、いわゆる「逆転の発想」と呼ばれる類いのものが多く、安眠をむさぼる頭脳に一撃を与えてくれました。  それらは言葉そのものの面白さだけでなく、その裏にある発想の斬新さや、不屈の精神、成功への執念、生きていることへの讚歌といったものを感じさせてくれます。そして何より、どんな逆境にあっても笑い飛ばせる諧謔精神に満ちています。     私にとっては、それはカタルシスと表現できるのではないかと思います。そんな言葉をご紹介します。気楽に読み飛ばしていただければ嬉しいです。

  • シナ(チャイナ)文化の特異性

    岡田英弘全著作集(全8巻)の「Ⅳシナ(チャイナ)とは何か」より、中国文化の特異性を紹介する部分を抜粋してご紹介する。十数度、のべ1-2か月の滞在に過ぎないが、同国のビジネスマンたちとの付き合いで、いろいろと疑問に思い、違和感を感じていた事柄がこの著作によって、目からウロコで氷解する思いがあり、雑駁だがまとめてみた。岡田教授の著作は同氏の長年の研究に基づくものだが、この文は単なる感想にすぎないので、そうご理解いただいたうえでお読みください。

  • 薬師寺・法隆寺、いまに伝わるものづくりの技

    日本のものづくりの精度・緻密さ、耐久性など、仕上がりの品質は世界でも高く評価されています。千年を超えてなお美しさを保っている法隆寺や薬師寺から、ものづくりの職人の技を振り返ってみます。

  • 横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流

    2015年5月4日、イコモス(国際記念物遺跡会議)は、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録を勧告しました。 本来ならば、その中に横須賀製鉄所の遺跡も含まれるところですが、米軍の基地内にあり、現在も使用中であることなどから申請から外されています。 日本の造船王国を生む原動力となった横須賀製鉄所の生い立ちと意義を、遺跡を訪ねながら眺めてみよう。

最近の記事

  • 固定された記事

ものづくり 日本の心<サイトマップ>

ものづくり 日本のこころ ――日本のものづくりは、世界の財産である――   ものをつくるということに関して、私たちは世界的にも珍しいこだわりを持っているようです。私たちはなぜこんなにコンパクトで、高品質なものづくりをするようになったのでしょうか? そんな疑問から、私たちがどのようにものづくりに取り組んできたのか、考え方とものづくりへの取り組みの歴史などを振り返ってみたものです。 ・構成は以下のようになっています。 まえがき:日本人の底に流れるものづくりの通奏低音   

    • 「空飛ぶサーカス」006.大臣がやってきた

      サーカスにとって何が名誉かと言えば、それは、偉い人が見にきてくれることです。 もちろん、このサーカスも誰か偉い人が見物にきてくれるのを待っていました。 ゾウのサーカスへ、突然来ることが決ったのが、この国でもっとも偉い政治家の一人、マハトフーバー大臣です。 とはいえ、彼が来るのは、サーカスが見たくてやってくるのではありません。町を代表する大臣として、サーカスのようすも知っておかなければならないということで、視察にやってくるのです。  しかし、サーカスにとっては理由なんか

      • 「空飛ぶサーカス」005.凄腕のライオン使い

         ライオン使いのレオナルドにはペトラとペーターという名前の2人の子供がいました。 2人はライオンが大好きで、できればほんもののライオンを自分たちで飼ってみたいと思っていました。誕生日やクリスマスとプレゼントをもらう時がくるたびに、2人はいつも「ライオン!」と言いました。 でも彼らがもらうのは、いつもぬいぐるみのライオンでした。 だから、ぬいぐるみのライオンなら、大きいもの、小さいもの、柔らかいもの、堅いもの、黄色いもの、茶色のもの、それにライオンとトラの合の子の珍

        • 「空飛ぶサーカス」004.アクロバット一家の一日

           サーカスを知っている人なら推だって、アクロバットが何をする人かは良く知っているでしょう。でも、そのアクロバフトが舞台に出ていない問、何をしているのかを知っている人は少ないようです。アクロバットの技と同じように、びっくりすることがいっぱいあるのです。  たとえば朝。たいていの人は、目が覚めると、もうちょっと寝たいなあと考え、やっとあきらめがついたところで、「こらっ、早く起きないと遅刻しますよ!」というお母さんの声にうながされて、いやいやベッドから下り、洋服があるところまで歩

        • 固定された記事

        ものづくり 日本の心<サイトマップ>

        マガジン

        • 空飛ぶサーカス
          5本
        • 《昭和を切り開いた経営者の「逆転」する発想》
          96本
        • シナ(チャイナ)文化の特異性
          12本
        • 薬師寺・法隆寺、いまに伝わるものづくりの技
          26本
        • 横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
          38本
        • 横浜の洋館・建造物
          62本

        記事

          「空飛ぶサーカス」003.魔法の時計

           パパゲーナはレオナルドと協力して魔法の杖と時計を手に入れました。 パパゲーナがサーカスのショーでよく使うのは魔法の時計です。 そのため、時計の使い方はすぐに覚えました。時計を使って魔法をかけるには、呪文をとなえなければなりません。パパゲーナはその呪文を5つ発見したのです。  第1の呪文は時間を止めるためのもので、第2の呪文は時間を早く進めるためのものです。そして、第3の呪文は時間をゆっくり進めるためのもの、第4の呪文は時間を逆戻りさせるためのもの、最後の第5の呪

          「空飛ぶサーカス」003.魔法の時計

          「空飛ぶサーカス」002.ライオン使い財宝を掘り当てる

           サーカスには10匹のライオンがいました。調教師の名前はレオナルドです。ドイツの南にあるバイエルン地方の出身で、本当はレオポルドという名前なのですが、サーカスの仲開たちは彼のしゃべりかたがスペイン人のように聞えるというのでスペイン人のようなレオナルドという名前で呼んでいます。  でも、このことはサーカスのひとたちだけの秘密です。というのは、プログラムに、 ====================== = スペインの猛獣使いの名人・レオナルド = ==========

          「空飛ぶサーカス」002.ライオン使い財宝を掘り当てる

          「空飛ぶサーカス」001.事件がおこった

           ある町にシルバーサック団長がひきいる小さなサーカスがありました。 団長の名前のシルバーサックというのは、シルバー=銀、サック=袋、つまり銀の袋という意味です。  シルバーサック団長は、毎日サーカスが終ると切符売りの娘パパゲーナにその日の売り上げをすべてもってこさせるようにしていました。 パパゲーナが持ってきたお金を数えて、その日にどのくらいの売り上げがあったのかを自分の目で確認することが団長の最高の楽しみでしたし、それを、寝るまえの日課にしていたのです。 だから毎日

          「空飛ぶサーカス」001.事件がおこった

          昭和を切り開いた経営者の逆転する発想《サイトマップ》

           第二次大戦で廃墟と化した日本経済は戦後、力強く立ち上がり、世界も驚く高度成長を実現しました。その原動力になったのは、昭和の時代の経営者たちの発想と行動力でした。彼らの発した言葉を振り返ってみると、常識と反対のいわば「逆転の発想」とでも呼ばれるものが多かったように思います。 それらは、言葉そのものの面白さとともに、その裏にある発想の斬新さや、不屈の精神、成功への執念、生きていることへの讃歌といったものがありました。そしてなにより、どんな逆境になっても笑い飛ばそうという諧謔精神

          昭和を切り開いた経営者の逆転する発想《サイトマップ》

          7-9. 1尺のモノサシの真ん中は、左右から5寸のところではない。左右から4寸ずつとった、残りの2寸の間に真ん中がある。

          本田技研工業創立者 本田宗一郎  1尺の真ん中は左右から5寸のところだ。これは数学的な真実。 が、本田宗一郎は現実にはそうではないと言う。 その意図は、別のところにあった。 いわく「そう考えるから、まとまる話もまとまらない」。 つまり、人と人との商取引などでの交渉のあり方を言っているのである。  お互いが納得する余地を残さないと、話は進展しないということである。  そういえば、日本人の取引には悲愴感すらある。 それは、真ん中はここ、と線引きをして、それ以上行けば勝ち、少し

          7-9. 1尺のモノサシの真ん中は、左右から5寸のところではない。左右から4寸ずつとった、残りの2寸の間に真ん中がある。

          7-8. 人のやったことは、まだやれることの百分の一にすぎない。

          豊田自動織機創立者 豊田佐吉  貧しい家庭で育った佐吉は大工となったが、19歳の時に公布された専売特許条例を知って発明を志し、機織りが盛んだった三河で、機織機の改良に取り組んだ。  そして、10年後の29歳の時に糸繰返機を発明して、豊田式木製動力織機を完成させる。 佐吉が生涯にとった特許は100を越える。 よくアイデアが枯渇したりせずに次々と出てくるなあ、と思うが、その佐吉は、 といっている。  その佐吉の言葉だけに、標題の言い方には説得力がある。 ちなみに、かつてのト

          7-8. 人のやったことは、まだやれることの百分の一にすぎない。

          7-7. キノコは千人の股をくぐる。

          元日本生産性本部理事 西堀栄三郎  これは正確に言えば、京都大学名誉教授・佐々木申二の言葉だそうだ。  キノコとは松茸である。西堀栄三郎は、佐々木から聞いた言葉として、以下のように紹介している。 という意味である。  他の人が探したからもうないだろうと考えるのではなく、まだあるだろうと考えて一生懸命に探していくことが大切だと言うのである。 そんな一例として西堀は、ある話を聞いてそれをヒントに友人が開発した放電加工法の例をあげている。  南極に行った時の実験で、顕微鏡に使

          7-7. キノコは千人の股をくぐる。

          7-6. 天下の遺利ここにあり。

          阪急グループ創始者 小林一三  ターミナル駅に併設した百貨店、上階に設けた食堂、郊外に宝塚歌劇団・・・などなど鉄道会社の経営戦略として小林一三は斬新なアイデアで次々と新しい事業を展開してきたが、その神髄はこの言葉に凝縮されている。  その意味は、経営方針や見方を変えれば、他人が気づかない利益が見えてくる、ということである。 事業としてのタネや魅力が見えないのは、そういう見方をしていないからで、見方を変えてみれば、事業として利益を上げられるテーマはたくさんあると言うのである。

          7-6. 天下の遺利ここにあり。

          7-5. 技術提携でノウハウ料を取られる。しかし、受け入れる会社の経営の質によっても導入の成否が決まるのだから、成功させた会社は経営指導料をもらってもいいのではないか。

          松下電器産業創立者 松下幸之助  戦後の日本産業界は、海外で開発された技術を、使用料を払って使わせてもらって力をつけてきた。  そして、輸入した技術を独自の工夫で改良し、さらに新しい機能を付加し、特許を持っている元祖企業の品質を上回る高品質・高付加価値製品に仕上げることで、逆に海外に輸出して外貨を稼いできた。日本産業界は、研究開発・技術開発力の弱さを、生産技術を磨くことによって、カバーしてきたのである。  こうした日本の生産技術を、世界に認めさせたエピソードがある。それは

          7-5. 技術提携でノウハウ料を取られる。しかし、受け入れる会社の経営の質によっても導入の成否が決まるのだから、成功させた会社は経営指導料をもらってもいいのではないか。

          7-4. 消費者がピッチャーであれば、小売業はキャッチャーである。

          ダイエー会長 中内 㓛  小売店が投手で自分で球種・コースを決めて投げ、それを捕手として消費者が受け取る……普通はそういうイメージだが、中内に言わせると、逆だ。  小売業が勝手に情報を発信する、つまりピッチャーになるのは僭越であり、小売業は常に受け手、キャッチャーとしての立場に身を置き、ピッチャーである消費者のニーズを受け止め、それに応えてゆかなければならない、と中内は言うのである。 最近の野球は、むしろ逆。捕手が投げる球を指示し、それに従って投手が投げる。ダイエーがホ

          7-4. 消費者がピッチャーであれば、小売業はキャッチャーである。

          7-3. われわれは値引きをしないから、お客さんは安心してくれる。

          ミスミ社長 田口 弘  ミスミは生産財の商社である。お客さんが部品や工具を購入する際には、価格は重要な検討要素のはずだ。ところが、ミスミは一切価格交渉をしない。値引きをしないのである。  こんなやり方ではお客さんからそっぽを向かれるのではないかという不安をよそに、田口は、むしろ値引きをしないからこそ、お客さんは安心して買ってくれる、と言う。  価格保証とは言い得て妙である。  値引きをするからお客さんがつくかと言えば、必ずしもそうではない。とはいえ、このミスミのやり方を徹

          7-3. われわれは値引きをしないから、お客さんは安心してくれる。

          7-2. われわれは、お客様の「購買の代理人」であると考えて、この仕事を始めた。

           ダイエー会長 中内 㓛  中内は昭和20年末に復員して、薬屋を手伝いながら闇市でさまざまな商売を手がけた。  そして、神戸経済大学を中退。昭和27年に薬品現金問屋を設立して、しばらく後、昭和33年に大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー」第一号店舗を開店する。  これまでの常識では、小売店はメーカーの商品の販売を請け負う、販売代理店であった。そして、チェーンストアなどのように販売網を組織化し、メーカーとの間で密接な情報の交換を行い、メーカーからの情報を得てメーカーに変わってP

          7-2. われわれは、お客様の「購買の代理人」であると考えて、この仕事を始めた。